風雨の中、かつての同修を呼び覚ます
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文/広西省の大法弟子 清風

 【明慧日本2017年4月9日】2009年に退職してから、実家から400キロほど離れた都会にいる娘の家に住み、一家全員の世話をしています。当地の同修とあまり連絡を取っていないため、ほぼ独りで修煉しています。集団で学法し、同修と協力し合う環境から離れると、孤独と無力さに直面しました。けれども、大法の法理が常に導いてくれるため、7年間の試練を通じ、多くの人心と執着心を取り除くことができ、無事、今日まで歩んでこられました。これから、今までの修煉体験を師父への報告も兼ねて、皆さんと交流していきたいと思います。

 一、家庭資料拠点の維持

 私は2007年にパソコンを学びながら、家で資料拠点を立ち上げました。同修の手助けの下、ネットに上がり、ファイルをダウンロードして印刷し、当地の同修たちに資料を提供することができました。また、同修と協力し合って当地の『明慧週刊誌』も編集しています。2009年、夫と娘の家に引っ越してきた時、資料拠点も一緒に移しました。「ここに来たということは、きっと私に救うべき衆生がいるはず。それなら、きちんと三つのことをしなければならない」と思いました。パソコンは衆生を済度するための法器なので、この見知らぬ環境下で、パソコンは私の良きパートナーになり、私もそれを大切に使っています。

 パソコンの操作などが全く分からないので、以前は同修がセットアップしてくれました。当時は、私もその同修も働いていたため、やり方を教わる時間がありませんでした。引越しの2日前に、その同修がやり方を教えに来てくれましたが、その時の私はまるで映画でも見ているかのようで、一通り操作したものの全く覚えていませんでした。自分は重大な使命を背負っているので、出来る限り自分でセットアップできるようにしなければなりません。娘夫婦もできないため、法器なしでは衆生を救えないと思い、師父にお願いしながら、同修が教えてくれた時に取ったメモを取り出しました。苦戦を経てようやくパソコンのセットアップに成功し、心から喜び、知恵を授けてくださった師父に感謝しました。

 皆で修煉し、精進する環境から離れたので、明慧ネットは私の心のよりどころになりました。ここでは、師父の新しい経文や『明慧週刊誌』、同修たちの修煉体験を読むことができ、師父の法を正す道のりにしっかりついて行けるので、とても感謝しています。当地も迫害が比較的に酷い地区であることを明慧ネットから知り、ここの衆生たちは真相を知らないということが分かり、明慧ネットから週刊誌や真相チラシを印刷し、また、『九評共産党』をDVDにして、様々な真相資料を組み合わせながら配っています。毎年の神韻のDVDについては明慧ネットに載っている要求にしっかり沿って制作しています。毎回20枚以上配れますので、世間に愛されていることが分かります。

 何年か前に、まだFirefoxの使い方が分からず、邪悪にネットを封鎖される度に師父にお願いしましたし、師父も毎回助けてくださいました。2013年の私は師父への新年の絵葉書を制作し、明慧ネットに送ろうとしましたが、どうしても送信できず、新年の前夜になっても送れず、私は焦って泣き出してしまいました。師父の写真の前に跪き、「私がしっかりしていないばかりに師父にご心配をおかけしました。師父のご恩には言葉に表せないほど感謝しています。新年の時を借りて師父への挨拶と感謝の気持ちを手作りの葉書にしました。ぜひ受け取ってください」と師父に伝え、再び送信したところ、うまくいったので、「ありがとうございます」と慌てて師父に伝えました。

 二、窮地にいる同修を再び修煉の道に連れ戻す

 夫は1998年に私と一緒に法を得ました。最初の頃、あまり法を勉強しなかったので、1999年の「7.20」後、中国共産党による弾圧に耐えきれず、修煉を諦め、常人同然のように金銭と名利に飲み込まれていました。大法の修煉は厳粛なもので、「法の要求通りにしない者は法輪大法の人ではないので、あなたの身体を常人の位置に戻し、良くないものもあなたに返します。というのもあなた自身が常人になりたいと思っているからです」[1]と師父は説かれました。

 夫は大法から離れ、常人社会で日々戦ってきたので、その結果、高血圧や関節痛など、長年、薬が途絶えたことがありません。特に、2014年に大手の病院で、末期の肺がんと診断され、3~6か月の余命と告知されました。また、肺がんは治療してもあまり効果が現れないが、最善を尽くすと医者に言われました。家族全員心を痛め、子供たちもせめて四つの治療過程を終わらそうと夫を説得しました。10リットルほどの胸水が吸い出され、幾度もの治療により夫は10キロ以上も痩せて、白血球が2000まで下がりました。「患者の状態があまり好ましくないため、死亡の可能性は非常に大きい」と医者に言われました。

 夫の人生が最後を迎えようとしているのを見て、彼を救えるのはもう師父しかいないと思いました。重い気持ちを抱きながら夫の命を救ってくださいと師父の写真の前に跪きました。以前、何度も夫に修煉を勧めましたが、彼は迫害を恐れて決して頷いてくれませんでした。今回は誠心誠意に、「私と一緒に修煉しましょう。師父はきっとあなたを助けて下さいます」と伝えたところ、夫は迷わずに頷いたのです。すぐに師父の説法の録音テープを流し、夫は一気に1講を聞き終え、気持ち良かったそうです。そして、煉功の動作を教えている時、慈悲なる師父は夫の記憶を開き、五つの功法をすべて思い出したのです。

 退院後、夫の体はまだ衰弱していますが、毎日煉功を続けており、本を持ち上げるだけの力もないため、足の上に載せて読んでいました。しかし、それでは師父と法に対して失礼なので、敬意を持って両手で本を持たなければならないと彼に伝えました。夫は「真・善・忍」の要求で自分を厳しく律し、常に法理で自らを正していったので、体が少しずつ良くなっていき、食欲も少し戻ってきました。「師父が面倒を見てくださったよ!」と喜ぶ夫を見て、私もこの上にない幸せを噛みしめました。それから2カ月後、病院でCT検査を受けた所、癌の大きさが随分小さくなり、胸水も消え、他の検査も全て正常値で、夫の体重も70キロ台に戻りました。全ては大法と師父の恩恵であり、私たち家族全員心から師父に感謝しています。

 あれからすでに2年半たちますが、夫は薬1粒飲むことなく、いつも笑顔で、人に会えばすぐに大法が自分の命を救ってくれたこと、そして、大法が迫害されている真相を話しています。親戚や友人も彼の体に起きた奇跡を検証し、私たちの修煉を支持し、子供も、江沢民告訴を応援してくれました。また、告訴状を送る時、邪魔が入りましたが、娘婿が自らの意志で私たちの代わりに出してくれたのです。

 業力を消すため現れる病に夫が苦しめられている時や旧勢力の妨害が入ってきた時、私は彼と共に法を勉強し、発正念をします。「あなたは再び修煉に戻ってきたので新しい学習者です。新しい学習者の修煉と法を実証することは繋がっているので、難も大きくなる。だから、正念を持たなければならない」といつも夫に言っています。夫は法理を理解し、意志も堅いので、何度も正念を持って試練を乗り越えることができました。新しい修煉者の大切さとその精神は私の精進も促し、時々疲労困憊でも依然と嬉しく思います。

 今や夫は法を実証する道を歩んでいます。どれほど疲れても毎朝必ず3時40分に起きて煉功します。私たち2人はそれぞれのアラームを管理します。私は0時、夫は朝3時40分を担当しているで、時間が過ぎることはありません。孫娘の世話と家事もしなければならないため、夫にもっと法を勉強させようと、孫娘の世話とほとんどの家事は私がやっていました。午前中の買い出しの時間のみ利用して人に真相を伝え三退を勧めています。夜は夫とチラシ投函や、看板の貼り付けなどをしています。衆生を救うことになると、夫は誰よりもやる気があります。例えば、木に看板を掛けたり、シールを張ったりすることは夫の方が得意なので、いつも私が荷物を持つ係で、隣で発正念をします。師父のご加護の下、毎回順調にいきました。

 独自の修煉から同修たちと共に精進するこの環境に戻ってくるまで多くの試練を乗り越えてきました。慈悲なる師父は夫の命を救い、皆で修煉する環境も与えてくださり、師父への感謝の気持ちは言葉に表すことができません。夫との2人だけの学法チームは毎日1講の『轉法輪』を勉強するようにしています。その後、交流してお互いに切磋琢磨し、時間が余った時は師父の経文を勉強します。新しい学習者をしっかりサポートするのは私の使命なので、師父が巨大な苦痛と引き換えに延ばしてくださった限りのある時間の中で、自分にできる限りのことをしっかりこなしていきたいと思います。

 慈悲で偉大な師父に感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/12/7/338587.html)
 
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