円満成就へ歩むことについての悟り
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年5月2日】法を正す時期の大法弟子として、皆最後に圓満成就へ向かって行くはずです。圓満の基準は大法が量っているので、大法に対する認識を益々はっきりさせ、修煉の過程の中で基準に達するための努力をしなければなりません。

 常人から神になり、特に大法弟子として、史の誓約を実現させ、圓満の基準に達するべきだと思います。個人の認識では、少なくとも下の五つの方面での圓満を重視しなければいけないと思います。

 一、真の念

 「真の念」は、神の念、主元神の思想です。我々は、大法の真・善・忍の宇宙特性から、自らが悟った法理を実証し、大法の覚者に成就する修煉者です。この要求は厳格で高く、旧い宇宙から抜け出す必要があります。この抜け出す過程の中で最大の障害は、「私」と「自我」で、私たちが抜け出すことを制限しています。私たちは、遠い天体から師父に従い一層一層降りてきて、人間世界で神伝文化を造り、師父が正法を伝え始める1992年5月13日を待っていました。この待っている過程の中で、全ての次元の意識形態のものは頭に蓄積され、後天の観念になりました。大法を得て戻って行く際に、それらのものは妨害になりました。人が話し、行ない、思ったすべてのものは、何もかも修煉の中で修めて除去し、大法と同化しなければなりません。心を用いて、「学法発正念真相を伝える」三つのことを重んじることは、「私」と「自我」を除去し、無私無我の大法の正覚を成就することだと思います。

 二、意志

 圓容、不壊、堅い意志の力は、修煉者として神に向かう必須要素です。修煉の路の中、最後の差し迫った時期になり、意志の力もますます重要になりました。

 意志の修煉は多くところで現れています。例えば、学法する際に眠いときがあります。この時、二つの選択があります。一つは学法をやめ、休んで精力が良いときにまた学ぶことです。もう一つは、眠いことを修煉の路にある乗り越えなければならない関として、克服し、耐えることです。前者は人の現れが、後者は修煉者としての意志を強めさせ、意志を修煉していることの現れです。困難にあったときは、難があるから戻るのか、難を乗り越えるかの姿勢に対して、前者は人の表れであり、後者は修煉者が精進していることと意志を強めることの表れです…などなど。今日に至って、法を正す時期の大法修煉は最後の最後にきました。多くの同修は怠けたり、意志が弱くなり、以前ほど精進しなくなりました。とりわけ旧勢力の妨害は、様々な方法で同修の意志を弱め、修煉する意志を粉砕することを企み、目的は修煉者を壊滅させることです。彼らのやり方のこの世での表れは、同修に自分自身がますます修煉者らしくないようにさせ、ダメだと思わせたり、安逸状態に陥れ、苦を舐めることをますます怖く感じさせ、同修をますます怠けさせ、積極的に三つのことをうまく行わせないことなどなどです。卑下の心や安逸心、苦を舐めることを恐れる心、依頼心、ひたすら享受を求める心、怠ける魔性などを拡大することで、同修の精進を抑制しています。同修の皆さん、是非このような現象を警戒し、意志を修める決心をし、修煉を始めた時の修煉状態を取り戻し、意志の方面で金剛を超越する圓満の基準に達しましょう。

 三、責任

 法を正す時期の大法弟子の修煉に、大法を実証し、邪悪を滅し、衆生を救い済度する責任があります。この責任を完成し、圓満の基準を満たさなければなりません。

 法を正す時期の大法弟子の前に二つの路があります。一つは、師父が按排された路で、もう一つは旧勢力が按排したものです。この迫害が発生した状況で、師父はこの迫害を全て否定され、旧勢力が按排した一切を認められていません。師父は旧勢力が按排したものを「逆手に取り」[1]、我々の歩むべき路を按排してくださいました。どの路を歩むかは、全て大法弟子本人の選択次第です。法に従って路を選んだ大法弟子は、師父が按排された路を歩んでいます。人のもの選んだ場合、旧勢力が按排した路を歩んでいます。路を正しく選べば、法を実証しています。これは極めて肝要なところです。このように、うまく行えば責任をはたすことになり、正しい路を歩むことは極めて重要です。これは大法弟子の最終的な圓満成就の基準です。しかし、正しい路を歩み、正念で旧勢力の按排を否定するためには、よく学法し、法を理解することが根本的な保障です。『轉法輪』を完全に暗記することは、絶対的に必要な一歩であると思います。

 師を助け法を正す路に、どこにでも危ないことや魔の妨害に遇う可能性があります。遭遇したらどうすればよいでしょうか。師父が授けてくださった神通力、法力、功能を発揮し、正念で旧勢力が按排したこれらの魔、黒い手や卑しい鬼、共産邪霊、次元の低い霊体、ごちゃごちゃした汚いもの、変異した生命、宇宙人、虫などを含め、全般的に旧勢力を否定し、宇宙を浄化するほかありません。正念で滅した生命を、師父は神通力と法力で新しい生命に組み立て直し、宇宙のバランスを取るために、負の生命としてその大法弟子の新宇宙に組み込まれます。このように大法弟子が良く行っていれば、責任をはたしていることになります。従って、発正念を重視することは極めて重要なことです。

 師を助け法を正す路で大法弟子たちは、皆一つの宇宙範囲を担当しています。この範囲内の衆生は、大法弟子自身が真相を伝えることによって、救い済度しなければならず、これは先史に師父の前で約束した誓約です。実現できていなければ、責任を果たしていないことになるので、真に圓満成就できるわけもありません。実現できれば、自分がやるべきことをやって、衆生を守ったことになります。ですから、心を込めて真相を伝え、衆生を救い済度することも極めて重要なことです。

 四、誓約を果たす

 師父は「真念洪願金剛の志 大洪を再び造るは一念の中」[2]と説かれました。私の理解では、新宇宙が築き上げられることは、法を正す時期の大法弟子が修めた一念で造成されるのです。その中に師父に従い三界に入り、この世で合格した法を正す時期の大法弟子になり、師父に従い正法のすべての過程を歩み、天庭の自分の新の家に帰ることが含まれると思います。

 師父に従い三界に入るこの部分は、もうすでに完成したので、元神に巨大な威徳をもたらしました。

 この世での合格した法を正す時期の大法弟子になるこの部分は、今実現しているところです。この部分は非常に非常に重要です。全てはこの過程の中で生じます。我々は是非この過程を大切にして、踏み出した一歩一歩を、真剣に歩まなければなりません。

 ある大法弟子は、先史の旧勢力の按排により早くこの世を離れました。もちろん圓満成就できますが、これは大法にマイナスの影響をもたらし、巨大な損失にもなります。原則的に、師父はこれを許しませんが、もし大法弟子自身の選択で、悟りがついていけず、認識できていないのであれば、難しくなります。師父と共に正法の全過程を歩み、全面的に旧勢力の按排を否定し、師父によってこの世から天庭に送られることは、私たち大法弟子の洪大な願いだと思います。これもとても重要な一点です。

 五、生命双修

 師父は私たちに教えてくださいました。大法の修煉は修と煉を含みます。両者はいずれも欠かせないことです。

 正法修煉の最後の今日、怪しい現象が発生しました。多くの大法弟子は、煉功を重視せず、むしろ無視しています。煉功がそんなに重要ではないかのように、もう一つの極端に行ってしまいました。

 実は、煉功はとても重要なことです。そうでなければ、なぜ「大圓満法」と呼ぶのでしょうか。煉は内に向けて探し、心性を修めることを重んじる前提の煉です。この上で煉功すれば、功能や神通力、術類のものが出るし、本体を演化することができ、元嬰や嬰孩、法身などの高級生命を演煉することなどもできます。肉身は、最後に全て高エネルギーの物質で金剛不壊の体に演化されます。他の空間にも入ることができ、すべてを持っていきます。この方面でも、圓満たる基準を満たさなければなりません。師父は「煉功は修煉を補っているため、両者のいずれも不可欠です」[3]と説かれました。

 われわれは皆師父の話を聞き、大法弟子が皆大法弟子の朝の集団煉功に参加し、地球を一つの真の最大の煉功場にさせましょう。

 個人の認識にすぎないので、足りないところは、慈悲なる指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一二年米国首都国際法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『洪吟二』「一念中」
 [3] 李洪志師父の経文:『アルゼンチン法会への祝辞』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/4/5/345176.html)
 
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