保健薬を飲むことについて
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文/中国の大法弟子

 【明慧本2017年3月21日】去年、私はある同修と会いました。彼女はよく保健の授業に参加し、保健(健康を保ち、人間の健康維持に役立つ)の下着を売りさばき、それだけではなく、彼女が身につけているネックレス、ブレスレット、着ている下着が全て健康に良い保健商品だと教えてくれました。私はこのことを聞いて、「なぜ修煉者がこのようなものを使うのだろうか?」と内心驚きながら聞いていました。彼女は「私は小さい頃から病気があり、骨の関節が痛くて物を持つこともできず、この病気は学法してもずっと治せなかったの。しかし、保健商品を使ってから体がよくなったのよ」と教えてくれました。私は彼女と法の上で交流したかったのですが、まだ保健の授業があるからと言い、急いで去って行きました。

 この間、私はまた彼女と会いました。彼女はまだ健康に良い効果があるという保健商品を使っています。また、新規の保健授業に出席し、ここではある体の毒を排出させる植物の保健薬を勧めました。ある同修は彼女と一緒に保健授業に参加しに行き、この植物の保健薬を飲んでいます。彼女はまた「いま、私たちの食べている食物には毒があるのよ、この保健薬を飲んで、しっかり体の毒を排出しようよ」と言いました。

 次の日、私は学法チームでこの件を話しました。すると、ある年配同修はすぐにその保健薬を持ち出して、「私もこの薬を飲んでいるのよ、もう数コース飲みました」と言いました。そして、彼女のそばに座っている同修たちは「私の周りにも保健薬を飲んでいる人がいますよ。人が飲んでいるのを見て、他の同修も飲んでいます」と教えてくれました。

 私にこの件を何度も見せたり、聞かせたりすることは、決して偶然ではないと考えました。重視させるために、私はこの件を書き出すべきだと思いました。

 では、修煉者は毒がある食物に対して、どのような態度を取るべきでしょうか? 師父は「大法弟子は修煉者です。現代人類の表面の体はそもそも汚染されており、同時に多くの業力が表面に溜まっています。修煉の過程でほかでもなく、これらの良くないものを取り除き、あなたの考えと体を浄化し、欠損したものまで取り戻すことができます。帰位するとき、かならず神の体の基準に達しなければならないので、問題はありません。修煉さえすれば、これらの問題はありません。成人はすぐ奇形になることはありませんが、髪の毛が抜けてしまいます。影響は小さいものです。後世への影響は大きいのです。修煉者であれば、子どもであれ、大人であれ、いずれも解決されている過程にいます。あなたの体は汚染の有無に関係なく、転化の過程にあります」[1]とおっしゃいました。

 また、修煉者は保健薬を飲む必要があるかどうかについて、師父は「修煉者は身体に病気があれば功が出ることはなく、つまりきれいではない身体では修煉できないのです。ですから、修煉の時あなたの身体を絶対に純潔できれいになるまで浄化してあげてから、やっと功が出ます。ですから私たちは病気治療をしないと私は言っています。しかし、私は真に修煉する人のために身体を浄化してあげるから、そのような身体には病がありません。皆佛の境地の身体になりたがっていますが、栄養食品を食べてそのような身体になることができますか? 絶対無理です。それなら、食べる必要もないのではないでしょうか。それは美味しいもので味見するほどのものでもありません。修煉の過程で、わたし達はあなたの身体を浄化し、ますます正常で最もよい状態を目指しており、これは薬を飲んでもできないことです。それでまだ薬を飲めば、修煉に対して不安があり、自分を修煉者として見なしていませんが、このような道理ではありませんか? 自分を修煉者として見なさなければ、私たちはどうやってあなたを修煉者として扱うのでしょうか? この道理ではありませんか? 漢方薬にしても西洋薬にしても、皆薬であり、これは間違いのないことです。あなたはただ健康な身体がほしいのですが、私たちの修煉はこのことを遥かに超えています」[2]とおっしゃいました。

 私は師父がこのことについての法を読むと、心が落ち着かなくなり、また、ゆっくり何度も読み返し、一つ一つの言葉を頭の中に深く刻みました。法の中で師父は保健薬、栄養食品への執着をはっきりと明らかに解釈されていました。法で私たちの行為を照らし合わせて比べてみると、本当に師父に申し訳なく思いました。お金をかけなくてもよく、何にもしなくてもよく、ただ正念さえあれば、師父は何でも私たちにやってくださり、何でも私たちに与えてくださいます。しかも、宇宙の中の最もよいものです。師父が私たちに最もよいものを与えてくださっているのに、私たちはそれを大切にせず、常人の汚いものを宝物にし、本当に師父に申し訳が立ちません。また、師父にご心配をかけています。同修たちよ、考え直さなければなりません。修煉者として、師父の言われるとおりに従わなければ、それは漏れではありませんか。これを利用して、旧勢力は必ず私たちの修煉に困難を作ります。

 私のある知り合いの同修が長い間、病気で困っています。耐えられなければ、病院に行きます。病院でも治せなければ、家族の皆は冬虫夏草やナマコなどの高級な栄養食品を食べさせます。彼女が執着すればするほど、病業の迫害もひどくなり、体がだんだんに悪くなりました。最後に、彼女は自分から医者を訪ね、薬を買って飲むようになりました。常人が黒茶がいいと教えれば黒茶を飲み、菊がよさそうだと聞いたら、菊を飲みます。高価な栄養食品を2年の間連続して食べ続けたり飲み続けて、なんと60万円ほどかかりましが、それでもなんの効果も効き目もありませんでした。今はベッドに横たわって自立も出来ず、ただぼんやりとしていて介護士に介護されています。その保健薬を飲んでいる年配同修は、体がだんだんと老化していき、歩くにも人の力が必要で、今退院したばかりです。また、私の接した同修の中には、保健薬や栄養食品に執着すればするほど体が悪くなり、何度も病院に通う人がいます。

 修煉はとても厳粛なものであり、教訓深いものです。いまだに保健薬や栄養食品に執着している同修たちは、これを今後の戒めとして、急いで改め目覚めてください。盲目的についていかないでください。法を師にし、正しく自分の修煉の道をしっかり歩んでください!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法
 [2] 李洪志師父の経文:『スイス法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/3/15/344254.html)