文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年1月21日】私は1994年に法輪大法の修煉を始めてから、すでに22年も経ちました。今まで修煉体験を書いたことはありませんでしたが、今回、初めて書いたものは、修煉して自分を高める体得ではなく、それは苦痛に満ちた教訓でした。
昨年、妻(同修)は病業で亡くなりました。その後、私は長い間法を学ばず、常人の情に陥り、虚しく、寂しく、何をしてもやる気が出ず、三つのことも怠っていて、状態は非常に良くありませんでした。
ある偶然の機会に、微信(ウィーチャット)で常人と知り合い、彼女に一緒に投資をしようと誘われました。その時、私は投資についてあまりよく分からず、修煉者としてこのようなことに手を付けてはいけない、旧勢力からの妨害の可能性が高いと思い、そこできっぱりと断りました。
その後、また他の人と知り合い、今度の人も投資をしている人で、彼女は私を誘わず、ただ投資から得た収益を見せてくれました。最初はあまり気にしませんでしたが、時間が経つにつれて少し動揺し「これは投資で、株の売買ではない、法に符合しないことでもない(実は口実)、このように苦労せず金儲けができ、しかも周りの親族に自分の能力を示すこともできる」と思いました。そこで5万元を投じてみました。早速2万元の収益を手に入れ、さらに10万元を追加投資しました。しかし、思いがけないことが現れました。その後、損失が続き、最後になって15万元全てを失いました。
その後、少し目が覚めたように、自分が間違っていたと気づき、失敗から自分の様々な執着心、貪欲、安逸心などを見つけることができました。しかし、これらの執着心をさらに掘り下げ、取り除こうとしなかったため、後に禍根を残すことになりました。
その後、しばらくは落ち着いていましたが、しかし、やはり精進できず、微信で真相を伝えようと思い、絶えず友達を追加しました。ある日、ある人と職業について話しているうちに、彼女は投資部門のマネージャーだと自己紹介したので、私は自分の投資体験を話しました。彼女は、自分の会社が国営企業でとても管理が厳しく、彼女の会社の投資に加入してほしい、そしてすぐに損失を挽回することができると言いました。
私はまた動揺しました。最初、僅かな投資から始め、次第に誘惑に負けて、どんどん投資額が増え、ますます深みにはまり、最も多い時、100万元も投資しました。最初は利益が多く、資金が一時倍に増えました。しかし、前の悲劇が再現し、数回失敗した後、資金は元本の5分の1にまで減りました。
私の生活はすっかり駄目になり、煉功も学法もできず、頭の中には相場と金儲けのことばかりで、心も相場の変動によって動揺し、ほとんど常人と変わらなくなりました。
ちょうどその時、明慧ネットで株の売買をして失敗した交流文章を読んで、ようやく目が覚めました。以前、自分は間違っていると分かっていながらも、しかし、前の損失を挽回してから手を引こうという、幸運を望む思いがありました。
今から考えればなんと愚かなことだろうと思います。誤った道を歩み、明らかに師父の法に符合しないことをしてしまった自分が悔しくてたまりません。師父は明確に株の売買は駄目だとおっしゃっています。投資といっても売買をしているので、儲かる時はもっと儲けたい、損失が出た時はそれを挽回したい、賭博とまったく同じではありませんか? ただ自らを騙して、認めようとしないだけでした。
相場が良くない時、正念を発して妨害を取り除き、相場を好転させようと、これはなんと卑劣な手段ではありませんか! 超常的な方法で金儲けをしようとして、それができるでしょうか! 旧勢力は虎視眈々と、あらゆる方法で私達を迫害しようとしているのに、どうして儲けさせるでしょうか! これはちょうど旧勢力の罠に嵌ったのではありませんか?
取引をしている間、心の葛藤もありました。間違っていると知っていながらも、諦めたくない、損失を挽回したい気持ちが優位に立ちました。それは背後に邪悪の要素の妨害があったからです。投資の誘惑に負けたのも、偶然に見えても、必然的なもので、それは利益に執着し、漏れがあったから、旧勢力に隙に乗じられ、泥沼に引きずり込まれたのです。旧勢力はそれによって経済的な迫害を強め、もっと多くの損失をさせ、最後に修煉を諦めさせ、常人に引き戻そうとしたのです。本当に恐ろしいことでした。
師父の説法の中の、失うものがなければ得ることもなく、修煉者は名誉や利益に淡泊でなければならないという法理が分かりました。「北京のある学習者が、夕食の後、子供を連れて前門大通りをぶらぶらしていると、そこで景品くじを宣伝する車を見かけました。子供は面白がって、『買って、買って』と言い出したので、彼は子供に一元を渡しました。引いてみたら、なんと二等賞に当たって、賞品は子供用の高級自転車でした。子供は嬉しくてたまらない様子でしたが、彼は『しまった』と、頭から冷や汗をかきました。『ぼくは煉功者なのだ。こんな物を求めてはならない。このような不義の財をもらうと、どれだけ徳を失うことになるだろうか?』」[1]と師父は説かれています。当時、師父のこの説法はよく頭に浮かんできましたが、しかし、やはり強烈な執着心が寄せ付けず、完全に罪深い利益の渦に巻き込まれてしまいました。
同修と交流することにより、今、その渦から完全に脱出しました。大きな石が取り除かれたようで、心が随分軽くなりました。自分は犯してはならない過ちを犯し、自分の修煉の道に大きな汚点を残し、大法に泥を塗り、なんと悲しいことでしょう! 自分の名利心、貪欲、安逸心、色欲、投機に対する心、顕示心などなどがもたらした結果です。周囲の人に自分を顕示して、自分の後半生を良くしようとしたり、後顧の憂いもないようにしたいとは、法を固く信じていないことです。法を正す時期はすでに終盤になったことを信じていないことです。現在の延長された時間は師父の巨大な犠牲と引き換えられたものです。それでもまだ、常人の幸せな老後を考えている自分は、法の要求とどれほどの差があるでしょうか。
投資から完全に撤退した今でも、時には損失を取り戻したい考えがまだ浮かできます。私は必ず法をしっかり学び、邪念を一掃し、正念を固め、三つのことをしっかり行い、師父の慈悲なる済度に背きません!
私はこの文章を書いて、皆さんに反面教師として提供し、同時に邪悪を暴露したいと思いました。同じ考えを持っている、あるいは同じ行為をしている同修は早く目を覚まし、悪魔の洞窟から脱出し、旧勢力にいかなる乗じる隙も与えないでください。最後の限られた時間に自分の修煉の道をしっかり歩み、本当に師が法を正すことを手伝い、衆生を救い済度し、これ以上師父にご心配をおかけしないようにしたいと思います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』