同修間の矛盾について
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年11月4日】命と命の間に、人と人との間に、修煉者と修煉者の間に、矛盾は存在しています。矛盾があるのは、意見の不一致や個人的な願望が合致せず、利益上の不公平や前世の恨みがあるからです。世人が矛盾を避けられないのは、もちろん言うまでもありませんが、修煉者の間に矛盾が存在して、長期にわたり取り除くことができないのは、許されないことです。

 修煉者と常人の間の矛盾は取り除きやすいように見えます。もし修煉者と常人の間に矛盾が発生したら、修煉者はこの矛盾は自分の心性を向上させるためであると分かっており、常人と張り合うことはないと考えます。しかし、修煉者と修煉者の間の矛盾が取り除きにくいのは、自分を相手と対等だとして、矛盾があるのは自分を向上させるチャンスだとみないで、矛盾を当然だとする誤った考えに陥っているからです。

 実際は、修煉者と常人の間の矛盾であろうが、修煉者の間の矛盾であろうが、すべて修煉者を向上させるために按排されたものです。師父が我々の心性を向上させるために按排してくださった以上、この矛盾を前にして、誰が正しいか間違っているかは見ないはずです。重要なのは、この矛盾を通して、修煉者であるあなたが向上することです。この矛盾の中で、自分の心性を向上できなければ、師父の心遣いを無にしているのです。

 修煉者の間に不愉快なことがあるのは、きっと放下していないものがあるはずです。真剣にさがせば、見つけられるものです。何もかも放下できれば、矛盾はなくなるのです。自分自身が修煉者として今日まで色々経験してきて、法理上で多くのことを悟り、多くの経験をして自分のことを偉いと思い、自分の次元を高く置き、他の同修の違う意見を認めないからです。実は自分の次元を高く置くことは、次元が落ちているのです。海が自分の位置をできる限り低くしていれば、百の川を海に合流させることができるのです。そうでなければ、海の水はあふれてしまいます。

 大法弟子は多くの苦難に満ちた歳月を経験してきました。相手が長所や短所を持っているか、うまく行っているかどうかにかかわらず、お互いに相手を大切にすべきではないでしょうか。矛盾があれば、お互いにわだかまりがあります。そのため師を助けて法を正すことが、思い通りにならないことがあります。師を助け法を正すことは、我々の史前の大願です。これを人生の中で最も重要なこととして扱っていれば、個人的な矛盾は、何の妨げにもならないのではないでしょうか。 

 一人の大法弟子は大法の一つの粒子で、大穹はこれらの粒子から構成されています。あなたは本当にすべての大法弟子を師父の肉親と見なしているでしょうか。

 師父を助けて法を正すこの最後の時期、お互いに相手を大切にし、相手を容認し、自我を放下し、矛盾とわだかまりを取り除き、大法が与えた使命をよりよく果たしていきましょう。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/10/28/318139.html)
 
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