息子と嫁の変化
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年11月16日】1999年7月20日、中国の元国家主席・江沢民は法輪功に対して狂気じみた弾圧を始めました。私は法輪功の修煉を堅持して、大法の真相を伝えたため、迫害を受けました。まだ5歳だった幼い息子は5年間母を失い、多くの苦しみを経験し、惨めな思いをしました。

 息子は中国の共産党政権の洗脳を受け、私の事を理解しませんでした。私が不満の矛先を中共に向けて反発していると思い込んでいました。不法な服役から家に戻った時、息子は鋭い目で私を睨みつけ、冷たい態度で接しました。また常にかんしゃくを起こし、家に来た同修に強い反感を抱いていました。

 息子の態度を気にせず、常に彼に気を配って、出来るだけいたわってあげました。機会さえあれば、法輪大法の素晴らしさと中国共産党政権の邪悪の本質を話しました。『共産党についての九つの論評』が発表されてから、共産政権が設立されて以来、様々な政治運動で無数の民衆を弾圧し、8千万人の命を奪った事実を話しました。ようやく息子は共産党の偽りの洗脳から抜け出し、共産党の本質を知りました。私は息子に周辺の人たちが大法を支持して報われた実例を教えました。

 息子に180度の転換が起きて、態度が変わりました。真に法輪功とは何かについて理解できるようになりました。自ら私に「中国少先隊から脱退したい」と告げました。私が大法を実証することを支持して、同修が訪ねてくれば喜んで歓迎するようになりました。

 江沢民を告訴するブームが始まって以来、私は「迫害を受けた全ての法輪功修煉者及び家族は全員表に出て、告訴の流れに加わるべきで,そのことはとても喜ばしいことだ」と息子に話しましたが、黙っていました。息子が恐れていることが分かりました。しばらくして、また息子とその話題に触れました。私は「古から、正は悪を制し、正義は必ず邪悪に勝つのです」と言いました。しかし、息子は依然として黙ったままでした。またしばらくして、私は再び「現在、江沢民を告訴した人数は16万人(その時点の数)に達しました」と告げました。ようやく息子は「私も江沢民を告訴したい。本名を使って告訴する。何も恐れることはありません」と言いました。

 息子が婚約して、お正月に相手の女性が初めて訪ねて来た時のことです。その日の朝、私は真相を知ってもらうために、明慧の卓上カレンダーを渡して見てもらおうと思いました。意外にも彼女は読まずに、食事をしただけで帰ってしまいました。翌日、仲人から電話が掛かってきて「息子さんの婚約者に法輪功を習うように強いてはいけません。厄介なことをしでかしたものだ」と私を責めました。私は「法輪功の修煉を強いるようなことはしていません。ただ真相を知ってもらいたかっただけです」と説明しましたが、仲人は納得せず「もう二度と彼女の前で『法輪功』という三文字を口にしてはいけません」と命じました。

 息子の婚約者が嫁いできてから、私は自分が修煉者だということを意識して嫁と付き合う心の準備をしました。しかし、昔から嫁姑の関係は難しい問題です。嫁は時々私にけちをつけました。何度も仲人に自分の味方をしてもらおうと私の事を歪曲するような話をしました。仲人は彼女が屁理屈をこねていることを知り、二度と関わらなくなりました。私は憤りを感じませんでした。嫁の行動はすべて私の向上のためであり、良くない心を取り除くためであると分かりました。「真・善・忍」に従い、常に優しく接して、どんなことにおいても、嫁の立場を立てました。やがて嫁の態度が変わりました。

 私は常に、私や嫁の知り合いの同修や他の人々が大法から受益した話や、神伝文化や善悪の因果応報の道理を話しました。私たち、嫁姑は完全に解け合いました。

 2年前、孫の夜泣きがひどく、夜中に寝かしつけることができませんでした。私がMP3で大法の音楽を子どもに聞かせると、あっという間に寝ました。それから、孫の夜泣きが無くなり、嫁は「法輪大法はとても素晴らしい」と感慨深げに言いました。

 今年の春、私たち5人家族は、私を除いて他の4人全員が薬を飲み注射を打ちに病院に通いました。嫁が私の夫に「お父さん、うちの家族で病気に掛からないのはお母さんだけですね。お母さんの法輪功の修煉は無駄ではなかったようですね。法輪功は素晴らしいです」と言いました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/5/318661.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/11/13/153651.html)
 
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