発正念の際、手が倒れる問題をやっと解決
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年1月12日】同修の交流文章を読んで、私はやっと長い間発正念の際に、手が倒れる原因が分かりました。主に二つの原因があります。一つは、交流文章の言うように、私は発正念を基本的な要領に従って行ってこなかったことです。もうつは、安逸な姿勢に慣れ、発正念の際、背中をソファーや椅子にもたれ、楽な姿勢でしてきたからです。このつの原因で、邪悪の妨害を招いてしまい、15年来、発正念において手が倒れたり、両手を閉じてしまったり、眠ってしまうなどの問題が長期にわたり存在していました。このため、邪悪を解体し妨害を否定したり、各方面において心性の問題を探したり、また、さまざまな常人の対処方法も試してきましたが、大した効果が得られませんでした。 

 今回、同修の文章を見てやっと分かったのですが、今までの自分は厳格に法の要求に従ってこなかっただけでなく、習慣的に安逸を求め、邪悪に迫害の口実を与えてしまったのです。問題を認識してから、私は直ちに発正念の姿勢を正し、身体をどこにも寄りかけず床に座り、腰を、背中を、首を、頭をまっすぐにすると、手は胸元で自然に正しい位置になりました。そうすることで手は倒れず、雑念がなく、眠気も消えて、良い効果がすぐに現れました。ただ、姿勢を正してからの最初の数回は、背中に疲れを感じましたが、2日ほど続けているうちに良くなりました。

 これがきっかけで、私は師父が再三に強調されている、三つのことをしっかり行うことに対して、新しい認識を得ました。今までの私はずっと「三つのことを行う」と「三つのことをしっかり行う」の違いを混淆(こんこう)し、ひたすら三つの内の一つも抜けないようにすれば良いと考えていました。今回、私はその両者の違いをはっきりと認識しました。ただ三つのことの実行に満足するのではなく、三つのことを行う過程で内に向けて探さず、法の要求に照らし合わせて自分の念や考えを正さず、心性の向上を絶えず追求しなければ、すべては形式だけになりがちだということが分かりました。三つのことをしっかり行っていないのに、全部堅持して行っていると思っている同修は、自分がよく修めているという錯覚に陥ったり、また、全部行っているにもかかわらず、迫害に遭ったり、生命を旧勢力に奪われた同修を見ると、理解しにくいこともあるでしょう。

 三つのことを実行する過程で出遭うトラブルや困難の中で、自分の問題を探し、絶えず自分を正していなければ、三つのことをしっかり行ったとは言えません。なぜなら、自分を昇華していないからです。その中で、邪悪による迫害や妨害も受けやすくなります。なぜなら、彼らはあなたを迫害する最大の口実を掴んでおり、それは、あなたが法の要求に従ってしっかりと行っておらず、自分を修めておらず、効果が低く、ただ、時間を無駄にしているからです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/1/3/340363.html)
 
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