文/ 中国の大法弟子
【明慧日本2017年2月18日】現在、多くの人がSNSを使用しています。少し見るとまた見たくなります。始めたばかりの時は、見て知るだけでよかったのですが、時間が長くなるとなんでも見るようになり、友達の間で転送されたものも見たくなり、もし誰も発信しなければ喪失感さえあります。思想はすでにそれに重く支配されています。そして少しずつある思念が浸透してきます。あなたが欲しがれば、それはあなたを支配し、あなたに依存させます。実際は全く自分の主意識がしたいと思ったことではありません。
私もSNSを使用した経験があり、わずか10日間で妨害されました。新年に、私は外地の同修と連絡をとり、カレンダーを送ったりしました。ある地方の同修の電話番号を見つけられませんでしたが、電話中に同修の電話番号を言ってはならず、何をするとかも言ってはいけませんでした。12月1日、私の子供の携帯から、別の場所に住んでいる同修と、探していた同修に連絡するために、SNSを使用しました。電話番号を知らなかったので、SNSを使うしかなく、子供と一緒に使うのはとても不便だったので、私は自分の携帯で、用事があればSNSを使って必要最低限に同修と家族に連絡しようと思い、夜の11時すぎにSNSを登録しました。なんとなく頭がしびれ、張る感覚があって、発正念の効果も悪く、何かおかしいと思いましたが、あまり深く考えずに寝てしまいました。また、とても深い眠りに落ちました。私は修煉を始めてから、ほとんど寝過ごす事はなく、この数年間は、毎日1、2時間ほどの睡眠で目が覚めていました。昼寝をすることもなく、眠くなることもありませんでした。今回は、寝ている時に色魔が私を妨害しに来ました。身体が異様な感覚に襲われ、私はうとうとする中で「いりません、いりません」と猛烈に叫びました。そこで目が覚めました。しかし思想の中では絶えずその一念が繰り返されていて、色魔の妨害を排斥していました。
SNSを使用してから、身体が重くて朝起きて煉功も出来ず、動功を煉功している時はとても疲れました。このようなことは以前にはなかった現象でした。発正念の時にも静かになれず、発する回数も少なくなりました。心は落ち着かず、それでも改めようとはせず、怠けてしまいました。資料を印刷するときも順調にはいかなくなりました。ある時、プリンタから出た小冊子に黒い文字がありませんでした。ただ色を帯びた文字と画像だけでした。私の空間場には、色があると悟りました。資料を配ることもしたくなくなり、資料を持って出かけても、ほとんど配り終えることが出来ませんでした。面と向かって真相を伝えることも、心を込めておこなうことが出来ず、ある時は、真相を伝えなければいけないことも忘れて、過ぎてからやっと、縁のある人に真相を伝えていなかったことを思いだすのでした。
学法しても心が入りませんでした。以前は、毎日『轉法輪』を一講読むことを堅持し、一講のページ数が少ないと、なるべく一講半を読むようにし、それから法を暗記していました。暗記はとても順調で、すぐに覚えてしまいました。しかしこの数日間は数ページを読むだけで、ある時は一講を読めば終わり、まるで朦朧としながら師父から離れ、大法から離れていくようで、師父が要求される三つのことからも離れて、遠くなっていくようでした。携帯電話はすでに手放せなくなっていて、ネットを見たり、SNSが来ていないかな? と見てみたり、友達のグループの中を見てみたりしていました。一目見るだけだったら大丈夫だろうと思って、何かを転送したりもしました。部屋が散らかっていても片づけたくなく、三つのことも全て怠けました。心の中の分かっている部分はとても焦っていました。しかし、自分は一つの別の道に入ってしまったように感じていました。あの時のリズムはとても遅く、精進したくても力が出ず、自分でその無形のネットを突き破ることが出来なくて、妨害も多くなり、頭は重く、この数日間で3回もつまずいて転んでしまいました。まるで誰かに押されたかのように、地面にひざまづいてしまいました。そのうちの2回は階段をおりているときでした。私はいつも時間を制限してSNSを利用していて、数人しか追加していませんでした。しかしそれでも、とても厳重に妨害されました。その後どういうことかが分かりました。私はどうしてSNSを使用したのでしょうか? 何がしたかったのでしょうか? これは私がすることでしょうか? 私は今日、SNSをアンインストールすることにしました。本当に用事があれば電話で連絡するか、自ら行くようにしました。
私がSNSをアンインストールする前後の時、頭は重く、太陽のツボの周囲がとても痛み、じんじんと張るような感じでした。まだこの文章を書き終えていない時、つまりアンインストールして4、5時間の時、私の頭上でぞろぞろと虫が這っているようで、私は何回か手で頭をはたきましたが、何もなく、少しすると頭がとても澄んできました。あのようにぼんやりすることはなく、師父はまた弟子のために世話をしてくださいました。
ある同修はSNSを使用した後、修煉を重視しなくなり、毎日SNSの中にいて、アイコンは自分の写真にし、少しも安全に注意していませんでした。また各種の宗教的なものと幾つかの常人が関心をもつものを転送したりしています。もし仕事でなければ、私たちは常人にまじって一緒に何かをするのは良くないと思います。身近にいる同修とSNSを使って交流してはならず、何かを転送したりしてもいけません。大法弟子はこのような大法に属さないものを広めてはいけません。大法弟子はただ、大法を実証するのみで、早く削除してださい。ある同修も「SNSを開いたら頭が痛くなる」と言いました。しかし削除せずに何人かの人と連絡を取っていました。このようなものが彼女をいつも妨害するのです。その後、彼女はそれを削除しました。
また別の同修は真相を説明したり、外地の同修と連絡したりしていました。私は彼女と何度も交流しましたが、彼女はいつも「大丈夫、上手く使うことが出来たら何の問題もない」と言っていました。彼女はネット上で知り合った、面識のない同修と外地で会ったりしました。そこで彼女は10人ばかりの同修と一緒に学法しているとき、同時に連行されました。ある同修は、常人にSNSを送っていて、その常人に「通報する」と脅されました。その結果、とても大きな妨害を受けました。さらに、1人の若い男性同修は「私が転送しているものは転送してもかまわないものでしょうか」と言いました。その意味は、私は他の人とは違う、私は頭を使って分析してから転送している、という事です。私は「あなたは、それら常人の各種の宗教的なものに頭を使ってしまえば、それを見てしまったことになりませんか? あなたは妨害を受け、汚染されることになりませんか? 毎日大量の時間を費やして、これらの法の中のものではないものを見て、さらに幾つかの不二法門の問題にかかわってくるので、最もするべきではありません」と言いました。
昨年、私と数人の同修は一緒に学法し、一緒に資料も配布していました。当時、技術担当の男性同修が私たち数人の携帯電話に一つのロシアの電信ソフトを取り付けました。「今使っているSNSとは何の変わりもなく、このソフトを使って発信すると、受信したメールは全てロシアの基地局を通して暗号化されるので、そのあとに当地の基地局が受信したのは全て乱れたものになります。私たちの携帯電話が受信するのは相手側の発信した実際の内容になります。ですからとても安全です。何を話してもかまいません」と彼は言いました。その結果、同修は私と連絡を取る時になんでも話しました。大法に関係することや、さらに名前までも出したりしました。この男性同修が邪悪によって連行される前、一日中携帯電話を使って、同修に何枚何枚のディスクを送るとかの話をしていました。
私にある同修の色欲が見えました。そのSNSの中で色魔が栄養をつけていて、互いの間で送受信したのはとても不純なものでした。また同修間で交流するとき、口を借りてこの不潔な人心を覆い隠していて、互いの間で熱中して、どんなことでもSNSの中で解決します。また見知らぬ同修と知り合い、本人に会ったことがないのに、その中で慕っていて、互いに往来しています。現在の常人のネットは、色情に満ち溢れています。変異したもので、あなたが接触すれば、まず色魔に妨害されます。もし警戒しなければ、ゆっくりゆっくりと慣れて、当然なものになります。しかし、あなたの思想はすでに、常人の汚染環境の中に浸かって相対し、修煉する意志が知らず知らずのうちに、少しずつ、少しずつと消耗されていくのです。どんなに危険なことでしょうか!
ある同修はサラリーマンで、とても常人の事に関心を持っていて、頻繁にSNSを発信することで人を救おうとしていました。修煉は常人とは何の関係もありません。常人には常人の生活の道があって、それは誰かが左右できるものではなく、人はまだこの世上で業力を返済しなければならず、私たち修煉者は、常人の事柄に構う必要はなく、常人の事柄を重く見てはいけません。人を救うことが私たちの使命なのです。
師父はこのように説かれています。「われわれが口を修めるようにと説くのは、次のような場合です。常人の中での捨て難い名利や、社会における修煉者の実際の仕事と関係ないことについて話したり、あるいは同門弟子の間で無駄話をしたりすること、あるいは執着心に唆されて自分を顕示すること、あるいは聞き伝えに過ぎないなんらかの噂を伝え広めること、あるいは社会のその他の話題に興奮を覚えたり、喜んで話したがったりすること、などです。これらはみな常人の執着心であるとわたしは思うのです。こうしたことに関して、われわれは口を修めるべきだとわたしは思います。これがわれわれの言う口を修めることです」[1]
同修たちがSNSを見て、知らず知らずのうちに精進する意志と、貴重な時間を消耗しているのを見て、非常に焦っています。私が自分の教訓を述べたのは、今もまだSNSを使用している同修たちに、正しく悟ってほしいからなのです。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』