文╱中国の大法弟子
【明慧日本2017年6月13日】私は1997年に法輪大法を修煉し始め、今年78歳です。私は目がかすまず耳も遠くなく、足腰がしゃんとして、自転車に乗ると若い人とほとんど変わりません。
修煉前の私は病気だらけで、特に厄介な婦人病を患っており、60代でも不正出血がひどく、毎回体がぐったりして、顔色が土色で、力仕事はまったくできませんでした。修煉後、師と法を信じることによって、私はいろんな関門を乗り越え、今日まで歩んで来ました。
修煉した当時、識字能力が低かったため、『轉法輪』を読めず、娘や連れ合いに本を読んでもらって、私は聞くしかありませんでした。その後、自力で本を読むようにし、読めない文字をメモして、人に聞きました。3カ月後、私の老眼が消えてなくなり、『轉法輪』 も読めるようになり、本当に嬉しくてたまりませんでした。法を習い、心性を修め、師父のおっしゃった通りに行い、知らないうちに病気は全部なくなり、仕事は何でもできるようになり、そして始めて無病で軽快な体の素晴らしさを味わいました。
1999年7月、中国共産党の江沢民集団が法輪功を弾圧し始め、虚言や捏造は国中を飛び回り、これほど素晴らしい功法が、突然、政府に禁じられるになりました。正義の声を上げるため、私は二度も北京に陳情に行き、そして3回も連行され、1回は思想改造施設に入れられました。しかし、どんな困難があっても、大法を修煉する我が心は揺るぎませんでした。私は法を信じ、師を信じ、恐れる心がなく、どこに行っても、大法の真相を伝え、師父のおっしゃる通りに行いました。私は邪悪に一度も妥協したことはなく、本心に反した言葉を一言も言ったことはありません。師と法を固く信じていれば、そして、偉大な師父がそばにいらっしゃれば、私は何も恐れません。
師父は「現在、最大のことは衆生を救い済度することにほかなりません。多くの人を救ってください! これは即ち、最大のことです」[1]と説かれました。たくさんの人を救おうとするならば、必ず法をしっかり学ばなければならないと思いました。私は毎日『轉法輪』を2講学び、そして、師父の『各地での説法』も学んでいます。人を救うことは私が神様に対する誓約であり、使命でもありますので、私はそれを必修の日課として、特別の場合以外、毎日出かけて真相伝え、人を救うことを行いました。一日でも行かなければ、何かを失くしたかのように落ち着かず、師父に任された任務を果たしていないという不安を覚えて仕方がありません。
真相を伝え、人を救う時、私は慈悲の気持ちを持って行います。師父は「実は慈悲は巨大なエネルギーであり、正神のエネルギーなのです。慈悲であればあるほどエネルギーが強く、どんな良くないものも解体されます」[2]と説かれました。年配の人に会うと、法輪功とは何か、法輪功は佛法であり、正法であり、真・善・忍を修めて良い人になるように教えていることを話し、そして法輪功の基本的な迫害の真相を話し、中国共産党の歴史を話し、三反、五反、鎮反、文革、天安門事件、法輪功の弾圧などを話します。年配の人でしたら、誰でもこの歴史を経験してきたので、彼らはとても認めてくれます。それから、三退して平安を守ること、蔵字石のことを話せば、年配の人はほとんど三退を承諾してくれます。中年の人、若い人に会うと、彼らに今の社会の腐敗や混乱、そして毒が混入している米や製品や粉ミルクや地溝油などを話し、さらに、中国共産党の幹部は「汚職をしていない官僚はおらず、汚職をしないのは官僚ではない」という現状を話し、最後に、法輪功の基本的な迫害の真相を話せば、ほとんどの人は聞き入れてくれて、三退をし、真相資料とお守りを受け取ってくれるのです。
真相を伝え、人を救う時、私は恐れる心をまったく持っていません。私は人を選ばず、身分を見ず、出遇ったすべての人に真相を話します。一度、幹部らしき人に出会い、真相資料を渡すと、彼は、「お前はまだこんなことをやっているか? お前を派出所に連行するぞ」と言いました。「派出所でも、公安局でも、どこでも良い人と悪い人を区別するでしょう。派出所、公安局は悪人を取り締まる所です。私達は真・善・忍を修める人で、師父は私達に良い人になるように教えて下さっています」と言いました。彼に「あなたの名前は?」と聞かれると、私は堂々と自分の名前を教えました。彼は「何度もお前を連行したよね。まだやっているのか。早く家に帰りなさい」と言いました。私は「ありがとう。あなたも真相を知って福報を得られることを願っています」と言いました。
真相を伝え、人を救う時、嘲笑されても、罵られても、殴られても、私は気にしません。なぜなら、私は師父の弟子で、法を正す師に手伝う大法弟子だからです。一度、私は出かけて真相を伝え、カバンに『九評』をいっぱい入れて持って行きました。ちょうど法輪功を担当する幹部とばったり遇いました。彼は私の資料を奪い、私を殴り、蹴りました。しかし、私はまったく怒らず、ただあのカバンいっぱいの本を心配して、その資料を人にあげるなら問題はないのですが、もし焼いたりしたら、その人は悪報に遭うに違いないと心配しました。その後、あの幹部の足が折れて、彼本人も学習者に暴行して報われたと言ったそうです。
修煉して18年間、薬を1錠も飲んだことがなく、難関に遭うと、法と師を信じる一心で乗り越えて来ました。私の家には長芋の穴蔵があって、上には1枚の紙を被せていて、ある日、それをすっかり忘れた私は、うっかりして山芋の穴蔵中に落ちてしまいました。私は両手で支えて、全力を絞り出してようやく這い出てきました。出て来てから、腰も足もとても痛くて、箒で地面を掃除して見たら、大丈夫でした。私は体を迫害するすべての生命と要素を解体するようにと正念を発しました。その日、体が痛くて眠れず、一晩法を学びました。そして、煉功を続け、2日間ですっかり元気になりました。
以上は私の修煉の中の僅かな体得です。適当でない所を同修達の慈悲なるご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法八』「二〇〇七年ニューヨーク法会での説法」
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」