2017:新旧交代 極めて危険である(下)
文/聖縁
【明慧日本2017年5月10日】大法弟子全体の修煉の時間は師父に何度も延長して頂きました。多くの弟子はそれを大切にし、絶えず精進していますが、一部の人は時間が経つにつれて緩み、正法修煉の時間が延長されることに半信半疑になり、怠惰するうちに中士まで落ち、甚だしきに至っては圓満成就に対しても動揺し、正法修煉を放棄または大法に反対する側に走りました。これらはすべて師父や法を完全に信じていないことによる結果です。遡れば、その根源は旧勢力が中華神伝文化を破壊し、現代人の大法を認識することに妨げをもたらしたからです。
正法修煉の時期に保留されたそれらの古い按排の肝心な時刻も、天象に刻まれました。これらの大きな事件の節目節目を顕現させれば、私たちはその中から正法修煉の度々の延長が見えてきます。それによって不信の要素を排除し、最後の修煉の機縁と時間を大切にすることができます。
本文は大法修煉の中での個人的な悟りなので、次元の限りがあります。適切でない部分があれば、皆さんからご指摘を頂ければ幸いです。
(前文に続く)
これまで、私たちは1999年、2001年、2003年、2012年、そして2016年の正確な天象の節目節目を検証し、正法が旧勢力の束縛を突破し、度々時間を延長してきたことを見て来ました。いよいよ2017年に入りました。旧勢力が終結の年と定めた2017年に、古今に比類がないほどの険しい天象が現れました。
6. 法を正すことが終わりを迎え 神韻から啓示が見られる
李洪志師父は大法弟子たちにこのように告げられています。「私が終わりと言えば終わってしまい、残った宇宙は自ずと爆発してしまいます。旧勢力は自分の方法で天体の最後の生命を法を正す中で全部片付けてからやっと手を引き、その目的はあの時間内でそれを終わらせないようにするためです。それなら終わらせるべきですか? 終わらせるべきではありません。なぜなら、多くの大法弟子が落伍し、多くの生命がなくなり、多くの衆生が救われ済度されなくなるため、宇宙は非常に小さくなるのです。しかも欠損しています。終わらせるべきですか? ですから、私はずっと言っていますが、つまり旧勢力の按排を逆手に取っているのです」[1]
私の限られた理解では、旧勢力はそれらの方法で宇宙を造り直すために、低い次元の旧勢力は何回も正法を追跡し、迫害を延長させてきました。しかし、さらに高次元の旧勢力はその追跡と延長を随分昔から予見し、億万年前に太陽系の天体軌道を設計する際に、紀元前3113~2017年の天象を按排しました。表現が正確ではないかもしれませんが、ひとまずこのように言うしかできません。
師父は私達にこう教えられています。「大覚者たちは今日のこの事を按排したので、それならば宇宙の演化過程の中で一切の事はすべてこの事のために道を開かなければなりません。宇宙の形成の初期にはすでに最後の大事のために按排をしていました」[2]
私が慧眼通を通してみた2017年の「歳星(木星)は角宿と亢宿に留まる」という天象と対応する大津波は、旧勢力による低い次元の按排の顕現でした。今、大津波は絶対に師父によって変えられたと思います。どのように変えられたのでしょうか? 神韻の「大津波」のシーンを思い起こして見て下さい。突然やってきた津波を前に、人々は驚きながら逃げ回りました。役者は如実に師父が大手印を打たれる姿を演じた後、津波が退き、人類の劫難が取り除かれました。その後はどうなりましたか? 人々が楽しく祝う中、宇宙の法を正すことが終わり、法が人間社会を正し始めました。
師父は大法弟子たちにこう教えられています。「今、皆さんは魔の首魁である江沢民の逮捕を期待していますが、捕まえられたら、このことは終わってしまいます。これほど速いのです(拍手)。今はもうすぐです。今は本当にもうすぐです。ただ、たくさんの悔いが残ります」[1]。「私が時間を延ばしたのはつまり、皆さんに時間を与え、早く取り組むようにするためです!」[1]
7. 法を正すことが終わった後の行方は? 神韻からヒントが得られる
宇宙の法を正すことが本当に終われば、大法弟子はどうなるのでしょうか? 当然、大法弟子は時間や圓満成就に執着してはいけません。このような執着の心を取り除き、理性的に法理をよく理解し、真に修煉の緊迫性を知って初めて勇猛邁進できます。
【最初の按排】
言うまでもなく、大法弟子は皆師父の本来の按排を知っています。法を正すことが終われば、正法時期の大法弟子は皆圓満成就してそれぞれの果位に帰し、誰一人残されません。師父は神通力を顕し、大いなる神の奇跡を以って法で人間社会を正します。
しかし、本当にこのように終われば、皆が後悔するでしょう。なぜなら、多くの執着をまだきれいに取り除いておらず、多くのことをまだ完璧にこなしておらず、法を正す師に手伝う洪大な誓いもまだ完全に果たしていません。そのとき、真に合格し、圓満成就できる弟子は何人いるでしょうか? 圓満成就できるその一部の大法弟子も、まだ良く修めていない部分があって、よくできた真体が帰位しますが、出来ていない部分が爆発してしまうため、対応する宇宙も不完全なものになります。そのような終わり方では、多すぎるほどの残念な思いが残るでしょう!
もちろん、もしも本当に本来の按排通りに法を正すことが終わるのであれば、良く出来ていない部分があって、師父の要求に達していなければ、自分自身を責めるしかありません。そのため、今は急いで補い、奮い立って追いかけるほか、道がありません。
しかし、神韻の演目はすでに新たな可能性を示す按排を現してくれました。
【神韻演目の言外の含み】
私たちは神韻の演目が師父によって編制され、それ自体が法の現れであることを知っています。神韻が衆生を救い、未来を創出しているため、当然、中には未来に関する描写があります。皆さん覚えていると思いますが、ある神韻の演目の中に、鐘のように響き渡るナレーションがあって、およその意味は、「創世主とともに千年の王になる」でした。
「千年、ともに王になる」の人間社会での根源は、『聖書・ヨハネの黙示録』で見つけることができます。そこに、他空間の現れに関する描写の予言があります。「すると、もう1人の天使が降りて来るのを見ました。その手には底なしの淵に通じる穴の鍵とチェーンがありました。彼はあの龍を捉えて、古蛇である悪魔、サタンともいうものを千年縄で縛り、底なしの淵に投げ込んで、ドアを閉めて封印し、千年が経つまで再び列国を惑わさせないことにしました。千年が経った時点で一旦それをしばらく解放しなければなりません……また、イエスのために目撃証言を行い、そして神の道のために殺され人々の魂および、獣や獣の像を拝んだことがなく、額や手に獣の印がない人々の魂が復活して、『キリスト』と共に千年に渡り王でいることが見えました」
ここで言う「キリスト」はイエスではなく、『黙示録』を通読すれば分かるように、この「キリスト」は世の子羊、万王の王、万主の主、ミカエルです。キリストとメシアは同じく救世主を意味し、後代の人は敬称としてイエスをキリストと称しました。ユダヤ教はイエスを救世主メシアとして認めていません。なぜなら、救世主なら世界を救い、自分も救うことができますが、イエスは世界を救っておらず、自分も救っておらず、さらに全人類も救いませんでした。しかも、イエスは自分の法を東の方へ伝えないように命じました。ゆえに、上述の予言を正確に翻訳すれば、最後の部分は「『救世主』とともに千年の王になる」になります。
大法を学んでいる私達は知っていますが、末劫時の救世主はすなわち宇宙の最初の創世主です。こうみれば、神韻のそのナレーションは『黙示録』の予言と重なっています。言い換えれば、黙示録は再び文化的な基礎造りの作用を働きました。
前述した『黙示録』の予言の中に、悪魔のサタンを地獄に千年封じ込める描写がありました。それが人間社会の千日に対応し、まさに新政府が舞台に上がって全面的に権力を握り、江沢民の残党が権勢を失う時期です。サタンの魔の手は世の中の法輪功を迫害してきた高官や汚職官吏を意味し、彼らの多くは落馬して逮捕されます。それでは、「創世主とともに千年に渡り王でいる」とは、何を意味するでしょうか? 悟りながら、真相の顕現を待つしかありません。
筆者が理解するには、正法は決して『黙示録』の予言を踏襲せず、古い按排から有用な部分だけを用いることになると思います。神韻のナレーションから、一部の大法弟子の神の一面が「復活」し、功能を駆使しながら師父と一緒に法を用いて人間社会を正すというニュアンスが読み取れます。「ともに王でいる」とは、官職に就いたり国王を務めたりするのではなく、「王」は佛家の「法王」を意味し、神通力が備わる正法修煉者のことだと思います。法が人間社会を正し、衆生を引き続き救い、人類をまっすぐにするには、神通力を用いて事を行わなければならないのです。これは師父の教化による一つの推測に過ぎません。
もし、本当にこのような結果になるのなら、これは師父による前例のない洪大な恵みとしか考えられません。師父は再び、多くの良く修めていない弟子、家に帰ることができない弟子、誓いを果たしていない弟子たちにもう一度、機会を与えられました。しかし、決して修煉が容易になった訳ではありません。法を正すことが終わった後、迷いの中で迅速に向上できる正法修煉も終わり、漸悟の中で修煉し向上していくのはとても遅くなります! しかし、それでもまだ機会があります!
宇宙の法が正された後、大法弟子の行方は変わるかもしれないし、変わらないかも知れません。いずれにしても、師父の按排に従うほかありません。しかし、どんな情況になっても、すべては「乾坤は角宿と亢宿の間で造り直される」という2017年を指し示しています。旧勢力の迫害の機制が終結し、法を正すこともじきに締め切られ、大法弟子全体の宇宙の法が正される中での修煉も締め切られます。これは以下を意味します。
8. 迷いの中で迅速に向上できる修煉の機縁が、じきに締め切られる
師父はこのように開示されています。「修煉には終わりの日があります。真相が現れたら、何もかも終わってしまい、続けて修煉することもできません」[3]
師父は私たちにこのように告げられています。「天目の見えない人は、さらに高い次元へ突破するというような要素が存在するかもしれません。悟性がとても高く、とても高いレベルまで修めることのできる人なら、彼に見せなければ、より速く修めることができるのです。なぜなら彼は苦の中に迷っており、迷いの中で悟っているからです。同様に苦を嘗めても、彼はより速く向上できるのです」[4]
筆者の理解では、師父が大法弟子のために按排して下さった、迷いの中でもっとも迅速かつ早く先天の境地に戻ることができる正法修煉は度々延長された後、ついに「角宿と亢宿の年」に終わるでしょう。神韻の演目にあった大津波はすでにもっとも如実な予兆を示してくれました。
同修との交流の中で長所を取り入れて短所を補うこと、法理上での昇華、このすべては迷いの中で法理を悟って精進する機縁であり、向上はもっとも速いのです。師父が解答を明言されたとき、昇華の機会を永遠に失うでしょう。思い起こして下さい。師父は『厳粛な教誨』の中でこうおっしゃっています。「答えが出たら、試験も終わります」
9. 障害を打ち破り正しい信念が出て、理性を持って奮起し真に精進する
多くの大法弟子が精進できず、だらけて落伍してしまう直接の原因は、修煉の緊迫性を知らないからです。甚だしきに至っては新しい説法を見ても元気が出ません。原因は師と法を信じる基点が低いためですが、根源を辿れば、旧勢力の要素による妨げを受けていることもあって、師父の説法を堅く信じることができません。実は、邪に悟った人たちや誤って邪道に陥った人たち、そして修煉を諦めた人たちも、こうして怠けや大法に対する猜疑心から始まったのです。猜疑心が積もれば積もるほど考えが偏ってしまい、圓満成就が望めない中、「修煉はもうじきに終わる」を聞いているうちに嫌気がさして、ついに時間の延長をうそのように思ってしまったのです。これらの誤解を打ち破り、理性を持ってこれらの障害を取り除いて、ようやく真に精進できるようになります。
今まで、私たちは古代の繁雑な天象学に囚われず、李淳風氏の『乙巳占』にも縛られず、大法を修煉してからのもっと高い次元に立ち、概括的で簡単明瞭に古今の天象を解読し、正法が現代の天象の焦点であることを正確に現し、天象の肝心な節目節目に現れた宇宙の正邪の大戦の人間社会での表れをも解説し、古今の一連の予言を実証してきました。『聖書・ヨハネの黙示録』も正法のための精確な前触れでした。これらを持って、神を信じず、天を信じず、天人合一を信じない人たちの不信の要素を取り除き、師父による正法修煉の時間の延長や、衆生を救い済度される師父の慈悲深さと辛労を深く理解させることができるでしょう。師父と大法弟子は皆、誤って邪道に陥った人が1日も早く正法修煉に戻り、怠けている者ができるだけ早く精進し始めることを待ち望んでいます。
終わりの時刻に執着してはいけません。しかし、天象がすでに「乾坤再造」である2017年まで辿り着き、旧勢力の按排した迫害の機制が徹底的に終結され、人間社会の法を乱す鬼たちも背後の支えを失い、正法が随時に締め切られ、法が人間社会を正す幕開けも目前です。大法弟子たちは億万年の長い旅路を歩んできて、すでに最後の「ラストスパートの段階」に辿り着きました。
真相が明かされる前の延長された1分1秒も、迷いの中で修煉するもっともよいチャンスで、万金に代え難いものです。一切の心を放下し、時間に対する執着を放下し、圓満成就に対する執着も放下して、向上できるすべての機会を大切にし、衆生を救う一切の機縁を大切にし、精進する中で誓いを果たしてこそ、初めて衆生と弟子のために罪業の苦難を引き受けられてきた師父に合わせる顔があります。1分1秒を争って自分を良く修め、多くの衆生を救いましょう!!
(完)
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』
[2] 李洪志師父の著作:『法輪大法義解』「長春法輪大法補導員のための説法」〉
[3] 李洪志師父の著作:『北米第一回法会での説法』
[4] 李洪志師父の著作:『シドニー法会で説法』