文╱中国の大法弟子
【明慧日本2017年5月17日】2004年に私はもっとも邪悪な労働教養所まで連行され、厳管チームに入れられました。最初、チームには受刑者が4人しかいなかったのですが、その後十数人まで増えました。厳管チームは法輪功学習者を拷問する場所で、電気棒、薬物の注射、灌食、つるし上げなどの拷問、そして「引っ張り」などの刑罰があり、転向しない大法弟子はすべてこの施設に入れられ、残酷な拷問を受けました。ここは学習者の悲鳴がよく聞こえるとても恐怖の場所でした。
ある日、同じ部屋にいる同修(30代)は私に「おばさん、私は『法輪大法は素晴らしい』と壁に書きたいです」と言いました。それを聞いた私は彼女に書いてほしくありませんでした。しかし、その気持は恐れる心によるもので、「法輪大法は素晴らしい」を壁に書いてはいけないという理由もないし、彼女の考え方は正しいものだと心の中では分かっていました。私は黙って何も言いませんでした。そこで、彼女は包夹(監視役の受刑者)がいない時、書き始めました。彼女のベッドは部屋の奥にあるのに、彼女は自分のベッドの近くの壁には書かずに、私のベッドの横の壁に書きました。私のベッドは部屋に入って一番前にあるので、その場所に書けば目立つので、一番邪悪を震え上がらせると彼女は判断したのかもしれません。しかし、あの恐怖の中、私はそのようには思わず、彼女の行為にものすごく反感を抱き、「どうして自分の近くの壁には書かないで、私の近くの壁に書くのだろうか」と思いました。一方、彼女は法を守るために書こうとしているのに、私は自分を守りたくて利己的だと分かっていました。私は何も言いませんでしたが、しかし、恐れる心、不満の気持ち、怨む心が絶えず湧き上がりました。私はしきりに「その邪念を解体する。解体する。それは私ではない、その邪念を排除する」と発正念をしました。
しばらくすると、監視役が帰って来て、壁に「法輪大法は素晴らしい」と書かれているのを見て、すぐに警官に報告しました。警官と監視役、そして大勢の人が駆けつけて来て、私をぐるりと取り囲み、「誰が書いたのか? 誰だ? 誰だ? おまえが書いたんだろう」と怒鳴りつけ、私を外へ引きずり出して拷問にかけようとしました。
私はとても怖くて、怨む心も出て、「警察や包夹(監視役の受刑者)がこれほど私を脅迫しているのに、書いた人間は黙って一言も言わないのか」と恐れる心と怨みが混じり合って、その気持はとても言葉では表現出来ないものでした。しかし、私はすぐに理性を取り戻し、「彼女に認めさせ、警察に彼女を迫害させ、自分だけは迫害から逃れたい、という気持ちはなんと卑怯だろうか、それは決して大法弟子としての行為ではない」と自分の本当の気持ちを確かめました。法輪大法は人を救うためのものです! 世の中で最も貴重なものです! 何を恐れているのでしょうか? 私はものを盗んでも奪ってもいないのに、どうして恐れているのか」と思いました。邪念が上がって来ると、私はすぐに「滅! 滅! 滅!」と正念を発しました。
昼ごろ、トイレに行く時間に、ある年配の同修は小さな声で「なんということだ。彼女が書いたのに、あなたを酷い目に遭わせて、自分は黙っているだけじゃないか」と不満をこぼしました。同修の話を聞いた私は、やっと静かになった心がまた沸き立ち始めました。しかし直ちに同修の話は法に則っていない、同修の話に流されてはいけないと警戒し、そのよくない気持ちを解体するように正念を発しました。
こうして日が暮れて、電気が付きました。警官達はただ私を取り囲んで怒鳴ったり罵ったりしただけで、手を出すことはしませんでした。その時、私も落ち着いて、警官達に「あなた達はまる一日怒鳴っていたから、もう十分じゃないか? 私が書いた証拠でもあるのか? 誰が書いたとしても、それがどうしたというのか? 法律を犯したのか」と言いました。
その後、警官達は「やめよう! やめよう! 今回はもうこれでいい。次回はだめだよ」と言って、やっと騒ぎは収まりました。
師父は「あなたが真の修煉者であれば、われわれの法輪が守ってくれます。わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります」[1]とおっしゃいました。
当時、私は師父のおっしゃる通りにしたため、自分を真の修煉者として行ったため、そして、絶えず内に向けて探したからこそ、あの警官達は気炎万丈で激しい態度を取りましたが、結局、私に手を出す勇気はありませんでした。もし、その時、私が邪念に動じて、「私が書いたのではない、彼女が書いたのだ」と白状すれば、私とあの若い同修は共に命がなかったことでしょう。
注:
[1] 李洪志師父著作:『轉法輪』