真の自我を識別して人心を取り除く
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年5月27日】私はよそからこの地区に移って来てから、同修Aと出会い、また同修Sとも知り合いました。私たちは常に同修Sの家に集まり、一緒に学法をしています。

 ある日、学法を終えて、私は同修Sからいくつかの問題点を指摘され、同修Sと口論になり、最後には悔し涙を堪えながら、同修Sの家を後にしました。

 家に戻り、師父のお写真の前で涙を流しました。好意のつもりで相手にしてあげたことが、逆効果をもたらした原因を突き止めることができませんでした。涙を流した後、やはり自分が間違っていたと思い始めました。しかし、自分にはどの執着があるのかは分かりませんでした。しかも、あれから私は同修Sの家に学法をしに行くことがなくなりました。後に、師父の按排により、2人の同修が私と交流をしてくれました。交流を通じて、同修Sとの間に起きたトラブルは私の過ちによるものだと気づき、同修Sの家に戻り、同修の皆さんと一体になり、引き続き学法をすることを決意しました。

 しかし、学法を再開しようと決意すると同時に、「私の方が彼女(同修S)よりずっと年配なので、彼女から先にこっちに顔を出しに来るのが筋じゃないの。それに、もしかすると、私が彼女の家に行けば、彼女の顔色を伺わなければならないし、門前払いにされる可能性だってあるわ」というもう一つの考えが浮かんできて頭からどうしても離れませんでした。

 この考えは本当の自分の考えではなく、偽物の私の考えなのだと即、この思考を是正しました。これは旧勢力の按排で、旧勢力が欲しているもので、同修Sはこのような言動を取るわけがありません。私自身に面子を重んじる心があるためです。この関を乗り越えて、自らを修めて全体を円融し、同修の皆さんと一体になり、旧勢力をのさばらせるわけにはいきません。それと同時に、天上にいる私を期待している衆生のことを思い浮かべ、今日は師父を信じて、法を信じて、この執着心を天上にまで持っていくことができません、この関を必ず乗り越えて見せると決意をしました。師父のお写真に向かって、同修Sの家に行き、同修のみんなと学法したいと告げました。すると、師父が私を励まされ、微笑んでおられるように見えました。再び、同修Sの家に行きました。同修Sの家にほかの同修も集まっており、皆私に親切に声をかけてくれました。

 このように、同修との切磋琢磨の中から、自分の修煉において数多くの問題点を認識できました。内に向けて探すことができていなかったため、足を地につけて修めることもできていませんでした。今までの自分の行いを見直し、真に「嘘偽り」の本質を認識できた時に、はっきりと何かが頭部から抜け出たことを感じました。しかも、全身も抑圧的な重荷から解放され身体が軽やかになり、心がとても落ち着き、どっと目から涙が溢れ出しました。

 師父、ありがとうございます!

 同修の皆さん、ありがとうございます!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/5/10/347385.html)
 
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