文/中国 江蘇省の大法弟子
【明慧日本2017年6月14日】私が新たに大法の修煉を始めようと決心した時、夫からの妨害はますます多くなりました。初めに、夫は私の夜中11時の発正念と朝3時過ぎの煉功が夫の休憩を妨げたことを理由に私とよく喧嘩しました。当時、夫が言った多くの言葉は針のように私の胸に刺さりました。その後、夫は2回ほど夜中に家出して、真冬の街頭を彷徨(さまよ)い、心配になった息子が付いて歩き回り、息子まで休むことができませんでした。今度は、夫はまた老人ホームに住みたいと言い出しました。最後はいつも、トラブルの矛先(ほこさき・攻撃先)はすべて私に向けられました。
当時の私の心性では、その局面は本当に耐え難いものでした。幸い、師父はずっと私を見守られ、私も大法を修煉する志をずっと抱いていました。大法の修煉者として、夫と喧嘩してはならず、「殴られても殴り返さず、罵られても口答えしません」[1]を実行すべきだと絶えず自分に言い聞かせました。しかし、この忍耐は本当に辛いものでした。どうしても我慢しきれなくなったとき、私は夫に嫌な顔を見せたりしました。
絶え間なく学法する中で、これらの現象の背後に、夫をコントロールして私の修煉を妨害している旧勢力の存在があることを知りました。同修も一緒に発正念をしてくれました。しかし、成長過程で身につけた傲慢さや独断専行(物事を独断で勝手に推し進める)することや、嫌なことを死んでも聞きたがらない悪い習性、そして党文化の影響で自分を正すことがなかなか難しく感じ、師父のお写真の前で涙を流しながら、どうすればこの苦境を乗り越えることができるかと訴え、悩みに悩みました。
同修の助けの下で、私は時間を惜しんで学法に励み、一つずつ自分の人心を見つけ出しては、発正念でそれらのよくない心と旧勢力による妨害を一掃するようにしてからは、家の情況も徐々に好転しました。
ある日、以下の説法を学びました。「多くの人がそのようなことを経験しているのにもかかわらず、その理由を考えてもみませんでした。他のことに関しては、奥様やご主人がそれほど干渉しませんが、本来良いことなのに、相手は許してくれようとしません。実は、本人自身はそうとは知りませんが、あなたの業の消去に手を貸してくれたのです。相手は表向きあなたと喧嘩しているような振りをして、内心ではあなたを思いやっているというわけではありません。本当に心から腹が立っていたのです。なぜなら業力が誰かのところに落ちていれば、その人は必ず辛い思いをするからです。これは間違いないところです」[2]。これを読んだ私ははっとし、あることに気づきました。以前、学法しながら自分の修煉環境を考える際、いつも夫が私の修煉を手伝ってくれていたので、夫に優しく接するべきと思っていました。しかし、今になってやっと分かったのですが、旧勢力は修煉の手助けとして按排したと同時に、私の修煉を手伝う名目で夫にもっと多くの業を造らせ、最終的に夫を淘汰しようとしているのではありませんか? それなら、夫の分かっている一面の生命はきっと怒り、憤慨するに違いがありません。これによって私は旧勢力の邪悪に対する認識がさらに深まり、夫に対する慈悲心が湧いてきました。
私は師父に線香を捧げ、一念を発しました。「師父、どうかご加持ください。私は旧勢力のこのような按排は要りません。どうか夫も大法の修煉を始められるようにご按排下さい。私は師父の按排に従って正々堂々と修煉し、ベストを尽くして夫を助けます」。
それから、私は自身の修煉に励むと同時に、万事において自分の原因を探し、夫が業を造らないように生活および思想の面で夫のことを気にかけ、食事の時にさまざまな社会現象をめぐって、師父の説法を自分の理解出来た範囲内で夫に言い聞かせるようにしました。その後、私は毎晩30分の学法を提案し、夫が賛成してくれたことに心から喜びを感じました。夫が大法を学べばきっと変わると思いました。学法を始めて間もなく、夫の状態はどんどん良くなりました。大法の威力は本当にすごいものです!
江沢民告訴が始まってから、私は学法グループの同修たちと学法を通じて事の重要性を認識し、正々堂々としようと考えました。夕食時に、私は夫にこう聞きました。「今まで法輪功を修煉していないにも拘らず、自分も迫害を受けたと思っていたでしょう? 今回、私は江沢民を告訴しようと考えています。あなたも参加しますか?」夫はすぐにこう答えました。「あの数年、私はどんなにしんどい日々を送ったか思い出したくもありません。迫害を受けた私は告訴に参加しない理由がないでしょう!」その後、私が書いた訴状に夫も躊躇なく署名しました。順調に手紙を郵送して郵便局から出てきた後、私は涙を流しました。慈悲なる師父は私と夫を未来へと導いてくださいました。
インターネットで、悪人たちが「調査」の名目で江沢民を告訴した修煉者に嫌がらせを行っている情報を見て、常人である夫がこのことを無事に乗り越えることができるだろうかと考え、軽く夫に気づかせました。「正念を持って下さい。本当に誰かが調査しに来たら恐れる必要はありません。正々堂々と真相を伝えればいいのです」。私の正念と堅い信念に影響されて、夫も「そうするよ」と賛同してくれました。
普段、夫は大法の真相資料をまったく見ません。夫が食前酒を好み、酒を飲みながら話を聞くのが好きなことを見て、私は1台のDVDプレイヤーを買って来て、大法の真相資料などを流して見せることにしました。
こうして1カ月後のある日、夫は煉功したいと言い出し、ついに修煉したくなりました。私は心底からうれしくなり、願いが師父のご加護の下で、ついに実現されました。
師父はこのようにおっしゃっています。「衆生は皆この法のためにやってきている以上、正しく法に圓容すべきであり、法と未来に何かを押し付けるべきではありません。多くの生命は旧勢力にこの過程で負の作用を働くように按排されましたが、このようにしませんでした。つまり、この生命はまだ救われ済度され得るということです。皆さんが真相を伝える中で、大法弟子が自ら行うべきことを行う中で、皆さんに教えますが、皆さんがやっていることの多くはそういう人を救っているのです」[3] 。皆さん、師父の説法と照らし合わせて見ると、大法弟子の家庭の中にも、その救われ済度され得る対象の衆生がいるかもしれないと思いませんか? 大法弟子として、家庭の問題をもっと重視すべきだと思います!
今、夫は毎日出かける際に友達や赤の他人、暇な人に出会えば、もっとも言いたがるのは「真・善・忍」です。夫はときどき他人に真相資料も渡すようになり、本当に務める役が変わりました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『シドニー法会での説法』
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[3] 李洪志師父の著作:『各地での説法六』「二〇〇四年ワシントンDC法会での説法』