文/中国の大法弟子 宇清
【明慧日本2016年9月23日】私の文章の中で語った認識は、みな個人の大法修煉と法の勉強の中で悟ったもの、見えたものなので、次元に限りがあり、個人の認識に過ぎず、認識が必ずしも正しいとは限らないので、みなさんは法を以って師としてください。宇宙の無限な真機(訳注:奥深い玄妙な理)は、みな大法の中にあります。
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では、なぜ多くの同修の副元神が巻き込まれたのでしょうか? Cさんが皆で正念を発するところへ行かなくなってから、多くの同修を集め、私が行っているのはいかに正しくないかを言いふらしたので、結局多くの同修は皆私に反対を始めました。他空間では多くの副元神が手を組み、Cさんの副元神が率いて私の肉身そして肉身の中にある真身までも破壊しました。
このあと、私はさらに次のようなごく一部の光景を見ました。
神はCさんの副元神に対し、審判をかけ、多くの罪を列挙しました。その他の副元神も審判され、法理をもとに計れば、天の条令を犯したことになり、天罰を受けた副元神もいれば、打ち落とされた副元神もおり、消滅させられた副元神もいました。
私はCさんの副元神が消滅された過程を目にしました。副元神は全身きつく縛られ、髪の毛も振り乱し、「滅」の文字が書かれた受刑用の台に置かれ、極悪非道で罪の重いものがここで受刑されるのです。この台はおおよそ、人、神、鬼、畜、滅の五つに分けられますが、それぞれまた細かく分けられます。Cさんの副元神は法を得たのですが、得られた法が回収され、師父が植え付けてくださった修煉用の全ての気機も回収されたあと、この副元神は大きな法輪に吸い込まれ、原始的な気にまで戻されました。
その後しばらくの間、ありとあらゆる次元、あらゆる微粒子で構成されたこの副元神の形象も、絶え間なく消滅されていました。この副元神に関連する、マクロの次元からミクロの次元まで、あらゆる要素と生命も絶え間なく消滅され、そして今回のことを按排し参与した乱神も、全て消滅されていました。その時間はとてつもなく長く、絶え間なく、尽きることがないのです!
師父は「すべての生命は歴史の中で行なったことに対して自分で責任を負わなければなりません。特に宇宙で法を正す中で、誰がどういう目的で、何を行なったのか、小さいことであっても、責任を負わなければなりません。法を正す中で正の作用と負の作用を果たすと定められた神、鬼、微小生命まで審判を受けなければなりません」[1]とおっしゃいました。
今回のことを通じて、私は師父が説かれた「逆手に取る」の法理をさらに理解し、悟ることができました。他空間で私の神体がバラバラに打たれたとき、同時に師父は「障眼法」という神通を使われ、あらゆる神の目を遮りました。一念で私に新しい神体を造ってくださいました。旧勢力の神が消滅したとき、師父は新たに造ってくださり、それは同時に行われました。
旧勢力の神は師父が一層一層の空間から、私のばらばらに散ってしまった神体を探していた様子しか見えないのですが、師父が私の神体を新たに造られたときの殊勝さや厳かさが見えないため、それらは自分たちが行ったことに対して師父でさえ為す術がないと思い込み、得意気になって、さらに自分たちが次に按排したことを実現しようと、人間の世界で直接手を下し、私を殺そうとしました。
旧勢力の按排によっては、私にろくな死に方をさせないと定められました。私も数回旧勢力の神に「他人のことに首を突っ込むな、手を引かなければ、おまえはろくな死に方もできないぞ」と脅迫されましたし、数名の同修の副元神に「ろくな死に方もできないやつだ」と罵られました。私はそれを聞いて、Bさんに「多くの旧勢力の神も同修の副元神も、みな私の結末を知っているようですが、しかし、法を正す過程の中に起きたことは、それらの一存で決められません」と話しました。
大法弟子は慈悲心を持ち、善を修めています。副元神に対しても、私たちと共に来た生命であり、歴史の長い年月を待ち続け、正の生命であれ、負の生命であれ、私たちと同じ宇宙体系内の生命であっても、それとも旧勢力が無理やりに押し付けられ生命であっても、私たちは彼らに対し、下って来た過程に耐えてきた辛さと待ち続けてきた辛抱を無駄にしないよう、自らを正す道を選ぶことを心から願っています。なんといっても大法弟子は神の道を歩んでいる生命であり、神の使者であり、私たちは善を伝え、自ら善を実践しています。彼らにまだ一縷(訳注:いちるとは、ごく僅かな)の生きる望みさえあれば、私たちは彼らに生きるチャンスを与えます。
しかしこのようなチャンスはわずかしかなく、一部の副元神は長年の行いに現れた心性で、彼らの位置が決められました。法に基準があり、慈悲と威厳は同時に存在してます! このことについて、私たち大法弟子は必ず冷静で、明晰でならなければならず、法を守り、お互いの短所をかばってはいけません。
師父は「あなたの修煉の中で、あなた自身と対応している天体はその大きさに関わらず、あなたの修煉の成功に従って、正しく戻されています。必ずそうです。あなたの修煉が良くできなければ、それらも正しく戻されません。もちろん、ここにもう一つの要素があります。つまり法を正すことです。私の洪大な法を正す勢いがやってくる時、良いものは残りますが、悪いものは片付けられます。ですから、法を正すことがやってくるまでは衆生を救い済度する最も良い機会なのです。その時になると、待ってくれません。法を正す洪大な勢いがやってくると、なるべきことになります」[1]と説かれました。同修のみなさん、師父の説法を学び、共に励まし合いましょう。
師父が蒼穹を組み立て変えられ、宇宙を更新される際、私たちに威徳を樹立する機会を与えてくださったこと、私たちに宇宙の中で最も偉大な称号「法を正す時期の大法弟子」を授けて下さったこと、そして「師が法を正すことを手伝う」という使命を与えてくださったことに感謝致します。これは当初、私たちが自分の命を担保にして得られた特別な栄誉です。師父の広大な仏恩に感謝致します。師父がいらっしゃるからこそ、いまの私たちの全てがあり、師父は私たちが救われる唯一の希望です! 私たちは必ず師父の言いつけをしっかりと心に覚え、師父と交わした誓約をぜひとも果たしましょう! 当初私たちは師父を信じ、師父に付いて下って来て、将来、私たちはきっと師父への正しい信念を持ち、神聖で厳かな姿で戻ることが出来るでしょう!
あとがき
悪事を働く副元神を発見してから、この文章を書き出すまでの間、多くの困難なことにぶち当たりました。この過程の中で、数人の同修に助けてもらいました。他の同修からの大きなプレッシャーや目に見えない圧力に直面した時に「もしかすると、私が間違っていたかもしれない」と迷った時、数人の同修が「それは、間違っていませんよ」と異口同音に言ってくれました。その力強い言葉、ブレない姿勢が私を勇気づけ、奮い立たせてくれました。この数人の同修が戸惑っていた時、私は隠さず自分の見解を述べ、問題の解決策を繰り返し法理について交流し、前へ進めるように共に力をわせて努力しました。この文章を書いていた時、同修はずっと妨害を取り除くように正念を発し支えてくれました。私は同修の助けに本当に感謝し、感動しました。この永遠に変わらない信頼が私たちをつなぎとめ、共に困難を乗り越え、師父と交わした誓約を果たすことができました。この場を借りて、同修に感謝の気持ちを伝えたいと思います。
師父がご加護をくださったことに感謝致します。全ては師父が把握されています。歩んできた道を振り返ってみて、心が揺れ動いた時、師父が同修に私を励ますように按排され、同修が戸惑った時、師父は自分の発した言葉を慎重に選ぶようにご教示をくださいました。異なる時期に直面したそれぞれのことに対し、どのように攻め、どのように守るのかについても、師父は全て細かく按排してくださいました。同修と重大な事件について対策を話し合った時、師父は旧勢力の神に覗かれないよう、私たちに一つの覆いを被せてくださいました。
しかし、旧勢力の按排は非常に陰険で、私と地元の同修の副元神に仕掛けをしましたので、私たちが大法のことを行う時、妨害がやってくるのはとても早かったのです。旧勢力にいつも虎視眈々と睨まれていました。座禅している時、私と同修は高くそびえる崖っぷちの間を、綱渡りをしているのが見えました。私は「絶対に誰かが自分を大目にみてくれると思わないようにし、細心の注意を払い、自分をしっかりと修め、師父が按排してくださった道だけを着実に歩みなさい」と自分にいつも言い聞かせました。
師父に感謝致します。師父のご恩は、言葉では語り尽くすことができません。
師父に感謝致します。弟子たちを連れて、蒼穹の刧難を乗り越えてくださいました。
師父に感謝致します。弟子たちの神体を、新たに作り上げてくださいました。
師父に感謝致します。弟子たちを守り、弟子たちの罪を肩代わりしてくださいました。師父のご加護がなければ、誓約を果たすどころか、弟子たち自身の身の安全も保障できません。私たちが唯一師父へ恩返しできることは、もっともっと自分を修め、精進すること以外にありません。
師父に叩頭して、感謝を申し上げます。
(完)
注:
[1]李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2016/8/31/158495.html)