内部からの気づかない妨害にご用心
■ 印刷版
 

文/同真

 【明慧2016年11月27日】私個人の認識ですが、同修の中で、外部の邪悪からの直接の破壊と妨害に対しては識別しやすいのですが、修煉者の内部からの妨害に対しては往々にして見落とされています。

 現在の天象の発展と変化から見て、衆生救い済度に残された正法の時間はすでに限られてきました。しかし、同修間での内部のトラブルやお互いの妨害による時間の無駄遣いがひどいのです。皆大法弟子で、お互いに信頼し、一緒に学法し、一緒に真相を伝えているので、徐々に仲の良い友達になり、何でも話すようになりました。関門に遭うと、同修に話し、修煉の中の問題に遭うと、同修に話し、徐々に常人との問題に遭っても同修に話し、同修から直接の意見をもらいたがります。月日が経つうちに同修は一緒にいるとき常人の話題に多くの時間を使うようになりました。

 ときには、この状態がよくないと思っていますが、法理がはっきり分からず、法の上でこれも一つの妨害だとはっきり認識できていません。同修の間は包容すべきだといつも思い、何事も偶然ではなく、うちに向けて探すべきと分かっていても、正法の基点から探すことができず、個人修煉の枠の中から出ることができず、結局師父の巨大な苦難により延長された貴重な時間を浪費してしまいました。

 「私たちの遇ったことはみな偶然ではない」と考え、うちに向けて探すことは間違っていませんが、修煉者間の関係は法理に基づいたものでなければならず、信頼も法に対して、修煉者に対して責任を持つべきです。私達は上述のような状況に遇ったとき、「自分には何か隠蔽している執着がまだあるのではないか」と問わなければなりません。大法弟子の時間を占用するのは大法資源を占用する事と同じなのです。現在、時間は私たちの無駄遣いを許しません。私たちのうちに向けて探すことは個人修煉の次元の上で探すだけではなく、正法の上で探すべきです。

 師父は私たちに教えられました。「魔難がやってくるとき、本性の一面から認識することができず、完全に人間の一面から理解しているため、魔はこれを利用して尽きることのない妨害と破壊を行ない、学習者は長期にわたり魔難に陥っています。本当のところ、これは人間の一面の法に対する認識不足から起こったことで、人為的に皆さんの神の一面を抑制し、つまり皆さんが修めてできあがったその部分を抑制し、法を正すのを阻んでいるのです。修めてまだできあがっていない一面が、どうして主思想を抑制し、すでに法を得た一面を抑制することができるものでしょうか? 人為的に魔を助長し、それが法の隙につけ入っているのです。弟子として、魔難がやってくるときに、本当に平然として動ぜず、または異なる次元のあなたに対する異なった要求に符合するよう心を放下することができれば、充分に関を乗り越えます。それでも魔難が尽きることなく長引くのであれば、もし、心性または行動にその他の問題がないのであれば、きっと邪悪な魔が皆さんの放任している隙につけ入っているに違いありません。修煉者は、なんといっても常人ではないのですが、ならば、本性の一面は、なぜ法を正さないのでしょうか?」

 正法は最後の時期に至りました。邪悪は大法修煉者に再び迫害のピーク時のような攻撃ができなくなりました。そのため、邪悪の攻める形式もかなり隠蔽され、一方は低次元の霊敗物で大法弟子の堅い信念を消耗し、大法弟子を消沈状態に引き込み、他方では同修間での執着或いは法に対する認識不足を利用し、正法に与えられた貴重な時間を消耗させ、大法弟子の人心を助長しています。

 邪悪は正面から攻めることができず、修煉者内部から突破口を作って私達を攻めているのです。私たちは各種の妨害に対し、法の上ではっきり認識しなければなりません。悪人からの現れに関わらず、修煉者内部に潜んで、大法弟子の取り除いていない執着を利用して現れたことに対して、私たちははっきり識別しなければなりません。修煉と衆生の救い済度に妨害をきたすものがあるとき、正念でみな取り除かなければなりません。

 最後の時期になり、大法弟子はみな成熟しなければなりません。修煉者の意志を消耗させるさまざまなものに対して警戒しなければなりません。さもなければ、大法弟子の善良、大法弟子の包容、大法弟子の法に対する認識不足が利用され、人々を救い済度するチャンスが減少されます。私たちは正法の大きな目標の上でこのような全てをはっきり認識しなければなりません。

 浅い悟りで、妥当でないところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「道法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/15/337700.html)
 
関連文章