無意識に求めた難
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 文/中国の大法弟子 覚縁

 【明慧日本2016年2月12日】正法修煉の中で、無意識に求めることは、とても危ないものです。なぜかと言いますと、それは旧勢力が人をダメにする口実を掴み、同様に自分の修煉へ難をもたらすからです。

 例えば、地元のある同修は、春の農耕の時、畑の周辺に1本のナツメの木が生えたので、耕作に邪魔になると思い、掘り出しました。堀り出した根元と幹を細かく見て、これはちょうど杖の材料になると思い、それを加工して杖にし、いつか使えるかもしれないと思って、家へ持ち帰って保管しました。

 しばらく経って、この同修は脚が痛み始めました。短い期間で杖を使わないと歩けないほどになりました。最後には杖を使うしかありませんでした。この同修自身もこれは病気ではないと分かっています。師父が「真に修める人には病がない」と説かれました。これは旧勢力が強いて加えた迫害に決まっています。彼は何度も内に向かって探しましたが、「いつか使えるかもしれない」と不正の念で招いた難であると見きわめられませんでした。学法と同修間の交流によって、やっと気づきました。無意識に求めてきた仮相がもう少しで自分をダメにしてしまうところだったと分かりました。認識を高めた後、すぐにこの不正な念を否定し、きれいに取り除くよう発正念をしました。翌日脚の痛みは大分減って、数日後、症状は消えました。

 私がいる学法グループの中に、医者の同修がいます。ある日、テレビ番組を見ているとき、ある薬物が手の痛み止めに奇跡的な効果があると聞いて、この処方をメモする必要がある、もし誰かが手が痛い時にこの処方が使える、そう思ってメモしておきました。

 その後数日経って、彼女が洗濯している時、急に左手が痛くなり、すぐ腫れあがってきて、耐えられないほどになりました。彼女はすぐに発正念をし、師父に助けを求めましたが、症状は治まりませんでした。師父は「この宇宙には『自ら求めるものには、誰も干渉できない』という理があります。あなた自身が求め、希求していれば、誰も干渉できません」と説かれました[1]。ちょうど手が痛くてたまらない時に、彼女はその特効薬を思い出して、使いましたが結局ダメでした。

 集団学法に来て、学法と交流を通して、これは自分が「病気を治したい」という念で招いた病業の仮相であるとやっと悟りました。自分にこの特効薬を使わせ、治療効果が全然ない場合、この問題に対して、人間の理で物事を見るか、大法の基準で自分を照らしてみるかの試練です。認識を高めて悟れば、良いことになります。しかし、うまく認識できなかったら、旧勢力の迫害に遭って、ダメになるかもしれません。

 彼女は認識できた後、すぐに「大法と一致していない全ての邪念をクリアし、旧勢力のすべての邪魔と迫害を解体し、「法正乾坤 邪悪全滅、滅」と発正念をしました。翌日、病状は全くなかったかのように回復しました。「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある、とわれわれは言います」[2]という師父のこの説法についてさらに深く認識できました。

 大法の修煉はこんなに素晴らしいのです。修煉の中で矛盾にあったら、内へ向かって探せば、矛盾の根本的な原因が見つかります。このすべては我々のレベルアップのチャンスです。認識できれば、何もかも良いことになります。

 上記で挙げた二つの例を通して、無意識に求めた難に遭った時、大法の基準で自分をみるか、人間の理で測るかは、修煉者と常人の根本的な違いだと認識しました。測る基準が違えば、結果も違うはずです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『法輪大法義解』「長春法輪大法輔導員のための説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語: http://www.minghui.org/mh/articles/2016/2/5/323464.html )
 
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