真相を伝える中で執着を捨てる
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文/ 台湾の大法弟子

 【明慧日本2017年6月13日】

 尊敬する師父、こんにちは!
 同修の皆さん、こんにちは!

 電話をかけて法輪功迫害の真相を伝える中で、頑固な闘争心と報復心を発見して取り除きました。非常に良くないこの心はとっくに発見していましたが、ずっと取り除くことが出来ていませんでした。家庭の中の関もずっと乗り越えられず、この種の強烈な闘争心と報復心を乗り越えられませんでした。

 真相電話をかける時、いつも純粋に人を救う気持ちで、雑念を消して電話をかければ、相手が罵っても耐える事が出来、慈悲心さえ出て彼らのために痛惜(つうせき・心から残念に思う)の念を持ちますが、挑発された時には闘争心、報復心がいっきに爆発して出てきます。

 今回、派出所の警官に電話をかけると、「もう電話をかけないように言ったはずだが、約束を守らないのか!」と言われ、多くの同修が電話をかけたことを知りました。「私達がどうして電話をするのかあなたは知っていますか?」 、「全て知っている。もうかけないでくれ!」 といいました。経験上、警官が言い逃れをしていると思い、かけ続けました。警官は毎回電話を取りますが、そのうち、うるさそうに「もうかけるな!」と言い、罵り始めました。また「俺は迫害に加担していない、何の関係があるのか!」と言うので、「あなた達が迫害をやめるまで、かけ続けます!」と言いました。

 警官はこの話を聞いて乱暴な口調で「いいだろう! お前がまたかけてきたら、俺は今からお前たち法輪功をする者を捕まえに行く。あそこの××区に住んでいるばあさんを今から捕まえに行く」といいました。私はそれを聞いて焦り、恨みが出てきて、「すでに国際的にも注目されており、氏名や電話を暴露されたらまだこのように出来ますか、私は乱暴なこの発言を録音し中国の同修に送り、その録音を当地の中国で暴露しますよ。ですから早く口を開きなさい(特別案件は一般的に耳をふさぎ口をつむぐ)」と、録音しながら大声で警官の名前を何度も言い、大声で何度も捕まえる者は誰なのか、迫害するのは誰なのかと、大声で警官に警告しました。「迫害は違法で、国内でも国際社会でもとても早く精算されるのです!」というと 警官は怒って電話を切りました。私は心の中で何とも言えない複雑な気持ちになりました。一方で、私は同修を迫害するという警官を恨み、一方で自分が善ではなく、同修を捕まえに行く話を聞いてすぐに怒った自分を恨みました。「他の同修が電話をかけて阻止し、早く警官を救ってほしい!」と心から思いました。この時、米国の同修Aさんが私の名前を呼んで、「902の部屋に行くように」と言いました。

 902の部屋で、Aさんは先ほどの警官の名前を確認してきました。何人かの同修がすでに何度も電話をかけたことがあり、すでにたくさんの真相を知っており、また迫害に参与しない事を承諾していると言いました。私は愚かでした! 「警官は先ほどはっきりと今から同修を捕まえに行くと言ったではありませんか?」というと、Aさんはとても穏やかに「幾人かの衆生は怖がっているので、比較的やんわりと真相を知らせた方がいいと思います」といいました。。私がこの件で分かったのは、自分が善でなく、闘争心が出て相手に良くない要素をもたらしたのだと思いました! もし相手が本当に私に激怒して同修を迫害しに行ったら、それはどれほど大きな罪を犯すことになるでしょうか! 同修を迫害するばかりでなく、警官をも迫害する事になるのです。

 私は怖くなったのと後悔で、すぐにAさんに、あの警官に電話をかけることを手伝ってくれるようにお願いしました。Aさんはとても親身に「今とても多くの急用があります。そのように言ってしまったのなら、そのままにしておきましょう。また電話がかかった時に釈明すればいいでしょう。、いずれにしても衆生が良く救われたらそれでいいでしょう」と言いました。

 私はAさんが私に自分で自分の問題に対処するように言っているのだと分かり、またそれが向上なのだと分かりました。私はすぐに心を静めて闘争心と報復心、依頼心、何か間違いがあったら人に頼み責任を負わない心、幸運を当てにする心など、とても多くの良くない心を探し出しました。正念を発してそれらを取り除き、師父のお写真に敬礼し、加持を求めました。電話が繋がって警官はすぐに不機嫌そうに、「またかけてきたのか?!」というので、私はすぐに物柔らかに、「××さんこんにちは! 先ほどは私が間違っていました。謝ります!」と、誠心誠意に言いました。「法輪功を迫害した事による精算がもうすぐやって来るのに、まだ迫害の命令を執行しており、贖罪の羊になるのではないかと焦って気をもみました」というと、彼はすぐに穏やかな口調になり、私たちは数十分話しました。警官は、「現在常に方法を考えて迫害の命令を回避している。20年前に『轉法輪』も読んだことがあり、法輪功の冤罪が早く晴れる事を願っている」といいました。

 私は警官に、国内の迫害に参与しないこと以外にも、法輪功学習者を守り、釈放されるよう知恵を使い、また急いで「三退」し、早く国際電話を追跡するように言いました。警官はとっくに三退し、またなぜ、国際電話をかけているのかを知っており、同時に家族や友達、同僚にも法輪功の真相を伝えると言い、同僚にも「三退」を勧めると言いました。1人の善良な生命が救われました! 先ほど同修を捕まえると言ったことは、はじめからなかったかのようでした。

 師父は『北米第一回法会での説法』の中で次のように説かれました。「自分の本当の原因を見つけた時、逃げずにそれに目を向け、それを認めることができる時、情況がすぐに変わるとあなたはきっと気づくのです。トラブルがなくなり、相手はなぜかあなたとの間に何もなかったかのようになり、何のトラブルもなかったかのようになります。なぜならば、修煉者にとって、如何なる偶然な機会も存在しておらず、如何なる偶然なこともあなたの修煉の道を妨害してはいけないからです」

 今回の事を経験して、修煉の厳粛性と同修間で互いに協力する重要性を知ることが出来ました。師父は、「一歩引き下がれば世界が広々と開ける」[1]という喜びを体得させてくださいました。修煉者の一言一行はたとえ一思一念であっても、すべて1人の衆生を救うか落とすかです! もし私が初めから細かく相手の話に耳を傾けていたら、あるいは相手が無礼であったとしても、静かにして話すべきで、相手に激怒してひたすら突進すべきではありませんでした。もしAさんが、私が法に則っておらず、相手に激怒する良くない要素がある事を見ておらず、私と交流をしていなかったとしたら、私に自分の損失を挽回するように言わなかったとしたら、私は本当に取り返しのつかない大罪を犯したかもしれません。もし間違いを認めず、気にしなかったとしたら、あるいは間違ったまま変えようともせず、補足もしなければ、師父が按排された心性の向上が出来ないだけでなく、反対に自分を下に落とし、それは修煉と言えるでしょうか? 私は衆生を救い、法を実証しているのではないでしょうか? 私は衆生を救えたのでしょうか? 私は自分の強い自我を発見しました。それは修煉の道においてずっと私につきまとっていました。

 私は私生活で難関に遭遇した時に法を得ました。夫との難関をずっと乗り越えられずにいました。夫はかつて2回私のパソコンと携帯電話を壊し、師父のお写真の額を壊しました。私はどうする事も出来ず、師父に助けを求め、夫のいない生活と修煉を空想しました。私はわかっていますが、実際夫は私にとても良くしてくれていました。毎回夫が怒り出すのは、私が夫に冷たくした時で、夫はそのたびに激怒して悪口を言いました。私が修煉してからは以前のように夫に辛辣に言ったりしなくなりましたが、たまに自分の潔白を実証したいと思いました。実際はあの重い自我に触れると、闘争心が出てきて笑い飛ばす事が出来ず、最後は悲劇に終わります。関を乗り越える事が出来ないだけでなく、自分は新しい学習者として、旧勢力によって能力が抑えられているのだと言い逃れをし、執着のために口実を探していました。そのため私の修煉環境と修煉状態はずっと良くならず、家庭の妨害もずっと絶えなかったのです。

 今回の重大な電話を通してやっと分かりました。自分の闘争心と報復心をとっくに発見しており、本当に良くない心だと分かってたのに、ずっと取り除くことが出来ずにいました。それはこの「私心」を認識出来ておらず、考えもせず、ずっと自分の利益と感情を守っていたからです。衆生を済度すべきなのに夫や子供の立場に立って考えていませんでした。師父は「慈悲は能く天地の春を溶かし」[2]と説かれました。私は自分に問いました。何が慈悲ですか? 夫が私に良くしてくれれば、慈悲になり、夫が私に迷惑をかけるなら慈悲でなくなる? これは慈悲でしょうか? これはまさしく選択性のある慈悲ではないでしょうか? これは小法小道の中の話のもので、全く慈悲とは言えず、また人を救う力もなく、さらに圓満とはほど遠いのです! 私達はいつも何かあった時に自分の執着によって衆生を救い済度出来ないだけではなく、さらには反対の方向に走っているのです!

 師父がなぜ私にこの家庭やこの夫を按排されたのかはっきり分かりました。この一切は全て私の執着を取り除くために按排されたのです。しかし、私は1回1回心性を向上する機会を逃していました! 師父は慈悲で、他の人を救う過程で引き起こした執着心を取り除かなければ、どんなに危険なのかを認識させてくださいました。改めて心を静めて真剣に学法して分かった事は、師父は法の中で一切の道理を説かれており、何かに遭遇した時に解决する方法をはっきりと説かれているのです。ただ私はずっと悟っていなかっただけで、修煉の中で取り除くべき心が一つでもあると、私たちが圓満出来ない関となる事を重要視していなかったのです!

 ひどく後悔する中で、やっと修煉の中で本来乗り越えるべき関を乗り越えたいと思いました。

 それ以来、夫がまた数回理不尽に難癖を付けた時、以前のような闘争心と報復心をもって、夫と争ったり相手にせず、「もし法輪功を修煉していなければ、私はあなたと今日まで生活出来ていませんでした。もしどこかがあなたの心を不快にさせていたなら、それは私が良く修煉出来ていなかったのであって、大法の問題ではありません。法輪大法は全世界で1億人が受益しています。分かって下さい。中国の多くの法輪功修煉者は臓器狩りという危険な状況下にあっても、依然として修煉を放棄していません。ですから、私を変えようと思わないでください。また私を変える事は不可能で、絶対に修煉を放棄するつもりはありません!」といい、夫に釈迦牟尼仏が出家した修煉の物語を話し、また幾つかの感謝を述べ、大法を支持するように頼みました。夫は意外にも「それじゃ、修煉すればいい。もし余分なお金があれば法輪功に使う事にするよ。場所を借りて学法する事に役立つようにする」と言ってくれました。

 この事を通して、私は深く認識しました。家族もまた私が救い済度する対象で、心を込めて真相を伝える必要があるのです! しかし、純粋な心を用いて本当の弟子の姿で真相を伝えなければ、師父は私に加持をして下さるでしょうか? 私は自分に誓いました。心を静めて学法し、心を込めて真相を伝えます! 修煉の目的は圓満するためで、この向上できる機会を急いで掴み、精進すべきではないでしょうか!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の詩 :『洪吟二』「法は乾坤を正す 」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/5/14/348041.html)
 
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