【慶祝513】 米国空軍の訓練で大法を実証する
■ 印刷版
 

文/ロサンゼルスの大法弟子

 【明慧日本2017年5月28日】(慶祝513明慧特別記事)私は2012年に米国で庇護申請をし、2014年に庇護身分を獲得しました。今年のはじめ、米国の空軍基本軍事訓練を順調に卒業し、正式に米国空軍の一等兵になりました。

 昨年の下半期、ある同修から聞いて知ったのですが、グリーンカードの所持者は38歳以下まで、米国の軍隊に入隊することが出来る、というものでした。米国の軍人は、現役軍人、予備役軍人、衛兵の三つに分かれています。特に私が関心を持ったのは、予備役軍人でした。私は米国の学校で本を読んだことがなく、また全英文環境の仕事の経歴がありません。米国の軍隊に入るのは、技能を向上させる一つの良い機会で、主流社会に真相を伝えることにも便利であると考えました。予備役軍人は、訓練が終わってから、現役軍人の仕事をすることが出来るので、前にしていたメディアの仕事も継続して行えます。それで私は米国空軍予備役の加入申請を決心しました。

 将校の軍官と面談する時、私は自分が中国で法輪大法を修煉したことによって、中国共産党から迫害を受けた経歴を話しました。また、もっと多くの人が、信仰の自由の権利を勝ち取ることが出来るように願っている事を伝えました。彼は、私に他の問題について質問せず、申請を承認しました。ここは毎年数十人の新兵を招聘しており、私は彼にどうしてこんなに少ないのかを聞きました。彼は米国の空軍の求人は100人中1人しか取らないと言いました。この話は嘘ではありません。米国の空軍の一員になるには、試験と身体検査を除いて、少なくとも2カ月の閉鎖式基本軍事訓練を必要とし、身体能力、心の強さ、知識レベル、責任感、品徳の修養など各方面で高い基準の要求があるのです。

 米軍五大兵種の入隊訓練は大同小異であり、目的は訓練生を専門軍人に合格させるためですが、そうだとしても、訓練の環境と内容は、20歳前後のたくましく強靭な米国の若者が対象で、彼らは皆挑戦的な気性を備えています。この環境の中で神経が張り詰めて、その上訓練と勉強もしなければならず、ホームシックになったりする苦労もあり、またいつも何らかの原因で教官に怒鳴られ「重いやり直し」を受けさせられます。それは各種の目標に達しなかったことが原因で、等級を格下げされ、降級の訓練を繰り返し受けなければなりません。さらに訓練を受ける者の頭に絶えず危険な物をぶら下げて、ダモクレスの剣(華美・華麗な生活の中にも、非常に高い危険が常に迫っているというたとえ)の試練をうけます。

 大法弟子として、米国軍人の訓練環境は、自分には大きな精神的圧力を構成しませんでした。しかし心配だったのは、自分の体育の成績が目標に届いていなかった事でした。私は高齢で入隊しただけでなく、多くの同僚の年齢の2倍です。また、ほとんど今まで体育の訓練をしたことがなく、人の群れの中で、典型的な文弱な書生型でした。

 入隊する少し前、メディアの仕事をする中で、韓国で脚の矯正をしている専門家を取材しました。彼は私の双脚を観察してから言いました。「あなたの土踏まずは普通の人と比べると、平らになっていて、疲労しやすく、ジョギングや遠出をするのは良くない」。入隊する数日前、私は自分のジョギング速度を測りました。約200メートルを早く走り、3日続けました。4日目の時、右膝に痛みの症状が出現しました。この状態で、私は米国の空軍訓練機関に来たのです。

 私の参軍を知った多くの人が、福利待遇や戸籍などの問題を聞いてきましたが、私はあまり回答したくありませんでした。なぜなら私はこの方面の事をあまり考えていなかったからです。この時もう一度、自分の内心を念入りに見てみました。私が軍に入った理由はなぜなのか? 個人の名利・情のためか? やはり師父の法を正す手伝いを更に良く行うようにするためか? 答えは自然に後者でした。

 私の右脚は、幼少期に炭火で火傷したことがありました。5、6歳の時には馬車が壊れるなど(無事でした)、修煉前は頻繁に漠然とした人知れぬ苦悩がありました。法を得たその年には犬に噛まれたことがあり、現在は膝がまた痛くなりはじめました。しかし私の考えは明晰で、業の借りでも、旧勢力の妨害でも、どれも私が師を助け正法の手伝いをすることを阻んではいけないのです。

 軍営の食堂のテーブルには、それぞれ違った座右の銘があります。当時私はこのような言葉を見ました。「この三つのものだけを、あなたは自分で完全に掌握できる。あなたの思想、感受と信仰」。私は知っています。師父がこれを借りて私を目覚めさせようとしておられるのです。私は自分に言いました。「私は大法弟子です。私は旧勢力の按排は要りません。私は大法弟子の風貌を現します。私の生命は師父が下さったもので、私の未来は師父が下さったのです。ただ師父の按排された道を歩きます。必ずその道を歩き、更に良く歩きます」

 それから、私の膝は再び痛くなることはありませんでした。逆に早く走れば走るほど、良くなっていくのでした。これは大法の力の現れです。しかし内容の不十分な挑戦性を訓練しませんでした。なぜなら私と同じグループの5人の若い同僚は、足腰が痛いので訓練を中止したからです。また更に多くの同僚が足腰の痛みで薬を飲んでいましたが、私は終始何かの医薬を飲んだりはせず、また、休みを取った事もありませんでした。

 入隊してから3日目、約800人の新兵が一堂に召集され、大隊の総監督と大佐司令官が前後して話しました。総監督が皆に「なぜ空軍に加入したのか?」と聞きました。ある回答は「将来更に良い生活を送るため」だったり、「大学に行く時の学費を免除するため」だったりでした。私は立ち上がって簡潔に、自分が中国にいた時に受けた迫害の経歴を話しました。また自分が空軍に加入したのは、社会に報いるためで、自由と正義の保護者を作りますと表明すると、総監督は称賛しました。

 基本訓練の期間、訓練生は終日ほとんど個人の時間がありません。しかし、1日目から私は毎日、夜の消灯後、足を組んで座禅しました。とても早く、全寝室の50人ほどの同僚が皆、私が座禅して煉功している事に気づきました。もっと多くの情報を知りたい、と私に言ってきた人は少なくありませんでした。

 私の向かい側のベッドにいた同僚は、ラスベガスから来た熱心で陽気な若者でした。彼が私に言ったのは、毎回私に会うと、一種の愉快な感じがあるそうです。彼は後に、私の真相を伝える過程の中で、非常に重要な作用を働きました。私はこれが師父の按排である事を信じています。私は兵営に行く前に、一封の真相手紙を書きました。また何部かを印刷して身に着けました。私の性格は内向的な事もあって、どのように口を開いて人に真相を伝えたらいいのか分かりません。ラスベガスから来た同僚に、真相の手紙を渡すと、それを読んだ彼はとても感動して、他の同僚にも頻繁に直接説明しました。「張さんの手紙を読んでみてよ」(軍隊にいる時は苗字を言い、名前では呼びません)。

 総監督と司令官は、1週目の時に私たちが彼らに表明した参軍理由を気にもしていませんでした。なぜなら「もし卒業できなければ、全ての夢がゼロ」だからです。ですから私は教官に、自分の経歴と理由を自主的に言いませんでした。私は機会を待っていました。

 私たちのクラスには女性教官のロバートソン士官がいました。彼女は全体の中隊でも有名な厳しさで、仕事に対しても几帳面でした。彼女の厳しさは、何人かにマイナスな情緒をもたらしていました。1人の同僚が私に言いました。「私はロバートソン教官が好きじゃない。彼女はとても冷酷だ」。私は「あなたが他の誰かを好きじゃないとして、おそらく実情は、もしかしてあなたが好きじゃないのは、内心の中のもう1人の自分、あるいは自分の生命のもう一部分ではないでしょうか」と言いました。彼と、近くにいたもう一人の同僚は、じっくり考えてから言いました。「道理があります」。このような出来事は多く発生しました。

 訓練に入って4週目のある日、私はちょうど食堂で朝食を食べていました。ロバートソン教官が私の前に来て、大声で叫びました。「張、なぜ水を卵にかけているの?」。私はぎょっとして、「私の知識に基づいて言いますと、冷たい水を入れると、卵の殻が容易に剥けるからです」と言いました。ロバートソン教官は私の解釈を受け入れましたが、私を放さず、「あなたは卵に水をかけたので、2杯の水を飲んでいない事になります」と言われました(毎食に必ず2杯の水を飲まなければならない規則がある)。ロバートソン教官は私に、再度1杯の水を取って来て飲むように命令しました。また「小さな過ち」を記すように言いました。私はこの出来事はこれで過ぎ去ったと思っていました。

 思いもよらない事に、2日後、ロバートソン教官は私を事務室に呼んで、彼女が書いた資料を見るように言いました。今週の審査の中で、あの件は私に一つの「U」(不足)を与える処分にする事、私に一篇の文章、以下の問題に回答する文章を書くように厳しく命じました。「もし私が水を飲むのがとても少なくて死亡した場合、教官と司令官はどのように私の父母に申し送りをするのか」と。

 同僚がこの事を聞いて、「これは小さい事を大げさにしている」と言い、私のために心配してくれました。なぜなら「重いやり直し」に固定ルールはありませんが、もし「U」処分を2回されれば、おそらく「重いやり直し」を受けることになるからです。しかし私はいささかの心配も焦りもありませんでした。私は内に向けて探しました。一つは、教官が指摘した「私が水を飲むのが少なすぎる」のは修煉上で見れば、もしかして私の学法が少なすぎることではないか? もう一つは、真相を伝える機会が来たという事だと分かりました。

 ロバートソン教官に書く文章の中で、私は彼女に、私の間違いを指摘してくれた事に感謝している事、私が同僚たちとの交流で分かち合ったこと、私が教官と全体基本軍事訓練の項目に対してどのように見解しているのかを表しました。また、私が見たところ、米国の空軍基本軍事訓練、特にロバートソン教官の気風は、中国古代の道家的授徒方式にとても似ていて、彼らは徒弟を愛護し、同じように父母を愛護し、自分の子女を愛護します。しかし修行の方面の要求はとても厳格です。なぜなら彼らは、これが法門の文化を伝承する事に関わりを持っていると知っているからです。文末で、もう一つ別の、私の個人の背景に関係する一文を同封すると書きました。なぜ彼らに初めから見せなかったのかを説明し、同時にこれらの専門教官の厳格な訓練があるからこそ、順調に時間通りに卒業出来ることを非常に確信しているのだと書きました。

 ロバートソン教官が私の文章と、真相の手紙を見てから、特別に私を探して言いました。「あなたの経歴を見ました。私は非常に震撼しました。あなたは私たちの仕事を肯定し、しかも私に誇りを持たせてくれました。あなたには潜在的にとても大きな指導力があります。しかし私はあなたが皆の前で大きな声で話したのを見たことがありません。あなたはこの方面で鍛錬してみではどうでしょう。今日からあなたに、私たちのクラスの代理班長になることを委任します。(Acting Dorm Chief)」。ああ! これは本当に峰回路転(紆余曲折があった後に良い展望が開けること)でした。

 軍事訓練期間の訓練生は自由に話したり歩いたりしてはいけません。しかし師父は縁のある人を救い済度するように、私のためにすでに細かくて巧みな按配をしてくださいました。例えば、ある時、全グループで診療所に行って定例検査をする時、私は他の用事があって次の日に行きました。私が座ってからまもなく、近くにいた黒人の若者が双盤をし始めました。私はすぐに彼に法輪大法を紹介すると、彼は非常に興味を持ち、連絡先を渡して資料を請求しました。彼はもう一つの中隊に所属していて、彼もまた集団検査の時間を逃して急いで来ていたのです。もしこのような状況がなかったら、私たちは全く出会う事はなく、さらに話すこともなかったでしょう。

 最初サンアントニオ空港に到着して、後から軍営に行こうと待機していた時、私と同列の端に座っていた笑顔の白人の少女がいました。それから駐屯地の練兵場へ行き、食堂に行く時は何かの手続きをしなければならず、私たちはしばしば遭遇していました。しかし今まで会話をしたことはありませんでした。なぜなら一つは軍隊の規律のためで、もう一つは自分が綺麗な少女と世間話をすることを恐れていたからです。第5週目の時、私と十数人の同僚は食堂を毎日清潔にしていて、この少女もこの中にいる事に気づきました。なぜ私はいつも彼女と出会うのでしょうか? もしかして彼女に真相を伝えるべきではないでしょうか? しかしどのように話しかけたらいいのでしょうか?

 皆が座って休憩している時、彼女が座っている隣に空席がありました。しかし私はそこに行って座ることを憚りました。私はこれが色欲の作用だと分かっていました。この時の身・口・意はあるべき状態ではありません。しかし私はやはり勇気を出して行くことが出来ませんでした。しばらくして、彼女は立ち上がってお手洗いに行き、戻って来ると、彼女が先ほど座っていた場所の隣には別の人が座っていました。彼女は私の隣が空いているのを見てまっすぐ歩いて来て座り、そして、私に彼女の名前を教えました「正義」(Justice)でした。なんということでしょう。私はどうしても話さなければならなくなりました。私は彼女に大法の素晴らしさと、中国共産党の迫害の話をしました。彼女はとても真面目に聞き、多くの質問をしてきました。師父の苦心の心遣いに感謝いたします。

 研修の過程で、何度も違う部門と定例会議をしました。毎回、同僚と従業員との話し合いは、数分間だけです。毎回この数分間の中で、私は彼らに真相を伝えました。彼らは往々にして、処理しなければならない業務を取り扱っているので、片方で私の話を聞きながらまたは質問して、最後に言います。「もし次の軍人が待っていなければ、私はこの件に関してあなたの話を継続して聞きたいのに」

 卒業してから、私は兵舎の商店の中で、同期に卒業した台湾の女性に出会いました。彼女は私に「もしかして法輪功を修煉していて、中国から迫害を受けたことがあるんじゃないですか?」と聞いてきました。私は「そうです。どうして知っているのですか?」と言うと、彼女は「あの専門委員の先生が私に話してくれたのです」と言いました。その専門委員の先生は「中国から来たある男性はかつて信仰のために労働教養所から迫害を受けたことがある」と言ったそうです。彼女は「私は彼があなたであると推測しました」と言いました。先生はまた「軍練の難度は彼にとって朝飯前だろう」と言っていたそうです。ああ、私は当時の数分間の話し合いの中で、この先生に深い印象を残したとは思いもよりませんでした。先生はこの活動で更に多くの人に話したそうです。師父の按排と励ましに感謝します。

 同僚たちと共に一緒にいた時、話す機会があれば、私は尽力して話の話題を真相の方へ持って行きました。同僚たちは私が25~26歳ぐらいに見えたそうで、なぜそんなに若いのかと私に聞いてきました。私は彼らに法輪大法の素晴らしさを話しました。同僚たちがよく質問するのは「あなたはどこから来たのか」で、私は彼らに、私は中国で生まれたことを教えます。中国の伝統文化は良いものですが、その伝統文化は中国共産党により抹消されました。同時に話を展開して、中国共産党による人民に対する迫害の話をします。もう一つのよくある質問は、相手の職業を聞いてきます。私は予備役の軍人で、軍隊の仕事以外にも、もう一つ別の仕事があり、どちらの仕事も目的は人を守るためで、自由の権利のためです。また話を展開して、独立メディアは社会の公正を守る重要な意味があることを話します。この話を聞いて、彼らは皆とても同意し、関心を寄せるとともに敬服しました。

 多くの同僚はもっと多くの修煉文化と、法輪大法を知りたいと思っていたので、私は同修に頼んで、多くの大法の本と、宣伝チラシを私にくれるように頼みました。緊張する訓練の合間に、多くの同僚に大法書籍の内容を読んであげました。ある人は、卒業してから自分でもっと詳しく調べると言い、ある人は、ずっと精神方面の信仰を求めていたと言いました。

 野営地から一周離れた場所に、私たちの寝室がありました。デンバーから来た若者は、論理思弁能力がとても強く、小グループの討論の時、積極的に発言していました。精神と信仰に関して、私たちは毎晩単独で長い時間交流しました。彼が言うには、彼が生まれたのはキリスト教の家庭で、家族と共にその信仰を尊重していましたが、彼はずっと宗教を越える精神価値を探し求めていました。彼はかつて、何度も1人で高山の頂上に登って静かに座り、万物の不思議を感受したそうです。この限られた時間の中で、彼は『轉法輪』の段落を読んで、深く共鳴しました。

 訓練キャンプを離れる前、私は『轉法輪』と『法輪功』をキャンプ区の図書館に寄贈しました。従業員が私を手伝って、約20部の大法の宣伝チラシを入口の展示場所に、最も目立つように置いてくれました。私はもっと多くの縁のある人たちがここで大法と出会えると信じています。

 卒業前の審査にあたって、私の文化課の成績は92点で、優秀(全グループで10人が優秀)、体育の成績は89.9点(基準75点)。多くのグループの幹部は私を全グループで唯一の最も優秀な卒業生(Warthog Warrior)に推薦する事で一致しました。中隊司令官と首席教官(First Sergeant)は、私に与えた表彰状に直筆サインをくれました。教官は卒業成績審査表で私に非常に高い評価をくれました。「張は意志力不動、勤勉、表現は勝っている。彼は皆を励まし、全グループでの標柱と模範である」

 私がこの成績を獲得したのは、全てが師父の加持と大法の力であるとわかっています。もし私が過去に、時間を大切にして英語を良く学んでいたら、もし大きな執着の障碍を克服していたら、もし自分が更に明朗であったら、もっと多くの真相を伝えるチャンスが訪れたはずです。修煉して向上を継続することでやっと、チャンスをつかめるのです。

 空軍の卒業典礼はとても盛大で、数千人の家族がこの場に集まり祝賀します。私は十分に知っています。卒業と言っても、実はただ入口の始まりなのです。私は悟りました。正法がいつ終わろうとも、全力で「真・善・忍」に同化し、師父の正法を助けます。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/5/12/346896.html)
 
関連文章