同修の逝去について
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文/中国唐山市の大法弟子 覚縁

 【明慧日本2017年6月25日】最近、我が地区では数人の同修が相次ぎ旧勢力に命を奪われてしまい、大法を実証し、衆生を救い済度することに対して、非常に大きな損失をもたらしました。これらの同修の現れ方は様々ですが、いずれも一つの根本的な執着を持っており、その現れが比較的に突出していました。このことは、私たちに深刻な教訓となりました。

 逝去された一部の同修に現れた現象を例にあげようと思います。ここで同修に文句を言いたいわけではなく、ただ皆さんに修煉の中で気をつけていただきたく、旧勢力に隙きに乗じられないように、注意を喚起したいだけです。

 これらの同修は日常生活の中で小さなことを問題にせず、着実に自分を修めていませんでした。トラブルに遭遇すると内に向けて探さず、外に向けて求めます。正法の理で問題を理解していません。常人の中の悪いことを良い事と見なさず、これは自分を修煉させ、自分を向上させる機会であると認識できません。後天的に形成された観念を放下することができず、「不二法門」[1]に対する認識がはっきりしていません。かつて旧勢力と誓約を交わした同修は、タイムリーにそれを否定することができなかったために、旧勢力の按排した道を歩んでしまいました。

 なかには修煉に対して重視しない人もいて、師父が延長してくださった中で幸せな生活を楽しんでいます。最も主要な問題は師父と大法を信じることが口に留まり、心の中で多かれ少なかれ疑問を持っており、確固たる信念で着実に修煉することができず、肝心な時になると旧勢力に生命を奪われやすいという状態が現れるのです。

 例えば、我が地区には協調人の同修Aさんがいました。普段三つのことをしっかり行い、正念が比較的強く、協調人でした。一度夢の中で、非常にはっきりとした声で彼女に「私と一緒に行こう」と言われました。彼女は当時どういうことかが分からず、それを否定しませんでした。しばらくしてから、彼女はトイレで倒れてしまい、人に発見された時には事切れており、すでに旧勢力に命を奪われていました。

 もう1人の同修Bさんは「あなた達はみな圓満成就に至った、私と一緒に行くべきだ」と言う声を聞きました。彼女は「私はまだ準備ができていません。家に帰って荷造りをしてから、あなたと一緒に行きます」と答えました。彼女はこのことを同修Cさんに伝えました。同修Cさんもこれが旧勢力の按排であると悟らず、自宅に帰って圓満成就に行く準備をしました。その結果、2時間も経たない内に旧勢力に迫害されて亡くなりました。

 逆に同修Dさんは夢の中で「小雲、あなたは私と一緒に行くべきだ」と言う声が聞こえました。同修は「私はあなたと一緒には行かない、私の師父と一緒に行きます」とはっきり答えました。数日後、その声が再び現れて、また同じことが聞こえてきましたが、今回彼女は「私はあなたと一緒に行かない、私は私の師父と一緒に行きます。あなたは死んでください」と答えました。それきり、その声は再び現れませんでした。

 これらは恐らくかつて旧勢力と誓約を交わしたことがあったからかもしれません。それはあなたが寝ている時、あるいは主意識がはっきりしない時、あなたに手を下します。もし学法がしっかりできておらず、タイムリーにそれを否定しなければ、旧勢力の按排した道を歩んでしまいかねず、旧勢力により淘汰されてしまいます。

 師父は「心が正しくないとはどういうことでしょうか? それはいつも煉功者としての自覚が欠けていることです」[1]と説かれました。一部の逝去された年配の同修は、大法を修煉する前に、人に運勢をみてもらったり、人相占いをしてもらったり、巫医や男巫にみてもらったことがあり、何かを教えられるとそれらを信じてしまいます。正しく師父がおっしゃったように「『ビルから飛び降りろ』と言われれば、飛び降りるし、『水に飛び込め』と言われれば、飛び込んでしまうのです」[1]。今なお常に自分を煉功者とみなすことができず、常人に手相や人相をみてもらおうとします。「もしかしてまた何か劫難が訪れるのではないか、自分の天命は尽きていないだろうか」を見てもらおうとします。また一部の者は自分の後天的に形成された観念に執着し、先祖からの遺伝子に執着し、自分が早く死ぬことを怖がります。例えば、40歳を過ぎた同修Eさんは三つのこともやり続け、非常に精進しているように見えます。一度彼は「我が家族の中男性はみな長生きできていません。若い内に皆亡くなりました。これは多分先祖からの遺伝子のせいかもしれません。私は修煉する前に身体が良くなかったから、常に長生きできないのではという考えが浮かんできます」と言いました。

 私は彼に「先祖の寿命が短かったことは過去のことです。いま私達の生命の道は改変されました。師父が新たに按排されてくださり、私達の一生は修煉の一生であり、旧勢力の按排とは関係ありません。この類の考え方は必ずタイムリーに否定すべきです」と告げました。彼が常にそう考え、観念が形成され、かつタイムリーに否定しなかったがために、旧勢力の按排を認めてしまいました。旧勢力は彼に手をくだし、脳幹出血の形で、数時間に彼の命を奪いさりました。これはすべて自分の心が正しくないことによりもたらされたことです。

 同修はそれぞれ師父と大法を信じる程度が異なり、その現れも異なり結果も異なります。60歳過ぎた同修Fさんは病業で、肝臓がんの症状が現れました。自宅で昏睡状態に陥った時、家族はFさんを病院に運びました。Fさんは重症看護室でまた3日間昏睡状態に陥りました。彼が目覚めた時、はじめて話した言葉はほかでもなく「法輪大法は素晴らしい!」でした。その場にいた医療関係者はみな驚いて走って出ていきました。Fさんは「真に修める人には病がない」[2]と信じていました。1年ちょっと時間をかけ、病業の関を乗り越え、今ずっと人を救う第一線で頑張っています。

 逆に40歳を過ぎた女性の同修Gさんは病業の関を乗り越える時、病院に行って検査を受けると肺がんと診断されました。しばらく治療しても好転しませんでした。1人の年配の同修が彼女を自宅に迎えて、一緒に学法し、煉功し、発正念し、法理に基いて彼女と交流し、彼女を助けて病業の関を乗り越えようとしました。一週間後、明らかに好転しました。私は一度近距離で発正念をする時、師父が彼女の身体を清理されているのを見ました。彼女の身体から出てくる匂いは、腐った死体から出てくる臭い匂いでその匂いで息が詰まりました。これは彼女の身体はすでに非常に危険な状態であるということを示します。その時、もし彼女が確固たる意志で師父と大法を信じれば、非常に速く魔難を乗り越えたはずです。しかし、彼女の家族が同修の自宅を訪れ、病院に行くように強いられた時、彼女は大法を放棄し、家族(修煉していない常人)と一緒に病院に行きました。師父は「絶えず煉功すれば、絶えず延長されます。修煉すればするだけ延びるので、根基が良いのにすでに年を取ってしまった人も、これで煉功の時間は足りるようになります。しかし、ここに基準が一つあります。定められた天寿を越えた、延長された生命は、すべて煉功するために与えられたものであり、間違った考えが浮かんだだけで命の危険を招くことがあります。というのは、あなたの生命の過程はとっくに終わっているからです」[1]と説かれました。彼女は旧勢力の按排した道を歩み、修煉を放棄したため、師父は彼女の面倒をみることができません。結局病院で半月経たない内に旧勢力に命を奪われました。

 また1人の50歳を過ぎた同修Hさんがいます。同修Hさんは恨みの心が非常に強く、修煉してない夫が至るところで彼女の考え通りに振る舞わないことを恨みました。そもそも生活の中で、自分の心性を向上させるための小さなことでしたが、彼女は逆に「生活の中の辛さを自分に対する不公平だと思い込むこと」[1]になりました。私たちは法理に基いて彼女と交流しました。彼女は情実のために口では分かったと言いましたが、内心の深いところで、師父の説かれた法理が分かったわけではありませんでした。結局、夫が二言三言いうと、またすぐ恨みはじめました。彼女はすでに恨みという強大な執着心を形成していました。旧勢力は彼女に対して迫害する口実を掴んだので、乳腺癌の症状を演化しました。彼女は正法の理で問題をみることができず、法に基いて着実に修めず、非常に短い期間で旧勢力に迫害されてこの世を去りました。

 また60歳過ぎた同修Mさんはお金や財産に対する執着心が非常に強く、お金を稼ぐためなら非常に代価を支払います。それで学法する時間がなくなりました。また日常生活の中で心性を修めることを重視せず、小さな関は気に留めず、大きな関は乗り越えたくなく、少しずつ大難になりました。師父は「また、小さいことを修煉の中で気に留めていませんが、結局大きな問題となってしまいました」[3]と説かれました。最後に、旧勢力に迫害されて白血病の症状が現れました。病院で治療する手立てがもうないと告げられ、やっと師父のことを思い出し、師父に治療を求め、命を救ってくださるように求めました。こうして求めるだけで、自分を修めていなかったため、最終的に一週間の内に旧勢力に生命を奪われました。これらの痛ましい教訓に対して私たちは充分に反省すべきです。

 私たちは常人の中で生活するため、一部の人心が現れるかもしれません。時間が長くなると観念が形成され、執着心が生まれます。すると旧勢力はそれを口実にあなたの執着心を拡大し、あなたに与える関や、難を増大させ、あなたがこの関と難で落ちてしまうようにさせ、ひいてはあなたの命を奪い去ります。旧勢力の按排は私達を台無しにすることです。師父の按排は旧勢力の按排の中で、私達が修煉して圓満成就するようにさせます。もし法の要求通りに自分を着実に修めていれば、それは旧勢力の按排を否定することになり、師父の按排された道を歩むことになります。

 私達大法弟子は、はっきりと分かっていなければなりません。それは私達が大法を修煉したから、亡くなることがなくなるわけではありません。私たちは常人社会のこの迷いを破ってはいけません。常人の社会状態を破壊してはなりません。法の中から私たちは知っていますが、人類は1999年の大劫難に遭った時、消滅されるはずでした。人類の生命の進展はとっくに終わっています。師父が法を正すため、衆生を救い済度するために、私達の生命を伸ばしてくださいました。皆さん考えて見てください。私たちは人間が修煉しており、神が修煉しているわけではありません。もし常人の考え方に符合すれば、常人のやり方にしたがって行えば、それはほかでもなく常人です。人間であれば生老病死はつきものです。時々刻々大法を持って自分を正してこそ、はじめて修煉者なのです。修煉者の基準を満たしてこそ、やっと師父はあなたを保護し、あなたの寿命を伸ばすことができます。師父が保護するのは修煉する人であり、常人ではありません。ですから、私達が一旦大法修煉から離れると、如何に危険なことでしょうか!

 次元に限りがあり、もし法に符合してない部分がありましたら、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1]  李洪志師父の著作: 『轉法輪
 [2]  李洪志師父の著作: 『法輪大法義解』「長春法輪大法輔導員のための説法」
 [3]  李洪志師父の経文: 『二〇一五年ニューヨーク法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/6/20/349601.html)
 
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