生命を大切にし、旧勢力を否定する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年4月18日】生命は大切にすべきです。特に大法弟子は更に生命を大切にしなければなりません。なぜなら、私達の生命は偉大なる師父が授けてくださったもので、しかも師父は私たちに衆生を救い済度する重大な使命と、この上ない栄光をも授けてくださいました。

 師父は「一人の人間を済度するのはきわめて難しいことで、あなたの考えを直すことも難しく、あなたの身体を調整することもきわめて難しいのです」[1]と説かれました。私たちは毎回この部分を読む度、師父の恩に感謝し涙を流します。師父の私たちを救うことの難しさ、大変さを深く感じ、同時に大法を修煉する誉れを感じます。みな大法の修煉を大切にし、勇猛精進しなければいけません。

 しかし最近、我が地区では多くの同修が強制連行され、更に旧勢力に病業の形で命を奪われ、衆生を救い済度するという重大な使命に損失をもたらしました。これらの同修の中には、三つのことをしっかり行って、非常に精進していた同修もいます。例えば、我が地区には一人の年配の女性の同修がいて、三つのことをしっかり行っていて、子供たちとも仲良くしていて、人に会って直接真相を伝え、資料も作成していました。家の貯金の一部を大法のために使い、たくさんの代価を支払いました。しかし数日前、仕事を終えた同修の娘が帰宅した時、同修はドアを開けず、やっとのことでドアを開けてみたら、同修は床に倒れていて、すでに意識不明になっていました。急いで病院に送って、緊急手当を受けましたが、病院ではすでに治療することができないと言われ、帰宅しました。他の同修を呼んできて発正念しても効かず、あんなに素晴らしかった同修は数日間で大きな使命をやり残したまま、この世を去りました。非常に心が痛いことです。法を正すことがまだ終わっておらず、人を救う大事がこの同修を待っているのに、なぜだか(終始一言も言っていなかったのです)このようにして世を去りました。

 これらのことは、大法の損失であるだけでなく、親戚、友人、及びほかの常人に対する影響も非常に大きいのです。ですから、大法弟子は必ず生命を大切にしないといけません。それは自分に対して責任を取るだけでなく、大法のために、衆生のために責任を取ることです。ここで同修を責めているのではなく、私たちは必ずこのようなことの発生を根絶すべきで、重視しなければならないと言いたいだけです。「それなら自分で大切にします」と言えば、大切にすることができるのでしょうか。できます。絶対できます。なぜなら、私達には大法と師父がおられ、旧勢力には私達を迫害する資格がないからです。特に、今日大法の進展はすでに最後に差し迫っていて、邪悪は本当に雀の涙です。私達大法弟子は今日まで修煉してきて、厳しい試練も経験しました。ただ正念が十分であり、100%師父と大法を信じていれば、これらは発生すべきことではありません。

 これに対して、師父は説法のなかで何回も説かれました。ただ私達が真面目に、しっかり法を学び、多く法を学び、自分をしっかり修め、本当に自分をしっかり修煉し、自分の心性と次元を向上させ、確実に大法に溶け込み、何事についてもまず大法を第一にし、師父が如何に説かれたか(少なくとも大体の意味を思い出す)、即ち真っ先に思うことが師父で、私には師父がいらっしゃるということをしっかり思い出せば、これこそ正念です。修煉者として、この正念さえ持っていれば、十分この正念を持っていれば、乗り越えられない関と難はありません。例えば、ある同修は交通事故に遭遇しましたが、第一念が「私は大法弟子です。私は師父に守られています」ということでした。すると何事も発生しませんでした。本当に何も起きませんでした。しかし、一部の同修は先に思いついたことが、「速く病院に行かなくては」ということでした。結局、苦しみ、お金も使い果たし、ひいては命を落とした例もあります。このような例は、明慧ネットにたくさん掲載されていますし、我が地区にもあります。

 また例として、同修にひどい病業状態が現れたのを見た同修の家族が、直ちに彼に「私たちには大法と師父がいらっしゃいます。発正念をして、旧勢力の按排を否定しましょう。残るか、去るかは師父に決めてもらい、師父が按排された道を歩みましょう」とアドバイスしました。同修は意識不明でしたが、彼女の主元神ははっきりと分かっていました。あなたの正念により助けを必要としています。逆に、先に思ったのが「速く病院に送って、緊急手当を受けましょう」だったとすると、その結果は想像がつくのです。なぜなら、同修を常人とみなし、常人の次元へ押し出したからです。すると必ず常人の結果となり、それが分かった時はもう手遅れです。すでに旧勢力の按排した道を歩み、旧勢力は「これらの人は試練を乗り越えてない、師父と大法を十分信じてない」という迫害の口実を掴んでしまいます。このような例も少なくありません。同修を病院に送りながら、ほかの同修に発正念してもらいます。口では「旧勢力の按排を認めません、否定します」と大声で言います。しかし、一部の人の行為は100%師父と大法を信じておらず、旧勢力の按排から抜け出せません。真の正念が足りず、即ち師父と大法を100%信じていません。もし、師父と大法を100%信じていて、非常に精進しており、漏れなく修煉していれば、旧勢力が迫害しようとしても手が届きません。たとえ不足があるとしても、私達の念が正しければ、随時に内に向けて探せば、十分関を乗り越えることができます。同時に、師父は私達の身辺にいらっしゃいます。師父は私達より私達を大切にしてくださっており、時々刻々私達を守ってくださっておられます。肝心なのは私達の念が必ず正しくなければならないということです。

 ここで、精進してない同修、十分精進してない同修に再びアドバイスします。たくさんの人心を放下することができず、苦を舐めようとせず、ひいてはお金のために忙しく、非常に疲れるほど走り回っていたら、修煉の時間が十分足りることを保証できません。時間には限りがあります。師父が私達のために、苦労しながら伸ばしてくださった貴い時間は大変貴重なのです。

 ここで、一言ではっきり説明することはできません。最近明慧ネットに連載された文章「古今の天象から正法修煉の延長について考える」(計15篇)を読むことを提案します。本当に皆走ってきて、正法の進展に追いつけるよう希望します。絶対自分に遺憾を残さないようにしましょう。師父はあなたのために焦っておられます。同修もあなたのために焦っています。

 以上、不適切なところについては、慈悲なるご指摘を願います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/4/7/345296.html)
 
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