法輪大法の素晴らしさを知った
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2017年2月25日】2007年の夏のある日、私は自転車に乗って仕事を探しに出かけました。しかし、随分回りましたが仕事は見付からず、猛暑の中で汗びっしょになった私はとても疲れを感じ、帰ることにしました。道路の並木の木陰の下を走りある住宅地の前を通った時、地面に何かが光っているのが見えました。自転車に乗っていたし、あまりにも暑いので降りて見ませんでした。しかし、やはり少し気になったため自転車を止めて戻って来ました。

 近くに行って見るとそれは金の指輪でした。恐らく誰かが洗濯の水を流す時、指輪が外れそのまま落としたのではないかと思いました。そこでしばらく立って待ちましたが誰も現れず、猛暑の中、私も早く家に帰って涼みたいと思い、そのまま帰ってしまいました。帰宅してシャワーを浴び、ご飯を食べ、指輪のことを思い出してポケットから指輪を取り出してみると、指輪の重さが3、4グラムもありそうで、それを失くした人はきっと困っていると思い、再度、指輪を拾った場所に戻り、そこでしばらく待ちましたが、やはり誰も現れませんでした。

 その辺でなくした人を探すと、1人のおばあさんがそこで洗濯物をしていました。おばあさんの手を見ると、指輪を嵌めており、指輪を失くした様子はなさそうです。おばあさんに「誰かに、用ですか?」と聞かれ 「他にここで洗濯をした人がいますか」と聞くと、おばあさんは「大家さんも洗濯していましたが、どうかしましたか」と聞かれました。その時、家から若夫婦が急いで出てきて 「ここで洗濯しました」。「何かなくしませんでしたか」と聞くと、彼女はすぐに手を上げて 「指輪、私の指輪をなくしました」と悲しそうに言いました。

 指輪の形や重さを聞いたら、全部合っていたため指輪を彼女に返しました。若夫婦はとても感謝し、お礼を渡そうとしましたが、それを断り 「法輪功を修煉しているので、師父は私達に良い人になるように教えられ、何事も他人のために考えるようにと教えられていますから」と言うと、若夫婦はとても感激し 「法輪大法の素晴らしさがよく分かりました。本当に素晴らしいですね」と言い別れました。

 また一度お正月前に、町に正月用品を買いに行った帰りに、横断歩道を渡ろうとした時、急に1台の車が出て来て私の右足を轢きました。ぶつけられた私は地面に座り込み、暫くしてからやっと我に返りました。その時、自分の側に1人の女性がおばあさんに手を貸して立っているのに気づきました。彼女から 「大丈夫ですか。お怪我されませんでしたか」と聞かれましたが、責任を取りたくない口調のようでした。その車は彼女達を迎えに来たようで、私は不機嫌に 「怪我したかどうか、見て分かるでしょう」と言い返しました。しかし、すぐに師父が『轉法輪』の中でおっしゃった「運転手がスピード違反をしたことは確かです。しかし、彼もわざと人にぶつけたわけではありません」を思い出して 「でも、大丈夫ですから」と付け加えました。

 運転手も車から降りて来て、びっくりした様子で真っ青な顔色をして 「怪我をされたでしょうか。病院に行きましょう」。「大丈夫です。私は法輪功の修煉者ですから安心して下さい。心配しなくても大丈夫です。あなたをゆすったりしませんよ。あなたもわざとやったわけではないですから。あなた達はもう行っていいですよ」と言うと、運転手はまだ心が動揺していて、とても信じ難い様子で立っていました。「法輪功を修煉する人は皆良い人ばかりで、テレビで宣伝しているような人は1人もいません。世の中で一番良い人で、他人のために考える人ばかりです」と言いましたが、この時、轢かれた足は激しく痛んでいました。運転手は痛そうな表情をしている私を見て、とても親切に「お詫びに、あなたの家まで送ります」と言いましたが「もう結構です。家には修煉していない家族がいますから、我が家に来たら、あなたはそう簡単に帰れなくなりますから」と言って、断りました。

 運転手はとても感激して 「以前、テレビが法輪功を誹謗中傷していたことを、真に受けて信じていましたが、今はあなたが言ったことを信じます」と言って、再三説得する中、彼はようやくゆっくりと車を出して去りました。私は足を引きずりながらしばらく歩きましたが、足が痛くて痛くてたまらずタクシーを頼んで家に帰りました。家に着いた途端気を失い、息子がなんとか家の中に入れてくれました。目が覚めた時、足は蒸しパンのように腫れ上がっていました。私は痛みに耐えながらも、毎日煉功学法を続けました。こうして、1カ月足らずで足は元通り正常に回復しました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/2/21/343350.html)
 
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