文/黒龍江省の大法弟子
【明慧日本2017年2月7日】私は修煉する前、短気なうえ、心臓病、関節リウマチ、神経衰弱症などの様々な病気を持っていて、生きているよりも死んだ方がましでした。私は人生の意義を真剣に考えながら、どうすれば健康な体を手に入れることが出来るのか悩みましたが、答えを見つけることは出来ませんでした。私が最も理解できなかったのは、自分が医師でありながらも、そして、大きな病院と有名な専門家の医師がすぐそばにいるのに、治療が出来ないということでした。
私は自分の人生について悲観し、失望しているまさにそのとき、1993年3月に幸運にも法輪大法に出会いました。大法は私を真・善・忍に基づいて良い人になるように教え導き、すぐに健康な体を取り戻しました。
法輪大法を修煉してきた20年の間、私は健康で薬を飲んだことがなく、注射もせず大量の医療費を節約できました。修煉を経て心身が浄化され、道徳が昇華し、他人のことを先に考え、一度も個人の利益を問うことをしませんでした。
仕事は勤勉で、誠実に行い、心身ともに身軽になりました。同僚と患者は皆私が法輪大法を学んだ後、若くてきれいになったと言います。私を尋ねる患者はますます多くなり、昼休みの直前は何度も患者が並びました。私は患者がより早く痛みから解放されるようにと、休憩をとらずに治療を続けました。患者たちはとても感動し、夕食に招待してくれましたが、私はその度に「法輪功を修煉する者として、師父が人を思いやるようにと教えてくださったので、手間をかけさせる訳にはいきません」と言って断っていました。その後、食事をもてなしたい患者の考えを断念させるため、私はいつも弁当をもって出勤するようにしました。
患者は皆私のことをとても尊敬していました。私のところにくれば治療だけではなく、法輪大法の真相を聞くことが出来ると同時に「三退」することが出来ました。私は病院でビジネスをする2人の修煉者と協力して、職場の数百人の従業員を「三退」させました。病院で三退していないのは、党文化に酷く害された4人だけです。私の親戚90人も共産党組織から脱退しました。私は自分自身に美しい未来を選択した衆生を嬉しく思いました。私は日々佛光に包まれています。
私の家は6人兄弟で、姉と兄がいて私は末っ子です。2007年に私は退職しました。職場は私を再雇用しようとしましたが私は同意しませんでした。なぜなら、81歳の母が1人で住んでおり、姉と兄は皆自分たちの家を持っており、事業がとても忙しくて母の世話をする暇がないからです。私は大法弟子なので、母が快適な晩年を過ごせるように、世話をすべきだと思いました。2008年、私は母のところに引っ越して一緒に住みました。日々母の世話をすると同時に、大法弟子のやるべきこともしました。日々の時間は切迫感がありましたが、心はとても嬉しく思いました。
ある日、母は「私はもう歳なので、若いころに貯めたお金と装飾品をあなたの兄弟たちに渡そうと思っているの。去年彼らにそれを渡したけど、あなたには何も言わなかったの。あなたはそれをどう思う?」と言いました。私は笑いながら「お母さん、私はお母さんの娘です。それだけで十分です。私は大法を学んだ後、これらのことは全部淡々と見るようになりました。兄と兄嫁に与えることに同意します」と言いました。また、母は市内の中心部にある80坪の建物を4番目の兄に与えてもいいかと私に尋ねました。私は「お母さん、家はお母さんの物だから誰にあげるかを決めるのは、お母さんの好きなようにすればいいですよ、私は賛成します」と言いました。
兄と兄嫁は後でそのことを知り、妹が母の世話をしているのだから、家は当然妹にやるべきだと言いました。私は「母の世話をするのは私が望んだことで、自分の家があるのでいりません」と言いました。
1年後、母は脳萎縮がもとで麻痺して寝たきりになりました。私は毎日母の入浴を助け、髪をシャンプーし、ご飯をたべさせました。母は自分で排泄をすることができず、いつも手についた便を体や布団、壁につけていました。私は汚さを気にせず、いつも母の寝具と母の周囲をきれいにしていました。
兄弟とその妻は私をいつも称賛し「母の世話をしてくださって、本当にありがとう、感謝しています」と言いました。私は「感謝するなら私たちの師父に言ってください。師父は私に良い人になるように教えて下さいました」と言いました。兄は私達にこのような優しい妹を持たせてくれた師父に感謝を捧げました! 兄夫妻は大法の良さを認め、彼らの親戚や友人にも大法の真相を伝えました。嬉しかったことは、親戚や友人も皆「三退」に同意して、自分に美しい未来を選択したことです。
師父は「做して 求めざれば」[1]と説かれました。2015年の春に母は亡くなりました。母を介護し見守った7年の間、私は母と兄に一銭も要求しませんでした。兄はそのことについて話し合い、一言も苦情を言わずに世話をした私の努力に対する感謝の意を表し、母が生前に渡した320万円の半分を私に与えると提案しました。
私は「母の世話はやりたくてやったことです。6人の兄弟姉妹なので均等に分けましょう」と言いました。兄は私を説き伏せることができず、私の意見を受け入れるしかありませんでした。また、兄はお金を渡すので観光して、少し休暇をとるように提案しましたが、私は彼らの好意をすべて断りました。
師父は私達にまず他人を先に考えるようにと教えてくださいました。母の葬儀の後、私は兄たちに何も言わず、密かに母の家を出ました。4番目の兄夫妻は、黙って出て行くことを知っていたので「妹よ、ここで暮らしてください。私たちは永遠にあなたを追い出したりはしない」と言って泣きました。
20年の風雨の中の修煉で、環境がどれほど劣悪であっても、大法を修煉する決意は動揺することはありませんでした。毎回一歩を踏み出すことが出来るのは、すべて、師父の無数の心血が注がれていることを知っているからです。人類のいかなる言葉を使っても、師父への感謝を表すことはできません。師父ありがとうございます! この険悪な世界でずっと加護してくださり、弟子が衆生を済度する中で、自分がすべきことを出来るようにしてくださったことに感謝いたします。全身業力に満ちた弟子を見捨てず、真・善・忍を教え、良い人になるように導き、日々神聖な三つのことが出来るように、また、神の道を幸せに歩んでいけるようにしてくださった師父に感謝いたします!
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「道の中」
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2017/1/22/161221.html)