文/中国の大法弟子
【明慧日本2016年10月23日】この2年間は中国の経済が著しく落ち込み、商売を営む大法弟子にも大きな影響を及ぼしました。ある同修は「この経済的迫害を発正念で否定すべきだ」と言い、ある同修は「経済的な落ち込みは周期的なもので、数年経てば良くなる」と言っています。ある同修は不振になっていく商売を見て悩み、仕方なく値下げしたり、各種の販売促進活動を行なったりしています。ある同修は「大法を学べば、福報があると言われているのに、なぜ商売は常人にも及ばないのだろう」と愚痴をこぼしています。
私は大多数の同修の認識が、未だ常人の次元に留まっていることに気づき、この場を借りて個人の浅い考えを述べてみたいと思います。
まず、中国の経済が全体的に落ち込んでいる原因を、知らなければならないと思います。根本的な原因は、まさに中国共産党による大法弟子への、ここ十数年間の残酷な迫害によるものです。以前迫害がもっと酷かった時期は、なぜ中国の経済が悪くなかったのでしょうか? それは旧勢力がむりやり中国経済を支え、絶えず外国の資本家に中国へ輸血させ、悪党の迫害を維持させていたからです。
しかし、邪悪が迅速に滅せられて、旧勢力は弱まり、中国経済やその他の各分野を操る力を失い、それに伴って社会の形勢も根本的に変わりました。経済が落ち込むのも当然なことでしょう。大法や大法弟子を相手に残忍な迫害を行う組織や団体に福報が有りえるでしょうか? 富強になって経済発展が盛んになるはずがあるでしょうか? それに、法を正す時期において、人々や民族の福報は、彼らの大法や大法弟子に対する態度によります。もちろん、大法弟子の修煉そのものにも妨害を受ける要素もあります。
師父は説法の中でこうおっしゃっています。「神韻はギリシャに到着したら、劇場に入ることを禁止され、公演の中止を命じられました。政府から劇場までこの決定を下し、公然と契約破棄したのです。翌年、ギリシャの経済は全面的に崩壊しました。これは本当のことですね? 去年、エクアドルは神韻の公演を禁止し、物資輸送まで妨害し、次の国での公演が危うく影響されそうになっていたのです。非常に邪悪でした。中共邪党が裏で妨害しているとはいえ、決定は政府が下したのです。翌年に起きたことは皆さんも見たのですが、今年、全国で地震が起き、国まで崩壊の崖っぷちに立たされたのです。たくさんの人が死亡しました。他にもあると皆さんは知っていますが、そうではありませんか? なぜこのようになったのでしょうか?」[1] このようにみてみれば、中国経済の衰退も天の意志で、善悪に報いがあるという天の理の現れで、何も不思議なことではありません。中国経済が強く盛んなのが寧ろ不思議なくらいです。「人に徳がなければ、天災、人災が起こります。地に徳がなければ、万物が凋落します。天に道がなければ、地は裂け天は崩れ、蒼穹はすべて空になります。法が正しければ、乾坤は正しくなり、生気があふれて、天地は固まり、法は長く存在します」[2]。本当に師父がおっしゃっる通りなのです。
中国経済の不振を喜んでいるわけではなく、ただ法理に沿って経済の下落の原因を分析しているだけです。迫害が続く限り、経済の下落や災害も止まらないでしょう!
中国経済のうす暗い雰囲気の中で、大法弟子の商売は影響されますか? 多くの大法弟子にはその点が見えていません。個人的に思うには、中国経済がいくら悪くなっても、大法弟子には影響を及ぼさないと思います。なぜなら、中共邪党から迫害を受けている私たちが、経済不況の標的になるはずがありません!
最近、多くの汚職官僚が逮捕され、経済が著しく悪化し、災難の連続的な発生の全ては、天からの邪党への懲罰です。大法弟子として、このすべては邪党を罰することであって、私たちとは無関係だとはっきりした認識を持つべきです。私自身を例に挙げると、商売は悪くなるどころか、売り上げは去年より大幅に上昇しました。「あなたの商売はなぜ悪くならないのですか?」という同修の質問を受け、私は「簡単ですよ。師父は私達にこう教えられました。『物質と精神は同一のものです』[3] 経済の下落が自分と関係があると思えば悪くなり、関係がないと思えば、何の影響も受けません。師父が仰った病気の例と同じです。師父は『煉功者としてあなたがいつも病気のことが頭から離れなければ、それは、求めること、病気を求めることにほかならず、そうなると病気が本当に身体の中に侵入してきます』[3]とおっしゃっていますよ」と答えました。
もちろん、時々商売が上手く行かない時もあります。しかし、私がはっきり分かっているのは、それは全体の経済の不振とまったく関係がないということです。師父は大法弟子の一人一人に最も良い按排をして下さいました。正念を持って正しく認識すれば、すべてが最良の結果になるはずです。師父は「大きいことを変えようと思っても、常人にはとても無理です」[3]とおっしゃっています。
また、経済不振の大きな環境の変化自体も、修煉者にとっては一種の試練です。あなたの基点が財を求めることに置かれているのか、または名利に淡泊で、衆生を救うことに置かれているのか、様々な心構えと要素が、違う結果を生み出してきます。
以上は、個人的な浅い認識ですが、法に符合しない部分があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「法正」
[3] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2016/9/11/158646.html)