師父から授かった神の筆で人を救う
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 文/中国の大法弟子 楚原   

 【明慧日本2017年2月15日】「神筆人妖を震わし 快刀爛鬼を消す 旧勢力法を敬わず 揮毫して狂涛を滅す」これは師父の『洪吟(二)』の「震懾」の詩です。法の中で私は「文章を通して迫害を暴露すること、自分の体験を同修と交流すること、師父が法を伝えることを記録すること、法を正す時期の大法弟子の正しい念と正しい行いを実証することなどなど…これはすべて迫害に反対する中で文章を通して師父を手伝うことである」と悟りました。文章が上手く書ける同修に対して、これは慈悲なる師父が授けた強力な法器です。私たちはできるだけ師父が授けてくださったた神の筆を利用して、師父を手伝い、衆生を済度しなければなりません。 

 一、文章を通して師を手伝うと悟る 

 以前、私は文章を通して迫害に反対することや、師を手伝うことを意識していませんでした。いつも明慧ネットで同修の文章を読み、その文章から放たれた慈悲に感動し、同修の智慧や勇気に震撼していました。しかし、自分も大法の中の1人として、同修が師を手伝っていることや、大法弟子が師を手伝う中で得た心得など、人が神とともに存在するこの時代を記録しようとは思いませんでした。 

 約10年前、私は地元の迫害事実を明慧ネットに投稿すると、その文章はすぐに掲載され、多くの同修が見ました。このことは私にとって大きな励ましと啓発を与えました。 

 文章を通して迫害を暴露することは、一方では迅速に真実の状況を反映し、邪悪要素を抑えることができます。もう一方では文章を書く時、自分の状態が直接文章の質に影響を与えるので、文章を書くと同時に自分自身の正しくない要素を取り除く事ができます。文章を書く時、常に師父の加持を感じます。師父の加持のもと、自分を妨げる邪悪な要素を乗り越え、一切の正しくない要素が正されるため、出来上がった文章は自然と純正、慈悲、穏やかな要素、邪悪を震えさせる要素を帯びています。 

 二、刑務所で文章を通して善を勧める 

 私は刑務所で2年近く不当に拘禁されました。最初のころ、私は刑務所の中の受刑者を見下していました。刑務所の中では受刑者のリーダーが、人を殴ったり罵ったりし、ご飯や金を奪うことも頻繁にありました。それだけでなく、冬に冷たい水をかけ、いじめや性的虐待などをしており、様々な邪悪要素が全ての空間場に溢れていました。 

 時間が経つにつれ、私はこれらの受刑者の良いところを見つけました。彼らは人と付き合うときに、道理をわきまえており、おおらかな人柄だったのです。そして彼らは普遍的に共産党を憎んでいました。さらに私は「この人たちは今生で過ちを犯したが、かつての歴史の中で偉い人物になったことがあり、彼らの生命の本源はすべて偉大な神であり、神の光を放棄して下に降りることを選び、これ自体が大法に対して確固たる信念を持っているのではないか。大法が伝わっているとき、彼らは自由の身を失ったが、刑務所の中で大法弟子と縁を結び、これは彼らが生々世々で待っていた法の縁ではないか。私は彼らの封じられた本性を目覚めさせる責任を持っている」と悟りました。 

 しかし、どうやって彼らを目覚めさせればよいのでしょうか? 

 私は刑務所の中で毎月1回行なわれるスピーチを思い出しました。毎月刑務所で定められたテーマについて、各部屋が一つのスピーチを提出し、その中から優秀な文章を選び、全受刑者にスピーカーで放送します。私はスピーチという形で善を勧めようと思い付きました。 

 師父は『精進要旨』の「目覚めよ」の中で「わたしがいつも言っているように、ある人が他人のためだけを思って、しかも、自己の目的と認識を少しも抱かなければ、語る話は相手に涙を流させるのです。わたしは皆さんに大法を教えただけではなく、わたしの行ない方をも皆さんのために残していますが、仕事のときの口調、善の心、それに加えて、道理で人の心を変えることはできても、命令では永遠にできないのです!」と説かれました。 

 私は「人を変えようと思えば、その人を心の中から目覚めさせることによって、本当にその人を変えることができる」と悟りました。私は大法で悟った法理を歴史と結び付け、歴史の中の物語の真心、善良、忍んで譲ること、寛容、義、正しい信念などを例にして述べました。例えば屈原の「死んでも自分の信念を守ること」、関羽の「義を重んじること」、李白の「権力を握っている人に従わないこと」、蘇軾の「栄誉と侮辱に動じないこと」、岳飛の「忠節を尽くして国から受けた恩に報いること」、キリスト教のなかの信念を持っている人などなど、正しい角度からこれらの素材を文章の中に溶け込ませ、現実と比較しました。物語は彼らの興味を引き起こし、大法弟子が自然に発した善や、悟った理が心の深くまで届いて、彼らの本性を目覚めさせ、衆生に真偽や正しいことと悪いことを見分けさせることができました。 

 毎回私が書いたスピーチの原稿は、すべて選ばれました。スピーチをする時、周りは静かになり、自分が非常に大きくなり、そして非常に広くて高いところに立っているように感じ、自分の全ての力を使って衆生の本性を目覚めさせました。私が読んでいる一文字一文字が、スピーカーを通して聴く者の心の一番深いところに届き、大法の修煉によって得た慈悲や穏やかな心を持って、彼らの本性を目覚めさせました。時々、読んでいる途中で、衆生が苦の中にいながら苦を知らないという状況に涙が出てきました。 

 毎回スピーチが終わった後、刑務所の中で拍手が沸き起こりました。私が部屋に戻る途中で各部屋から「素晴らしかった」 「とても素晴らしいスピーチだった」などの声があがりました。部屋に戻ると同室の人も私に「素晴らしいスピーチでしたよ。あなたのスピーチを聞いて私はとても感動しました」と話しました。また、同修は私に「あなたがスピーチしている時、すすり泣く声が常に聞こえていました。私たちも大変感動しました」と話しました。 

 数カ月後、刑務所の警官や受刑者たちも、みな刑務所の中に文章が上手な法輪功修煉者がいるということを知り、警官の方から挨拶してくるようになりました。ついでに私は彼らに真相を伝えました。 

 同時に発正念を強化し、さらに力を入れて真相を伝えました。徐々に周りの環境が正され、大体の受刑者たちは大法の真相が分かり、多くの受刑者は三退しました。毎朝、同じ部屋の受刑者は私に煉功を促しました。時々、私が座禅しているとき、隣の人が小さい声で「法輪功の煉功を邪魔しないで」と互いに注意し合っていました。刑務所の環境、特に法輪功修煉者がいる部屋の環境は大いに改善されました。私が刑務所から出た時、三退の名前が書いてある紙を約100枚持っていました。その中には刑務所で働いている警官の名前も入っていました。

 三、地元の迫害事実を収集し整理する 

 近年、邪悪による法輪功修煉者への迫害を暴露し、迫害の事実を収集して整理した文章が、多くの地域にあることに私は気づきました。各地域の迫害事実を整理することは、その地域の迫害状況を速やかに反映することができ、その地域の邪悪を暴露することができます。これは師父の私たちへの要求だと思い、文章を書ける同修の責任だとも思いました。 

 私たちの地域は、この方面においてまだ何もやっていません。多くの修煉者は迫害されたことがあるのに系統的な報道がなく、少しの文章しかありません。私は地元の迫害状況を収集して整理しようという考えが浮かびました。 

 まず私は明慧ネットで地元の町名を入力し、地元の全ての迫害文章をダウンロードして、年単位で各迫害状況を異なるフォルダーに入れ、エクセルで各学習者の迫害状況をまとめました。こうすると各学習者の迫害状況が一目瞭然になりました。そして「地元迫害概括」 「迫害によって死亡した学習者」 「行方不明の学習者」 「違法に拘束された学習者」 「強制的に洗脳された学習者」 「労働教養された学習者」 「判決を下された学習者」 「経済的に迫害された学習者」などのカテゴリーに分け、各学習者をこれらのカテゴリーに入れ、最後に地元の迫害状況をまとめました。 

 まとめる時、一番大変なのは、迫害された学習者の細かい状況の整理や確認を取ることです。ダウンロードした多くの文章は、はっきりしていないところが多くあります。そして迫害されたが明慧ネットに報道されていない学習者も多く、あるいは報道されたが迫害について一言で表すところも多かったのです。このような場合、当人に確認しなければいけません。具体的な状況を確認できなければ、しばらく放置することになります。 

 もう一つ大変なところは、明慧ネットで暴露された迫害状況は、詳しいところもあれば、省略しているところもあります。詳しすぎれば減らして整理する必要があり、省略されていれば補充する必要があります。これは非常に莫大な仕事量です。同時に同修の正念正行も表さなければいけないし、見る人が煩わしく思わないようにしなければいけません。このバランスを取ることはとても難しいことです。 

 また、時間の調整も難しいことでした。お昼から仕事に行き、時には夜の8時、9時くらいまで仕事をします。毎日取れる時間は本当に少ないのです。数カ月を通して、師父の護りのもとで「地元の迫害事実のまとめ」を整理しました。その後、続々と「610弁公室の邪悪行為を暴露する」 「610弁公室の警官の最近の邪悪行為」 「邪党は江沢民を告訴する学習者を妨害」 「最近妨害されて迫害された大法弟子の状況」 「悪の報いにあった政府の高官から思い出したこと」などなどの文章を明慧ネットに投稿しました。文章はすぐに明慧ネットに掲載され、地元の学習者がこれらの文章を地元の真相資料としてあちこちに配っていました。これらのことは私たちの身近な真実の事例ですから、地元の衆生が真相を理解することに多くの役割を担いました。 

 その後、地元で大法弟子へのいかなる迫害状況が表れても、私は速やかに関連する学習者の状況を調べ、速やかに文章を書き、最も早く明慧ネットで邪悪を暴露しました。ある時、地元で1人の学習者が強制連行されました。私は誰が詳しい状況を知っているか分からず、1人で町を回っていると突然頭の中にこの学習者の名前が現れ、この学習者の家に向かいました。歩きながら頭を上げると、一つの広告のスローガンが目に入ってきました。「他の人が出来ないことを行う」。これは師父が私を悟らせているのだと思いました。文章を書いて地元の邪悪を暴露し、師父から授かった神の筆を使って師父を手伝うことは私の責任です。しっかり行なわなければいけません。 

 昨年、私は近くの市に迫害文章のまとめがないことに気づき、その市の迫害資料を整理し始めました。以前の経験があるので数カ月後、その市の迫害状況のまとめも明慧ネットで掲載されました。 

 迫害状況を整理する過程は、自分の修煉過程になり、安逸心などを取り除かなければ最後まで続けられないと思います。 

 四、結び 

 文章を通して大法を実証し、迫害に反対することは自分を実証するという誤りに陥り易いと思います。時々自分の文才を顕示し、わざわざきれいな言葉を使うなどの現象があります。文章を投稿したら、掲載されるかどうかについてとても気になります。掲載されたら1人で自惚れます。掲載されなければがっかりします。 

 実は文章を書くことには長所があり、法を正す時期に文章を書くことで迫害に反対することは、師父が授けてくださった神の筆のおかげです。これも師父のご恩の体現です。弟子として、この天の功績を自分のものだと思ってはいけません。私たちは自分のすべての力を使って真面目に師父に協力しなければいけません。それが師父の慈悲なる済度に報いることです。「法を正す時期の大法弟子」のこの上ない栄誉と威徳の称号にやましいところがないようにしなければなりません。 

 最後に弟子が一つの詩を作って師父の恩に感謝いたします! 

 一層一層の天から降りて人間に封じられ、いくら輪廻しても運命を制御できず。 
 末法時期に法輪を回すことを聞いて喜び、法の子は喜んで高い宝楼に登る。 
 99年に妖魔が乱舞し災いを引き起こし、18年の様々な災難を乗り越えた。
 師が授けた神の筆で乱世を一掃し、これから宇宙は透明になり美しくなる。 

 層層下走覆封塵,輾轉輪回不知由。 
 末世欣聞轉法輪,法子喜登瓊玉楼。 
 妖魔乱舞九九错,風雨如晦十八秋。 
 師賜神筆蕩群陰,穹宇剔透从此秀。
 

 弟子はもう一度師父にお礼を申し上げます。 

 合掌 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/1/10/340523.html)
 
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