【明慧日本2016年11月25日】私が法輪大法を修煉して既に20年経ちました。毎日大法を実証する道を歩んでおり、経歴は普通に見えますが、内心の変化は大変大きく、師父と法輪大法が私のすべてを善に向けて、変えてくださいました。
下記は私が修煉する中で、韓国人のある教授との「縁」の物語です。
修煉のきっかけ
1996年7月、私は突然倒れ、夫はすぐに病院に搬送しました。診断した医師は、科長に頼んで直接診てもらいました。当時、私は頭が非常にはっきりしていましたが、話すことができませんでした。主任の診断は「精神病」で、私を精神病院に送ることを勧めました。私は声を出せませんでしたが、精神病院に送られるのを拒否し、家に連れ帰ってもらいました。病院を離れた時に、診断した医師が夫にある小包を手渡しましたが、家に帰ると夫は小包を一番奥の部屋に隠しました。
3日間全く食事が摂れず、全身に力が入らず、トイレまで行けなくなり、静かにベッドに横になっているしかありませんでした。私は突然、あの小包を思い出し、一体あれは何か気にかかりました。夫が出かけてから、私は奇跡的に起き上がり、好奇心で奥の部屋に行ってみました。小包がどこに置いてあったかは全然知りませんでしたが、身体が自然に小包の置いてあるところに向かいました。小包を開くと、『轉法輪』という本でした。私は午後から夢中でその本を最後まで読みました。すると奇跡が起き、私の病気がすぐに治りました! 食欲が出てきて餃子を食べたくて、自分で自転車をこぎ、しかも息子を乗せて料理店へ餃子を食べに行きました!
それから私は法輪大法の修煉の道に入り、無病になり、それ以来、身体が常に軽く感じています。
韓国人の教授は、私を「一番信用できる人だ」と言います。
2005年7月、他人の紹介で、私は青島のある大学の韓国人教授の家政婦として仕事を始めました。私の仕事は掃除をし、食材を買いに行き夕食を作ることでした。教授の衣服やベッド用品などすべてクリーニング店に任せ、私は戻ってきた物の枚数をただ確認するだけでした。
仕事は簡単でしたが、はじめ教授は私を信用せず、常に仕事の途中で、私が何をしているのかを見に帰っていました。教授のお金は引出しに入っていますが、私はそれに一切触れず、常に教授が帰ってから、かかった費用を請求していました。3カ月後には、教授は金額の確認をやめ、朝7時に出かけ、午後4時半に帰り、途中で帰って来て確認することをやめました。教授は私の修煉を尊重し、家を私に全て任せ「一番信用できる人だ」と称賛してくださいました。
教授は1人の中国人女性の翻訳者を雇っています。女性翻訳者は「伯母さんが修煉しているのは法輪功で、中国では禁止されています」と教授に言いましたが、教授は「いいじゃないの」と答えました。教授は時々家族を連れて外食に出かけます。女性翻訳者は「伯母さんも一緒に連れて行くんですか」と教授に尋ねると、教授は「我が家の門に入ったら、皆同じ家族ですので、一緒に行きましょう」と答えました。車に乗る時に、教授はいつも自らの手でドアを開けて私を先に乗らせ、下車の時も私の側のドアを先に開けてくださいます。教授はロシヤ、アメリカ、カナダなどの大学の教授の友人が大勢いて、食事の時に常に「伯母さんは法輪功を修煉しており、毎日長く座禅していて、とても素晴らしいのよ。私は大変尊敬しています」と皆に紹介します。しかし、安全を考慮して中国人の前では、私が法輪功を修めていることを隠して言いません。
私は毎日午前、教授の家で学法し、煉功してから路線バスに乗って青島市内へ法輪功の真相チラシを配りに行っています。教授は「気をつけてね」といつも言ってくれます。教授の家の家政婦として5年間働いて来て、私は漏れなく青島市内の各地区にチラシを配り、法輪大法の素晴らしさを多くの家庭に届けました。
教授も何かを信仰していて、機器で人の精神レベルを測るのが好きです。普通の人は200くらいで、女性翻訳者は700、教授は800、そしてイェスさまは1200だと言っています。数値が高ければ高いほど神様に近いそうです。私も測定を常に要請されていましたが、私は別の宗教のことなので、自分は関わらない方が良いと思い拒否していました。
ある日、女性翻訳者が「あなたには測定を受ける勇気がないのでしょう。測定してもせいぜい200くらいしかないでしょうね」と挑発的な発言を私にしました。私は本当は測定にあまり興味がなかったのですが、どうしても測定しなければならなくなり「測定を受けます」と言いました。測ってみると、機器の針が素早く回転し、どこを指しているのか分からず、数値は機器上の数値を遥かに超えていました。皆は衝撃を受けて、イェスさまよりも何倍も超えたので驚きました!
それからは、教授の家にいる全員が私を非常に尊重してくれています。女性翻訳者は、かつて彼女のベッドや私物に接近するのを禁止していましたが、その後、常に私の手を引いて、彼女を守るようにと頼んできました。私はいつも彼女が寝てから自分の部屋に戻っていきます。
息子の面倒をみる必要があるため、私は家政婦をやめようとしました。しかし、教授はどうしても私を放そうとしませんでした。「かつて他の人を雇用しましたが、誠実ではなく、お金を乱用したり、物を盗んだりしていたからよ」と教授は言いました。仕方なく、私は1ヵ月の休暇を取りましたが、教授はその休暇の1カ月間の給料も私に支払ってくれました。
2010年7月、教授はカナダへ転勤になり「あなたのような良い管理人は、もう見つからないわ」と私に同行を頼みましたが、私の家族の事情もあるため、同行を断りました。教授は「私の転勤のために、あなたは仕事を失うので、1カ月分の給料を余分に支払ます」と言い、自ら私を100キロメートル離れた実家まで送ってくださいました。
教授は法輪大法の本を購入し「カナダでまた大法修煉者に出会うことを期待するわ」と言いました。
ある日、インタネットを通して映像を見ながら通話していた時に、教授の娘は興奮を隠しきれず「パパは私を連れて、神韻公演を見ましたよ! 素晴らしかったわ! 神韻公演をこの目で見ることが出来て、本当によかったわ! 本当に神様たちが舞っているようでした」と私に話してくれました。
昨年教授は中国に来て、私の県の韓国人の友人に会いに来た時に、再び私と女性翻訳者もさそって、ご馳走してくれました。教授は、再三私にカナダまで来るよう要請しましたが、家庭の事情もあり、私はご一緒することが出来ませんでした。