文/吉林省の大法弟子
【明慧日本2017年5月22日】同修を救い出す活動に参加する過程の中で、私が見たり感じたことによる悟りを皆さんと交流したいです。目的は皆さんが一つになれるよう、そして皆が向上でき、師父に協力して法を正すことと衆生を救うことをやり遂げたいからです。
同修を救うために弁護士を依頼する中で、私達は心の中で弁護士に頼ってはいけないと分かっています。結果を求めず家族や公安、検察院、法院の人と接触する中で、法輪功の真相を伝えたり邪悪を暴露したり、衆生を救うためです。しかし具体的に行う時、往々にして多くの人心が現れ、なかなか上手くいかず、共産党への恨みと公安、検察院、また法院の人に恨みがあるため、態度が悪くなります。因果応報という理を語りましたが、態度が悪いため良い効果が得られなくなり、大法弟子の慈悲の心が現れず、人を救う効果もよくありません。さらに法輪功の真相を伝えず人と喧嘩したりすれば、よい効果が得られる訳がありません。
家族との付き合いの中でも同じ現象が現れてきます。迫害された同修の家族が大法弟子である場合もあります。自分の親戚が迫害を受けた時、彼ら自身も魔難の中にいます。その時、同修からの関心と注意喚起や励ましが必要です。責めたり文句などを言えば、人為的に魔難を与えて邪悪の罠にはまってしまいます。その時心を落ち着かせ、迫害の過程を聞き、共産党が何の人心を利用して迫害したかを分析してあげ、一緒に発正念をしたり学法したりして向上することが大事です。
迫害を受けたばかりの時、同修の家族(修煉者)の恐怖心はとても大きいのです。私たちは高い基準を彼らに要求することはできません。多く理解してあげて同修に大法弟子の慈悲と善良を感じさせることができれば、同修はこの魔難を乗り越えやすいのです。そうすれば拘束された同修を救うことが上手くいくでしょう。
迫害を受けた同修の家族の中に常人も多くいます。その時、私たちが邪悪に迫害された環境を改善する必要があります。恐らく同修は家族に法輪功の真相を伝えているはずですが、迫害を受けたあとの恐怖心のため、大法に対して態度が変わる可能性があります。さらに同修がよく修めていないところがあれば、家族に誤解をもたらす可能性もあります。この時、私たちは同修の代わりにその家庭環境を修復し、誤解を解いてあげる必要があります。その常人の家族に理解させ、励ましたあと、信頼を得てから真相を伝えると効果が良くなります。正念ができたら私たちに協力して同修を救うことができるでしょう。
救い出す過程の中で、よく出てくるのは事を行う心です。事を行う事を修煉と人を救うこととみなさず、名を求め、結果を求める心がとても強烈に表現されることがあります。弁護士が多くの妨害を受けて状況を把握できない場合、そして訴えることが出来ない時、私たちの自信は打撃を受けて消極的になり、弁護士を頼んでも無駄だという考えが出てきます。無駄かどうかは、過程の中で私たちが向上しているかどうか、そして人を救っているかどうか、行うべきことを行っているかどうかの中で見えます。師父は再三、私たちに「做して 求 めざれば」[1]と教えてくださいましたが、同修を救い出す中で結果を求める心は一番強く表れます。救い出さなければ消極的になって前に進めなくなり、これは師父が求められるものではありません。
多くの地域は地元の弁護士でなければ弁護を許さず、地元の弁護士を頼んで真相を伝えて、その中で少しずつ真相を伝える環境を切り開き、多くの意外な良い効果が出てきました。しかし、私の地元はこの方面において消極的で協力してくれる人が少なく、非常に残念です。
金の使い方に関しても稀に微妙な人心が現れてきます。弁護士に依頼する費用は同修が寄付したものですが、大切にせず自分の情を混入して親しい人に使わせ、親しくなければ後回しにします。これらは全て取り除くべき人心です。そして邪悪もこの隙を利用しようと狙っています。弁護士は私たちと協力して法を実証しますが、本当の主人公は私たちです。しかし、私たちはこの主人公の役をしっかり演じていません。
以上は個人の認識ですが、不足があればご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「道中」