内に向けて探すことの体得
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2017年2月20日】私は1996年に法を得た大法弟子です。三つのこともし、精進しているように見えますが、とても恥ずかしいことに、自分を修する面で大いに欠けていました。最近になってやっと自己を修するということがわかりました。真に無条件で自分を探すことをしなければいけません。

 2005年、私は真相を理解していない人達によって不当に連行され、その時、夫は2万元も脅し取られました。家に帰ってから、これは自分の正念のなさがもたらしたことですが、夫がお金を払ったことを知り、私は内に向けて探さず、夫に不満を言いました。彼のどこもかしこも気に食わなかったのです。夫は2004年に法を得たばかりでした。夫はとても修養があり、確かに自分が間違っていたと、いつも私に対して「忍」をしてくれていましたが、それに気づきませんでした。今思い返してみると、この点で私は新しい学習者の夫にもおよばなかったのです。

 2008年北京オリンピックの前夜、私はまた不当に連行され、拘置所に1カ月ほど拘禁されました。そこでは何も考えず、毎日真相を伝え人を救い、部屋の全ての23人が真相を理解して三退しました。部屋のボスと、1人の不動産屋の店主は 「出所したら必ず法輪功を学ぶ」と言いました。部屋のボスは 「邪道を歩む人も正道を歩む人も、たくさんの人を見てきたが、今では、最も法輪功を尊敬しているよ。もっと早くに法輪功を知っていれば、今のようにはならなかったのに」と言ってくれました。

 37日後、私は拘置所から思想改造施設に送られました。そこでは、いわゆる家族が「仕掛け人」となって順番に思想を改めるように仕向けてきます。年老いた母親を連れて来て、泣きつかせたりもします。私はまだ内に向けて探すことが出来ず、情に妨害されたり、また夫に恨みごとが起きたり、夫は恐れる心が重すぎるといって批判していました。このような大きなことが起きたにもかかわらず、私はまだ自分を修めず他人を修めようとしていました。今回のことで、自分がすべきではないことをしてしまい、修煉に汚点を残してしまいました。また自分にも深い痛みと後悔を残しました。出所して2日目、私は厳正なる声明文を書きました。夜に夢を見ました。アメリカにいて、とても嬉しい夢でした。協調人にそれは師父があなたを励ましてくださっていると言われて、師父は本当に私たち自身より、さらに私たちを大切にしてくださっていることがわかりました。

 昨年、市の協調人が不当に連行され、多くの関連場所が家宅捜索されました。このときやっと、内に向けて探すことができ、やっと、内に向けて自分を探すということを学んだのです! 私は夫と一緒に『轉法輪』の第三講を学びました。「毎日幾つかの動作を行なうだけで、法輪大法の弟子と言えるのでしょうか? そうとは限りません。 本当に修煉しようと思えば、われわれの言う心性基準に基づいて自らを律し、本当に心性を高めなければならず、それこそが本当の修煉です。 ただ動作だけをやっても、心性は向上せず、一切を加持する強いエネルギーがなければ、それは修煉とは言えず、われわれもあなたを法輪大法の弟子として認めるわけにはいきません」と説かれていました。

 夫と交流しているときに、私は毎回「師父はあなたのことを言っていますよ」とよく言っていました。すると夫は 「これは私のことではなく、君のことだ」とよく言い返していました。それでも私はまだ悟らず、自分は三つのことをたくさんしているし、夫より修煉の期間も長く、夫より良く修めている、と今までずっと思っていました。

 最近、私たち2人はまた『轉法輪』のこの段まで学んでくると、これは自分のことを言っているように感じ、学び終えてから夫と交流すると、夫もまたすぐに「自分が良く修めていなかったように思う、これからもっと努力する」と言い、お互いの言い合いもなく、2人ともに内に向けて探すことができ、喜びがこみ上げてきました。

 ある時、嫁が面と向かって嘘をつきました。これが以前の私であれば、怨む心が出て、常人の嫁はやはり良くないと言っていたでしょう。しかし、今回は向上する機会をつかんだと思い、嫁はどうして私の前で嘘を言うのか? 私が嘘を言ったことがあったのか? 私はいつでもどこでも真・善・忍で自分を律しているはずだが? と内に向けて探しました。

 ある時、息子が孫を抱いて言いました。「ただここに孫がいるだけで、おばあちゃんはごきげんですね。他の人はみんな、おばあさんを喜ばせていませんね」。これを聞いて、私は彼らのどこが良くないとかと何も不満は言わず 「あなたたちが良く行えば私も嬉しいですよ、喜びますよ。あなたたちは生活面にしても、仕事の面にしても、優秀で、どれも最大限に努力しています。私が嬉しく思わないのは、すなわち私が修めるべきところです」と言うと、突然、息子は心を開いたように大笑いし、私たちの間に以前のような溝(みぞ)はなくなりました。

 同じ市に在住している1人の年配の男性の協調人は、勢いよく事を行うことを好んでいて、何度、交流しても聞き入れませんでした。ある時、一緒に交流していると、彼はまた興奮して大声で「私も安逸(心穏やかに生活する)していたい、私も家にこもってずっと学法していたい、このことを誰が干渉するのですか?」と言いました。これを聞いた私は、もしかして、自分にも安逸心があるのではないか、勢いよくすることを好んではいないのか、と内に向けて探しました。彼に対する怨む心が理解に変わり、包容する心になりました。

 私は昔から三つのことをしていましたが、圧力はとても大きいものでした。まるで事を行うことは、師父に対して恩義を感じたり、感謝の念でしていました。最近になって内に向けて探すことが出来るようになり、法に対する理解もさらに深まり、圧力もなくなりリラックスして、何事も心から喜んで、三つのことを行うことが出来るようになりました。

 以上は、私の最近の修煉の体得です。次元に限りがあり、同修からの慈悲なる叱正をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/2/14/343034.html)
 
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