文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年1月18日】ある日の夜、2人の協調人が私のところに訪れ、今、同修のHさんが魔難に遭い邪魔され入院している。彼の家族は医者からHは右半身に感覚がなく、食物を飲み込む機能が低下し、これ以上治療しても何の効果もないと告げられ、Hさんを養老院に送ろうとしていると言いました。
このことを知り、同修らは皆非常に焦りました。最後に、介護の仕事をしている同修に、しばらくHさんの面倒をみてもらうことにしました。私は介護士の同修や他の同修らと一緒に果物を持って、病院を訪れました。Hの家族に介護士の同修を紹介し、H同修を養老院に送らず、安心してHを介護士の同修に面倒を見てもらうように勧めるするためでした。
病院に到着すると、Hのお兄さんに会い、Hの状態を尋ねました。Hの兄はこの病院では、すでに治療できなくなったと言いました。彼は大法のことをあまり理解しておらず、大法に抵触していて、Hに対して不平不満をこぼし、翌週月曜日に退院し、養老院に送ると言いました。その後、同修らの善意な交流を通して、彼の態度も和らぎました。顔には少しずつ微笑みが浮かんできました。Hの兄は、今Hが住んでいる部屋は非常に汚いため、時間をかけて掃除しないといけないと言いました。私は「お兄さん、これは問題ありません。部屋の掃除は私達がやります」と言うと、Hの兄はこれらの話を聞くと非常に喜び、最終的に同修を養老院に送らないことに同意しました。
難に陥った同修を助けることは、自分の各種の執着心を取り除く過程でもあります。帰宅する途中、私は同修に相談し、午後何人かの同修を探して一緒に掃除に行くことでかかる時間も短くなるし、明日また自宅で心を静めて、学法すればよいと言いました。お昼1人の同修のところに行きHの状態を伝え、いま掃除が必要だと伝えました。その同修は「今日は私達の集団学法の日です」と答えました。しばらく経っても、彼女はHの所へ行くことに賛成しませんでした。私たちはまたもう1人の同修のところに向かいました。途中で2人の同修に出会い、彼らにもHの状態を説明しました。その2人の同修も「今日は集団学法する日です」という答えで、私達と一緒に掃除に行こうとしませんでした。私たちは一時間近く待ちましたが、何の知らせもなく時間を無駄にしただけでした。
戻る時、私は同修に「彼らは学法したいといいますが、誰が学法したくないですか」と言いました。どんなことが現れても、偶然ではありません。事後、内に向けて探すと、私には掃除をしたい心と他の人にも掃除を依頼したい心がありました。また、今日あなた達も学法しないで、私達と一緒に掃除をしに行きましょうという強制する心もありました。私がこれほど良くない心を持っているのに、他の同修達がどうして私達と一緒に掃除に行こうとするでしょうか。深くまで根を掘り、これらの良くない心を取り除きました。
しばらくして、私達はHの自宅に行くと、部屋の中は長い間、人が住んでいなかったようで、地面には分厚い埃がたまり、竈(かまど)のまわりには分厚い油汚れがあり、シンクの縁には食べ残したご飯とおかず、洗ってないフライパンや茶碗、お皿が山とあり、白い食器棚の上はおかずのスープで汚れていて、目も当てられないほど本当に汚かったのです。私たちは各自使える道具を見つけて、自分の家の掃除をするように一生懸命、掃除をはじめました。私たちが2時間以上をかけて掃除していると、終わるころにHの兄がやって来ました。部屋が綺麗になったのを見て「きれいに掃除してもらい、本当に住み心地の良い家になりましたね」としきりに感謝されました。午前中に、病院で会ったときと別人のようでした。
2日後、Hは帰宅しました。協調人はHの自宅から近い学法グループを探して、その同修たちが交替でHと一緒に学法するように按排しました。私達もその中の一つの学法グループで、グループ学法が終わった後、私は皆にHのことを伝えました。一緒に学法することに同意する人、同意しない人、黙っているいる同修もいました。また一度Hの自宅に行った同修で再び行こうとせず、用事があるから行けないと断る同修もいました。その後、私は同修と単独に交流し、同修が魔難に遭っていて、私達の助けが必要であると伝えました。1人の同修が以前、Hは修煉者らしくない振る舞いをし、修煉者でもないのにあなた達は彼を助けに行っていると言いました。もう1人の同修は、H以外にも病業状態でありながら、同修が助けていない同修がいる、あなた達は皆間違っていると言いました。協調人に対しても、意見がありました。これらを聞き、私は少し心が動じましたが、直ちに心を静め、Hに例え漏れがあるとしても、それは大法の中で正すべきで、邪悪が同修を迫害することを絶対に許してはいけない。私は必ず同修を助けようと決心しました。
最初Hの自宅に行き、一緒に『轉法輪』を一講学んでから、Hに歩いてみるように、また身体を動かすように勧めましたが、彼とは交流しませんでした。Hはよだれを流し、食事をする時多くの食べ物を口からこぼしました。私はHが汚くて少し嫌でした。一度、1人の同修は私と一緒に学法に行きましたが、Hの状態を見てずっと吐き気がしました。私もお昼ずっと吐き気がして、食事も出来ませんでした。その後、人間の方法を取り、Hが食事を取る時に彼を見ませんでした。すると、少しよくなり吐き気がおさまりました。その後、これは私に汚いことを恐れる心を修めさせるためであると悟り、しだいにHがよだれを出し食べるのを見ても、それを拭いて上げたりし、少しずつ吐き気がなくなりました。
Hと一緒に学法して、しばらく経ちました。ある同修が学法してからHと法に基づいて交流し、向上すべきだと提案しました。そこで学法が終わると、Hと交流しました。Hはテレビを見ることが好きでしたので、私はHに「あなたはテレビを見るし、以前良くないことをしたこともあり、それらはあなた自身ではありません。それは他の空間の邪悪のあなたに対する迫害ですので、それを抑制し、はっきりと認識しなければいけません」と伝えると、彼は感動して泣き出しました。
もう一度、私は年上の女性同修と一緒にHの自宅に行き、入ってまもなく、介護士の同修がHの良くない現れについて語りました。Hはあちらで目を大きくし、指で介護士の同修を指差し、その同修に言わせたくありませんでしたが、介護士の同修は続けて話しました。Hは怒り出し、足で介護士の同修を蹴りました。介護士の同修はそれを避けましたが、Hはなおもしつこく車椅子を動かしながら、介護士の同修のところに行き殴りました。私は、これを見て面倒をみる彼をなぜ殴るのかと思いました。一緒に行った同修は用事があり、先に帰りました。私は残って、その2人の同修と交流しました。私はHに向け「あなたの良くない現れを目にしましたが、それは私の現れでもあります。私も家族を怒るので、それを改め取り除くべきです。今日、介護士の同修はよくやりました。『煉功者としては、殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さないで、常に高い基準で自分を律しなければなりません』[1] 介護士の同修は耐えましたが、あなたは忍べなかったですね。あなたは次回これを改め、よく行えるように望みます」と言うと、Hは真面目に聞いていました。
しばらく経ってから、介護士の同修はまた私たちにHがどうこうと言いました。私は師父が同修の口を借りてこのことを語り、私達が向上しているかを試していると悟りました。今回Hは介護士の同修をみていましたが、責めませんでした。私はHに「今日、あなたはよく我慢できましたね。向上しましたよ。私も怒るという良くない習慣を取り除きました。まるで師父が説かれたように『法を学びて法を得る 比べて学び比べて修す 事々対照し 做すところ到るは是れ修なり』」[2]本当にその通りでした。
修煉とは、どんな時でも自分を修めるべきです。それから、毎回学法する度に私たちは皆向上していき、ますます良くなりました。Hはよだれを出すことも少なくなり、自分で食事を取れるようになり、片手を握って、しばらく歩くことも出来るようになりました。介護士の同修も学法する時に、どもらずに流暢に読めるようになりました。
身体が邪魔されている同修を助ける過程において、私は不平不満をこぼす心、依頼心、焦る心、怒る心など多くの良くない習慣をなくし、悪い心を取り除きました。二回目に交流する時、私は新しい体験がありました。師父は私たちに「一人の修煉者として、修とは自らを修めることです」[3]と説かれました。同修を助けると言いながら、実は自分を助けていました。魔難に陥っているHの良くない現れを見るのではなく、自分自身を正し、修めるべきです! もし、1人が、Hがよくないと思い、2人がHがよくないと思い、すべてのHを助けて学法する同修が、Hをよくないと思ったなら、彼の身体の状態は良くないままになります。もし、私達一人ひとりが皆自分の不足を見出し向上すれば、難に陥った同修もきっと良くなるでしょう!
この3カ月間の学法と交流を通じて、Hを助けていた同修は皆向上し、難に遭遇した同修の状態も本当に良くなりました。
以上、法に基いていないところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「着実に修める」
[3] 李洪志師父の経文:『ヨーロッパ法会への祝辞』