【慶祝513】 暗黑が過ぎて陽光輝く
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年5月18日】(慶祝513明慧特別記事)法輪大法に対する中国共産党の残酷な迫害のなかで、私はしばしば魔難を経験しましたが、ずっと修煉の道を歩んできました。隣近所の人は我が家の巨大な変化を目にして、感慨深く「あなたは法輪功を修煉したから、今日があり、法輪功を修煉しなかったら、今日のような日はありませんね」と言ってくれました。

 2年間路頭に迷い、3年間不当に労働教養所に拘禁され、合わせて5年間私は家がありながら、帰ることが出来ませんでした。家には年配の舅、夫と幼い娘が互いに肩を寄せ合って暮らしていました。

 2006年に私が労働教養所から解放されて帰宅した時、家には何もありませんでした。穴だらけの西側の家の入り口には大きな土のヒープがあり、部屋のなかは私がいない間一度も白く塗っておらず、真っ黒でした。以前は舅が母屋で自分の食事を作って食べており、私たちは西側の部屋に住んでいましたが、いま夫と娘は舅の部屋で食事をしていました。食事を作る道具は壊れた釜と古いしゃもじしかありませんでした。私の衣服は夫により大きな袋に詰め川に捨てられ、なにも残っていませんでした。ただ労働教養所から持ち帰った数点だけでした。

 家に帰ってはじめにやったことは布団を洗うことでした。5年間私が家にいなかったため、5年間洗っていなかったのです。洗うために布団をほどくと砂や土と小さな綿玉で厚く覆われ、綿は布団の形もなかったのです。

 夫は私に4千人民元を渡しながら「あなたがいない間、私はこれほどの貯金ができた。どうしよう。西の部屋を修理するか、それとももっと貯金して、大きな家を建てるか」と聞きました。私は躊躇せず「西の部屋を修理しましょう」と答えました。こうして、私たちは四方から風が通る部屋を修理し、部屋の中を白く塗りました。

 アルバイトができるところがあれば私はそこに行き、お金を稼ぎました。どこかに行くと、そこで真相を伝えました。大法弟子としてやるべきことをすべてしっかり行いました。このような環境に直面しても、私は仰天することなく、毎日とても楽しく過ごし、意気消沈している夫に、奮起して仕事を探すよう励ましました。家計はすこしずつ好転しました。2006年に帰宅してから2007年までの1年間にある程度貯金ができ、2007年の初冬に息子ができました。

 この子供も奇跡でした。私は馬三家労働教養所で3年間迫害される間、ずっと生理が止まることなく、何回も血が漏れました。このような状況であっても、警官は私の頭に受刑者の服をかぶせ、口を床拭きの雑巾で塞ぎ、4階から1階まで引っ張り下ろし、一歩引っ張ると男性の警官が1回私を蹴りました。また1階から4階まで引っ張り上げ、独房に監禁しました。生命が危険に晒されてやっと私を監房に戻しました。2005年私は病院につれて行かれ検査を受けました。私の血色素は1グラムでした。医者は私の肩を叩きながら、もうひとりの医者に「この人は2年間ずっと生理が止まらなかったのですよ。世界記録を作り上げましたね」と言いました。

 このような状況であっても、労働教養所に戻ると依然として拷問で虐待されました。時には二段ベッドの上のベッドに吊るし上げられて殴られ、更にひどかったのは袋叩きにされることで、最多のときは十数人の警官が同時に私をなぐりました。そのなかの1人は憎々しげに私の下半身と両足を蹴ったので、私は耐え難い痛みで、呼吸困難になりました。このようなことは1回だけではありませんでした。

 帰宅後、私は学法煉功を通じて、数日後生理は正常になり、身体が回復しました。私は病院に行って検査を受けることなく、夫と相談してもう子供は産まないことにしました。現地の派出所の警官はずっと私の生活に干渉しましたが、私は学法と煉功を続けました。

 ある晩、私は奇怪な夢を見ました。長方形の小さなテーブルの両はしに1歳の男の子が1人ずつ座っていました。1人は帽子をかぶっていて非常に痩せて顔が真っ黒でした。もう1人は真っ白で太っていました。どちらが私の子供かなと思い、私は真っ白で太っている子供をみながら、そうだ、彼だと思い、その子供を抱き始めました。翌日もまったく同じ夢を見ました。これはあきらかに師父からの悟らせでした。もしかしてと思いながら、病院で検査してもらったら妊娠していました。

 2008年6月3日、私達の子供が生まれました。本当に真っ白で太った男の子でした。子供が1歳のころは一番きれいな時です。その時、私はよく子供を連れてでかけ、法輪功の真相を伝えました。会う人はみな「あなたの息子は本当に綺麗ですね」、「あなたの息子はかっこいいです」、「あなたが善良だから、このような素敵な子供なのですね」と言ってくれました。私は「これは私が大法を修煉したためです」と伝えました。一度神韻のDVDを配布していた時、ひとりのお婆さんが「あなたは目が大きい男の子の母親ですか」と聞ました。私は嬉しそうに「そうです」と答えました。そのお婆さんは「それなら、私はもらいます」と言い、お婆さんは喜んでDVDを受け取りました。

 本当にめでたいことが重なりました。息子が生まれてから、夫は大工の技術を学び、毎年の収入は非常に多かったのです。私はアルバイトができなくなりましたが、家でささげを植えました。多い時は2ムー(15ムー=1ヘクタール)、少ない時は1ムー植えました。農家ならみな知っていますが、これは2人分の仕事量です。しかし、私は1人でやりました。それも幼い子供を育てながらやりました。ササゲを収穫する時、30~35キロのササゲを入れた袋を私は1人で持ち上げ、肩に乗せて歩きました。数年前にはオートバイで運びました。一度に85~90キロ運びましたが、夫もこれほどは運べません。私の生活を乱した警官がその光景を何回か見て非常に驚き、その後は密かに私を守ってくれました。

 こうして、2013年に私たちは16万人民元を使って、100平方メートル以上の大きな平屋を建てました。部屋の装飾と設備は都会と変わりません。村の人々は我が家に見学にきました。彼らはみな非常に羨ましがりました。隣近所は「あなたは法輪功を修煉したから、今日があり、法輪功を修煉しなかったら、今日のような日はありませんね」と言ってくれました。

 そうです! 1999年の春に法を得た私は、すでに18年間修煉しました。大法も18年間迫害されました。江沢民は法輪功学習者に対して、「名誉を汚し、経済を崩し、肉体を消滅させる」と喚き立てましたが、一つも全うできませんでした。なぜなら、私は慈悲で偉大なる師父に時々刻々守られており、偉大な法は時々刻々私に如何に足元の道を正しく歩むか指導してくださっているからです。

 ここまで書くと涙がほろほろ流れました。師父に対する尊敬と感謝は言葉で表せません。大法と大法弟子は歴史上前例のない迫害を受けていますが、師父と大法がいらっしゃるため、いまなお楽しく過ごしています。友人と以前のクラスメートはみな私が同じ年齢の人と比べて若く、綺麗で、元気で、明るいと言っています。

 いま娘は大学に通い、息子は小学3年生です。世の人々の大法に対する態度は最初の罵り、嘲笑から、法輪功を受け入れ、理解し、ひいては支持に変わっています。大法の資料をみな奪い合っています。世の人々の変化はほかでもなく一人一人の大法弟子の努力の結果です。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/5/6/346764.html)
 
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