有頂天にならず、同修を大切にする
■ 印刷版
 

文/湖北省の大法弟子

 【明慧日本2017年2月14日】同修Aさんの話によると、ある76歳の年配の大法弟子(以後Bさん)が学法班から追い出されたそうです。私は驚いて事情を聞きました。

 原因は学法班の若い大法弟子達は、Bさんが法を読むのが遅く、読み間違いや読み漏れが多いことを嫌がりました。時々Bさんが法を読む時に、他の同修達はまじめに聞かず、ひいてはがやがやとおしゃべりをしました。最後にBさんが法を読む番になりましたが、読むのが遅かったので、読むのを止められ、飛ばされました。学法班の協調人も含めて同じことをしていました。

 今回Bさんが読んでいるとき、まだ半分のページが残り、読み終えていなかったのに、止められて、4時の正念を発し始めました。正念を発し終えたら、同修達は一斉に帰ってしまいました。Bさんは、「皆が帰ってしまっても、私は師父の法を読み終えてから帰ります」と言い、最後まで読み終えました。Bさんは独り言で、「皆はルールを守りませんね」と言いました。学法班の協調人は黙って何も言わず、Bさんが読み終えてから、ドアを閉めて帰りました。

 夜、Bさんはいろいろ考えました。翌日、Bさんは名残惜しい気持ちを持ちながら、学法班に行きました。若い大法弟子が自分のことを嫌がるのであれば、学法班で学法するのをきょうを最後にし、本を持ち帰り、自分は家で法を学習しようと考えて、学法班から離れました。

 数日後、学法班の協調人が1人の若い同修と一緒にBさんの家に来ました。Bさんは自分に学法班に戻って来てほしいと呼びに来たのだと思いました。しかし彼女達はBさんに学法班に戻ってほしい気持ちはなく、逆に若い同修に責められ、「内から探すように」と言われました。協調人は若い同修を止めず、Bさんを慰めず、そのままBさんの家から出ました。

 Bさんはそもそも1人暮らしだったので、集団学法の環境を失うことを考えて、心がとても落ち込んでしまいました。学法班から離れて1週間以上が経ちました。

 同修のAさんはBさんの家に会いに行き、彼女と午後ずっと一緒に学法をしました。事実、Bさんが1人で家で学法するのはやはりだめでした。読み間違いと読み漏れが多いのに、全然気づかず、時々行を飛ばしても分かりませんでした。私はAさんに学法班に行き、皆に相談して、Bさんを班にもどらせてほしいと協調人に相談してみてとお願いしました。Aさんは、「以前も学法班の同修達と個別に交流してみましたが、皆がBさんの読み間違いと読み漏れを嫌がっていたので、交流ができませんでした」と言いました。

 ここで明慧ネットの場を借りて、学法班の同修の皆さんに相談させていだきたいと思います。

 同修よ! 大法が迫害されてから17年経ちました。師父が巨大な苦難を耐えて引き換えてくださって、今の国内の学法環境ができました。大法弟子は一つの全体として向上し、全体的に精進するようにと要求されています。集団学法は師父に要求された修煉形式です。私達は常人社会で修煉していますので、汚染されないように、あるいはできるだけ汚染される事が少ないように、ひいては私達の各種の人心を除去する環境ができるように、私達が集団学法により、共に向上するようにと要求されました。

 Bさんの学法状態は理解できます。筆者もたまに年配の同修と一緒に学法する経験がありましたので、耐えられないことはありませんでした。何といってもBさんは学校にあまり行ったことがなく、しかも年齢が高いのです。ずっと一緒に学法する同修達がちょっと気まずいのは理解できます。しかし、Bさんの学法状態がずっと改善できなければ、私達同修の短気、他人を嫌う心、嫌気、他人のことが気にいらない、学法をしながら早く終わって家に帰りたいという心を除去しなければならないのではないでしょうか。私達がBさんのことを嫌がり、良くない物質をBさんの空間場に投げていれば、Bさんの学法状態は改善できるでしょうか。 

 この学法班では、同修がお互いに説得できず、問題から逃げたい現象がある程度ありました。皆がバラバラで、同修に迎合したり、誤魔化したりして、いつも法理を利用し、他人には内から探させますが、自分は全く探しませんでした。遅刻をしたり、早退したりして、行きたい時に行き、帰りたい時に帰ってしまいました。Bさんともう1人の同修だけは遅刻も早退もしませんでした。学法班の協調人は他の同修の機嫌を損なうのを恐れて、子供をあやすように皆に学法をさせました。、このような団体は長く続くでしょうか。大法の全体の環境に責任を持っているといえるでしょうか。このような環境を変えなければ、修煉の落し穴になると思いますよ! 旧勢力はずっと私達の集団の力を壊したいと考えています。Bさんが学法班から離れると、他の同修達は気持ちよくなりましたが、旧勢力も嬉しく思いますが、師父は私達が精進しないことをとても残念がっておられますよ!

 迫害が最も酷かった時に、Bさんは武漢から資料を県に持ち帰り、警官に連行され、拘束されました。Bさんは警官に妥協せず、他の同修の名前を誰一人言いませんでした。2007年、本県の十数人目の同修が迫害され、一時期全体はバラバラになってしまいました。Bさんは自ら場所を提供し、周囲の同修達を家に呼んで来て学法をさせました。数年間、同修達の集団学法と交流の環境ができました。

 Bさんはずっと1人暮らしで穏やかに修煉の道を歩んで来ました。私達はBさんの輝きを見るはずです。Bさんの修煉の不足に協力し、同修間の縁を大切にしなければなりません。私達はいつも師と法を敬うと言っていますが、Bさんは師父の法を読んでおり、常人のものを読んでいたのではなかったのに、まだ法を読み終わっていないのに、みんな離れてしまいました。私達は師父を尊敬したでしょうか? 大法を尊敬したでしょうか? 私達はいつも「内から探す」と口にしていますが、他人ばかりに探させて、自分は全く探しませんでした。

 迫害はまだ終わっていません。皆さんは心を静めて学法をし、本当にとことん学法し、確実に修煉をし、私達の心の落し穴に陥り、自分と全体に余計な損失をもたらさず、師父を失望させないで下さい。有頂天にならず、周りの一人一人の同修を大切にしましょう。修煉の道に小さい事はありません! 他人を軽く見ることは重い利己心ですよ!

 一緒に師父のご教示を振り返りましょう。「将来の生命は他人のために考えるもので、今までの生命は私(し)のためのものです。(拍手) 自分の利益のためにほかの生命のことをまったく構わない生命がいますが、このことはこの世でも余すところなく表されています。自分のうっぷんを晴らすために、相手をどんなに傷つけたとしても、相手のことをまったく考えていません。この私(し)において非常に悪く表している人がいます。専ら人をいじめたり、いつも他の人のことを気に食わない人がいます。そういう人にこの権力を与えた人は誰もいません。皆さんはこのようにしてはならず、大法を修煉している人は誰もこのようにしてはいけません」[1] 

 法に従っていないところがありましたら、ご指摘ください。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇〇四年ニューヨーク国際法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/1/7/340528.html )
 
関連文章