文/中国の大法弟子 青岩
【明慧日本2017年4月17日】私は退職した炭鉱労働者です。80年代のある大規模な炭鉱の落盤事故の中で幸運にも生き残りました。事故後の日々は耐え難い苦痛の連続で、長期にわたり半身不随になった私は、苦しみの中で生活し生きていくことに希望を失いました。しかし、法輪大法に出会ってから奇跡的に再び立ち上がりました。
事故当日、私は同じ班の労働者たちと一緒に炭鉱の中で石炭を採掘していました。私達の班は60人あまりいて、2人1組で 「支柱」(炭鉱内の天井落下を防ぐために設けられた支え)の移動を担当していました。石炭を採掘する加工面が1~3メートル前進する度に支柱を打ち倒して、前へ移動させなければなりませんでした。普段、私は楽々と金槌で鋼の支柱を打ち倒していましたが、その日はなぜか、どうしても打ち倒せませんでした。同じ組の同僚はそれを見て、ぐいっと私の手から金槌を奪い取りました。ちょうどその時、恐ろしい落盤事故が発生しました。長さ30メートルあまり、幅20メートルほどの厚さ14メートルの巨大な石のブロックが急に頭上から落ちてきて、身体を直撃しましたが私の頭と左手、身体の左半分は衝撃から免れました。どれくらいの時間が経ったか分かりませんが、人の声が聞こえた私は大声で叫びました。その時も上から小石や石炭の塊が止まらず落ちてきました。経験豊富な救助隊員は私の脊椎が傷ついて動けないことを知り、身体の下から石炭を少しづつ掘り出して石の下から私を救出しました。その後、4台の油圧クレーンを動員してもその石を持ちあげることができませんでした。私の組の同僚は頭を打たれて命を失いました。あの事故で1人が死に8人が負傷し、大きな損失をもたらしました。
病院の立会診察では、私の第1、2、3節の腰椎が圧縮骨折しており、脊椎の神経を圧迫しているため、腰椎内に鋼板を差し込む8時間の手術を経て、何とか一命をとりとめました。皆は「あなたってラッキーですね。針の穴から命を拾いました。坑内の機械でさえ叩き潰されたのに、あなたは生き残れました」と言いました。病床のまま長時間の治療を受けて半年後、私は何とか杖を突きながら歩けるようになりましたが、うっかり地べたに転んでしまうと大変で、大小便を失禁してしまいます。
療養期間中、体の弱い妻と未成年の子供は、家の大黒柱を失い天が崩れたような悲しそうな眼差しで私を見ると、心が砕けて何度も死のうと考えました。しかし、幼い子供の世話をする者がおらず、心身の苦痛に耐え、生きることも死ぬこともできない日々を送っていました。私は良薬を求めるために北京や天津の多くの大病院を訪ねましたが、専門家から「これ以上、良い治療方法がない」とほぼ同じ回答でした。徹底的に絶望した私は毎日、薬を飲み、毎月、点滴を打つという苦痛な生活を数年間送りました。
1997年春、私は当地の法輪功の集団煉功に参加しました。最初は車椅子に座って煉功し、徐々に脚に熱い流れを感じ、腰痛もずいぶん良くなりました。それから私はいっそう自信がつき学法と煉功を欠かさず、心を修めることを継続し、身体も日に日に好転していきました。私はとても幸運で、法輪大法によって新たな希望に満ちていました。以前の私は気性が激しく病魔の影響でさらに天を怨み、何でも他人のせいにし、家ではよく子供に対してかんしゃくを起こしていましたが、煉功してからは 「得と失」の法理が分かり、怒らないように努力しました。私が変わってくると子供たちも幸せを感じ、家庭内も円満になりました。その後、私は完全に杖を捨てることができました。ここで、李洪志師父に深く感謝し、法輪大法による救いのご恩に感謝いたします!!
上記の写真の説明ですが、中国の大法弟子・青岩さんは炭鉱の落盤事故で、落ちてきた巨石に圧迫されて、第1、2、3節の腰椎の圧縮性骨折をおい、脊椎の神経が圧迫されて半身不随になり感覚を失いました。当時、8時間以上の応急手術を受ける際、青岩さんは骨折した腰椎を鋼板で固定してもらい、圧迫されている脊椎を2枚の十数センチの鋼板で挟み、両側をネジで固定してもらいました。その後、青岩さんは鋼板の取り出し手術を受けて、術後の長い期間、車椅子に座り、杖をつく生活を余儀なくされました。彼は天津病院、天津整骨病院、天津漢方医院、北京協和病院、天壇病院、宣武病院、朝陽病院、北京病院、積水潭病院、同仁病院などの大病院に行き治療を受けましたが、長年の間、何の効果も得られませんでした。青岩さんは1997年に法輪大法の修煉に参加し、車椅子に座って煉功を始めました。なんと2000年頃には、もう完全に杖を捨てて普通の生活に戻りました。この写真は青岩さんの回復した後の現在の背中の状態です。ご覧の通り、脊柱あたりに15センチほどですが、全快した傷跡があります。
中国共産党による法輪功への迫害が始まった後、私は天安門広場に行って、人々に大法が迫害を受けている真相をはっきりと説明しました。迫害がもっともひどい時期に、私は故郷に帰りました。会社の書記は十数人の警官らを引き連れて田舎まで探しに来て、私を思想改造施設に連行しようとしました。私は彼らに法輪大法を修煉してから得た心身の変化、家庭の変化を伝え、脊柱の15センチの手術の傷跡を見せました。信じ難いものの、実際に私の身に起きた出来事を彼らは静かに聞いていました。最後に、書記は 「それなら、家の中で修煉して下さい!」と言いました。こうして、私は大きな災難から免れました。今の私は真相を伝えるために毎日自転車で街中を走り回り、以前のような健常者に生まれ変わりました!