一部の大法弟子はなぜ内に向けて探せないのか (三)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年11月26日】(前文に続く)

 七、正念でトラブルに対処し、別の角度から衆生を救うことについて考える

 違うトラブルは異なる執着心を暴露することができます。たとえば、戦いの中で、隠れた相手を引き出すには、さまざまな陣を設けなければなりません。この比喩は適切ではないかも知れません。私が言いたいのは、トラブルが発生したさい、大法弟子は法に則って内に向けて自分の人心を探し、その中から執着心を暴露させ、取り除けば次元の向上を得ることができます。

 トラブルの中で現れた個人の是非や事件そのものの是非などは重要ではありません。それは「陣」のように、ただ執着心を引き出したり、暴露したりする作用でしかありません。

 重要なのは、大法弟子はいかに法に則って問題に対処し、いかにトラブルの中から現れた執着心を取り除くこかということです。微粒子空間にある執着心を取り除けば、大法弟子は向上できます。粒子が小さくなればなるほど、次元も高くなるため、さらなる微粒子空間の執着心を取り除けば、それに相応する次元への向上が得られます。と同時に、それと相応する厖大な天体空間にいる無数の生命も法に同化し、救われて新宇宙の生命になります

 師父はこうおっしゃっています。特に法を正す間、宇宙にいるすべての正の生命も負の生命も今回の法を正す中で救われ済度されたいと思い、中に最も高い各次元の無量で巨大な神も含まれており、特にその世界の衆生も含まれていて、そのため、それらは皆この世と三界に足を突っ込んだのです。それらはこの万劫(まんごう)一遇の命が救われる機会を失いたくないのです。あなたは私を救うべきだ、皆があなたは私を救うべき、救うべきだと言っていますが、その表現形式は世間の論理や認識のようなものではなく、人に何かを頼むとき礼儀正しく、慎み深くなければならず、私を救ってくれるから、まず感謝して、便宜を図ってあげるという認識ではありません。それらから見れば、私を救ってくれるなら、まず私の次元に達し、この威徳を持ってはじめて、私を救うことができます。あなたにその威徳がなく、私ほど次元が高くなければ、どうやって私を救うのでしょうか? それでそれらはあなたに挫折を味わわせ、苦を嘗めさせ、あなたの執着を取り除いて、あなたの威徳を打ち立てて、あなたがある次元まで修煉してから、その生命を救うことができ、すべてこのように行なっています」[1]

 この点から見れば、内に向けて探し、執着心を取り除けば向上しますが、内に向けて探さず、執着心を放任し、向上の機縁を失えば、大法弟子が代表する厖大な天体空間の無数の生命の生死が関わり、大法弟子による救いを待っている旧宇宙の無数の高次元生命群の生死にも関わってきます。

 ですので、衆生を救う観点からみれば、内に向けて探すことは大法弟子個人の思想の問題、したいまたはしたくないかの問題に止まらず、内に向けて探さなければ、無数の生命群が直接それによって壊滅されてしまうことになるかも知れません。正法には進展過程があって、一層一層と押し進められていて、あなたが相応する修煉状態に達していなければ、その層の厖大な生命群は救われるチャンスを失い、正法の中で旧宇宙と一緒に去ってしまいます。

 衆生を救うことはどれだけ厳粛なことでしょう!

 トラブル自体は非常に貴重です。一つのトラブルを引き起こすには機縁が必要ですが、その機縁は1回しかないかも知れません。しかし、一部の執着心は非常に頑固で、1回のトラブルだけではきれいに取り除くことができず、何回も経てやっと取り除くことができます。私は半年をかけて怨む心を取り除く経験をしました。半年をかけても、きれいに取り除いたとは言えないぐらい心がすっきりしませんでした。しかし、もうチャンスは訪れてきませんでした。

 八、修煉過程程を振り返る

 修煉過程を振り返り、完全に自分の悟りに頼って修煉していく私は、いかに消沈状態から脱出し、いかに恐れる心を取り除き、いかに各種の内外の妨げや困難を乗り越え、いかに師父の法に従って堅実に修煉していき、いかに執着心や観念、旧勢力と戦う中でそれらを排除し、常人社会に惑わされず、常に覚めた状態を保ち続けるかなどについて、さまざまな方法を模索してきました。

 困難に出会い、自信を失ったさい、私は自分を慰め、励ましました。良く出来たとき、自分を褒めました。もっと早く前進できるように、私は絶えず自分に新たな要求や目標を課しました。また、法の基準に達することができず、怠けたり、過ちを犯してしまったとき、厳しく自分を叱りました。

 トラブルや困難、妨げ、魔難、または発生している事件の中で、私はできるだけ深く考えて、内に向けて常に「なぜ? なぜ? なぜ?」と自問してきました。

 一つの執着心を取り除くのに、ある大法弟子は一念でそれを排除し、ある弟子は1カ月、ある人は1年、ある人は10年をかけても取り除くことができず、甚だしきに至っては、未だに執着心を見つけることができていない人もいます。なぜでしょうか? 自分に課した要求のレベルが違うからです!

 注
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」

 (完)

 
(中国語:http://big5.minghui.org/mh/articles/2016/10/9/336083.html)
 
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