師と法を厳粛に敬ってこそ 大法に同化できる
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年4月7日】学生は教師を尊敬し、教師の伝える正統な教科書の知識を尊敬して、初めてきちんと知識を習得することができます。これは普遍的な人間として生きる道理です。

 そうであるならば、佛を修め、新宇宙の「真・善・忍」の基準に同化するというもっとも厳粛なことにおいて、大法弟子はなお、全宇宙におけるもっとも敬虔で、もっとも尊敬する心を持って大法を学ばなければなりません! そうして初めて法を得ることができ、法に同化して次元の昇華を得て、大法の異なる次元での法理を悟ることができます! 法を学ぶとき、心に尊敬の念がなければ、大法の法理も現れることはありません。

 しかし、一部の古い修煉者はどのように学法しているのでしょうか? ある人は『轉法輪』を見ながら向日葵(ひまわり)の種をかじったり、お茶を飲んだり、あるいは物を食べています。ある人は師父の説法の録音を聞きながら考え事をしています。ある人はベッドに横たわって本を読んだり、録音を聞いたりしています。ある人は法を音読しながら心は上の空になっています。ある人は街を歩くとき、あるいはバスに乗るときに、MP3で説法を聞きながら目でキョロキョロと周囲を眺め、きれいな異性が見えたら長く見つめてしまいます……皆さん、考えてみて下さい。このような修煉者は何をしているのですか? このような学法では効果があるのでしょうか? このような師と法を敬わない態度では、法があなたに高次元の法理を見せることがありえるでしょうか? あなたの異なる次元での知恵を開かせることがありえるでしょうか? 法を得るどころか、却って業を作ってしまうかもしれません。あなたの師と法を敬わない態度は慈悲なる師父は見逃してくださっても、旧勢力はその一つ一つをしっかりと記録に取り、随時にあなたを魔難に陥れる準備をしています。他の神も記録していて、最後にすべてを総決算し、あなたの位置を決めるのです。

 一部の修煉者は明慧ネットの掲載文章を物語として聞き、自身と比べて修めようせず、単なる物語として聞いています。一部の年配の修煉者は交流文章を大法として学び、毎日、交流文章を聞くことで学法の任務を終えたと考えています。皆さん、考えてみて下さい。これが修煉なのですか?

 常人の例を挙げてみます。教室で、教師は講義をしています。しかし、居眠りをしている学生もいれば、小説を読んだり、向日葵の種をかじったり、ゲームで遊んだり、空想したり、あるいはテーブルに伏せたり、隣のクラスメートとコソコソ話したりしている学生もいます。これらの学生は良い学生と言えますか? 彼らは卒業の際、学校の先生や校長先生から合格の証(あかし)の卒業証書をもらえるでしょうか? 厳しいでしょう!

 正法修煉の時期の基準はもっとも厳格で、もっとも厳粛なものです! なぜなら、それは個々の圓満成就の問題だけではなく、新宇宙およびその中にいるすべての生命が永遠に存続していくことができるかどうかに影響を及ぼしています。生命の歴史において、これほどの大事なことは二度と訪れないでしょう! 縁があって正法修煉の時期の大法弟子になれた皆さんは、私たちの一挙手一投足、一つの念が膨大な生命群に影響を及ぼしてしまいます! なぜ厳粛に対応しないのですか!!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/10/27/318127.html)
 
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