3回不当な判決を宣告され、両親は20年間救出に駆け回る(写真)
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 【明慧日本2017年2月7日】この数年、北京朝陽区、瀋陽市、北京市の各政府部門でよく2人のお年寄りの姿が見かけられる。2人は法輪功学習者である我が子を救出するため、駆けずり回っている。また脅迫され、拘置所に拘禁されたこともある。

 陸風珍さん(76)と夫(83)の2人は、2004年から地元の法曹機関および中央の関連機関を回りつくし、息子の冤罪をそそぎ、200通以上の陳情の手紙を送ったが、いつも嘲笑され、門前払いされ、拘置所に拘禁されたこともある。2人は苦を嘗め尽くしたが、まったく屈服せず、「息子の冤罪を晴らすまで、ずっと訴え続けます。絶対に妥協しません」と強く話した。

 陳さんの息子・趙宏莉さん(48)は、1994年から相次いで3回不当な裁判を行われ、それぞれ懲役10年、8年、6年、合計懲役24年の判決を言い渡された。現在、すでに21年間拘禁され、青春はすべて刑務所で送った。

 趙さんの息子は今年16歳になったのに、父と一緒に過ごした時間はあまりなかった。趙さんは刑務所で屈服しないため、心身とも大きなダメージを受けた。一方、家族も陳情に駆け回り、その結果、家計が厳しくなり、一家離散になっている。

 一、1回目の判決で、息子は窃盗犯にされる

 1994年1月、建平公安機関は「窃盗罪」という名目で趙さんを逮捕した。 

 趙さんは以前、張華、蔵久軒と一緒に文物のビジネスをやった。2人が詐欺師だと気づき、投資した2万元を返還するようにと求め、蔵さんに自宅の壁にあるから、自分で取りに行けと言われた。

 蔵は趙さんがお金を取ったのを待って、なんと公安局に通報した。3人は留置場に連行され、県検察庁はこれは文物の案件で文物を確認してから罪を問うと判断した。しかし、他の2人は当日夜に解放された。検察庁は案件を公安局に戻し、最終案件は裁判所に提出された。裁判所も証拠不十分で文物を確認してから判断すると決めた。

 しかし、12月17日、県委員会の副書記は裁判所に年末まで案件を終わらせるようにと命じた。その結果、裁判所は趙さんに対して開廷した。しかし、文物に関して調査もせず、ほかの2人も出廷しなかった。趙さんは2万元を窃盗した(本当は自分が投資した2万元)との理由で、懲役6年の判決を宣告された。家族は判決に不服があり、上訴を申し出た。しかし、上訴したら、さらに重い判決を下すと脅迫された。二審は法律が定めた上訴の際、判決を加えてはいけないとの法律を無視し、懲役10年の判決を言い渡した。

 ある弁護士は陸さんのことを同情し、朝陽市検察庁のある担当者に確認したところ「この案件の内幕は、非常に複雑で関わらない方がいいです。私は責任者なのに、未だに資料を見ることができません」と答えたという。

 二、2回目の判決は、法輪功を学んでいるとの理由で拘禁される

 趙さんは幼いころから先天性心臓病と診断され、貧困が原因で手術を受けることはできなかった。趙さんは1回目の拘禁の間、刑務所で法輪功を学び始め、心臓病が完治した。家族も法輪大法の素晴らしさがわかった。

 2004年、趙さんは遼寧省朝陽市双塔区裁判所に法輪功の資料を印刷したとの理由で、懲役8年の判決を宣告され、盤錦刑務所に拘禁された。

 朝陽双塔区裁判所は事実をねつ造する

 趙さんが連行されてから判決が下されるまで、関連部門は家族に知らせなかった。趙さんは刑務所に拘禁され、盤錦刑務所が家族に電話を掛けた時、家族ははじめて趙さんが連行されたことがわかった。

 区裁判所のいわゆる証人は出廷せず、趙さんは法廷上、何度も検察側に証拠を出すようにと要求したが、裁判長に止められ、趙さんの自己弁護および弁護士を雇うことも禁じた。

 当裁判所は一審を終わらせてから、中級裁判所を装って、二審も行った。同じ案件が2つの裁判所に、2つの罪名に断罪され、めちゃくちゃなことになった。

 趙さんは刑務所で拷問を受ける

 1、灌食

 趙さんは迫害に抗議し、6カ月あまり断食した。そのため、刑務所の高医師に灌食された。趙さんの両手はベッドに固定され、両足もロックされた状態で、鼻から灌食された。

酷刑演示:野蛮灌食
拷問実演:灌食

 灌食された後、趙さんは立って歩けなくなり、話す気力もなく、痩せこけ、わずか30キロになった。その時、点滴で命を維持した。医者はすべての血管は点滴の針で刺せない状態だと言った。趙さんの状態を見た人は、みんな奇跡がなければ、生きることはできないと断言した。

 しかし、陸さんは息子の健康状態を尋ねた時、医者はすべて正常だと答えた。陸さんは健康診断の報告を見せるようにと求めたが、医者は上の指示がない限り、見せられないと騙した。

 2、死人ベッド

酷刑演示:死人床
拷問実演:死人ベッド

 趙さんはその後、瀋陽刑務所に移送された。その期間、法輪功を学び続けているという理由で「死人ベッド」の拷問を受けた。

 三、3回目の判決で、再び罪に陥れられる

 2013年9月7日夜、私服警官5、6人は趙さんの自宅に侵入し、趙さんを床に倒し、暴行を振るった。建平県国保大隊の隊長はさらに「殴れ! 法輪功者を死ぬまで殴っても、命で償う必要はない」と強く殴るように指図した。さらに、趙さんのポケットにある2千元を押収し、家中を家宅捜査した。

 9月22日、趙さんは留置場に拘禁された。公安局は趙さんが、携帯電話で法輪功の情報を伝播したとの理由で、趙さんへの逮捕令を発付した。家族は国保大隊の隊長を訪ね、無罪解放を要求したが、隊長は「上訴すると、お前の息子を死んだ方がましだと思うほど虐待する。どこに上訴しても、俺の話を聞く」と言いふらした。

 家族は趙さんに弁護士を雇った。弁護士は何度も非難され、ようやく趙さんと面会できた。

 裁判が始まる前、裁判長は弁護士に「法廷で趙さんが殴られたことを言うと、お前の弁護権を奪う」と脅迫した。弁護士は弁護できるよう、妥協した。

 判決書に書いてある逮捕時間、DVDの枚数、ショートメールの数はすべて間違っていた。趙さんは懲役6年の判決を言い渡された。

 四、両親の陳情の長い道のり

 二審が終わっても、留置場は家族と趙さんの面会を禁じていた。判決書も家族に知らせず、原審維持しか伝えなかった。家族は趙さんがどの刑務所に拘禁されるかすらも知らなかった。その後、盤錦刑務所に拘禁されたことを知り、3回目にようやく面会できた。しかし、当時の趙さんは見る影もなかった。

 両親は判決書を求めたが、刑務所に断わられた。仕方がなく、最高裁判所を2回訪ね、立件を要求したが、受理されなかった。両親はそれでもあきらめずに、4回北京へ陳情しに行き、そのうち、2回も警官に逮捕され、地元に帰された。また、数百通の手紙も出したが、まったく返事はなかった。判決書がなければ、上訴できないため、両親は中央司法部、遼寧省司法官庁、刑務所管理局などの部門の間で駆け回った。最後、2015年2月、錦州刑務所から朝陽中級裁判所の判決書のコピーをもらった。驚いたことに、判決書の罪名は「窃盗罪」と書いてあった。

 両親はこのでたらめな判決書をもらうために、10カ月もかかった。

 家族の上訴は受理されたが、昨年3月、遼寧省高級裁判所に上訴を却下され、原審の判決は正しいと判断された。

 2015年、趙さんは回り回って刑務所から一通の手紙を出し、中で「私は時々刻々、師父のご加護と法輪功の威力を感じています。どんな拷問を受けても、決して転向せず、心は揺るぎなく、最後までやり遂げます」と心境を語った。

(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/2/3/342621.html)
 
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