私の重い血管炎が 法輪大法を学び 見事に治った
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子 長安

 【明慧日本2017年6月25日】私は1995年春から歩行中に両足が急に腫れ、痛みを感じ、しばらく休憩すると消えるという症状が現れました。

 同年夏、北京協和病院、警官部隊などの病院で検査しましたが、確かな結果が出ませんでした。同年秋、足の指が白く、ひんやりした痛みを伴う症状が現れ、吉林病院で検査した結果、閉塞性血栓性血管炎でした。病気を治療するため入院し、鍼を打っても、薬を飲んでも効果が現れず、それから様々な処方を探しても良くなりませんでした。症状はだんだん悪化し、足の指に潰瘍ができ始めました。

 1997年5月のある早朝、散歩に出かけた私は、ある人たちが煉功しているのを見かけ、尋ねてみると法輪功だったのです。そして、私は一緒に参加しました。参加した後に気持ちよくなったため、毎日行くようになりました。

 十数日後、責任者に9日間の講座があると聞きました。師父の説法ビデオが見られるというので、私は妻と一緒に見に行きました。そして、法輪功は良い功法だと思い毎日煉功を続けました。知らぬ間に足の潰瘍が治っていました。当時は本当に法輪功を理解しておらず、ただの気功だと思い、『轉法輪』に書いてある通りに行わず、自分を修煉者と認識していなかったのです。今までどおりに過ごし、学法と煉功も三日坊主になってしまいました。それでも、師父は私の面倒を見てくださり、病状が再発することはありませんでした。

 江沢民が1999年7月に法輪功を弾圧する政令を下し、文化大革命を経験した私は中国共産党がまた弾圧の運動を起こし、政治的に迫害を始めようとしていることに気づきました。恐れる心で私は本を読むことや煉功をやめ、タバコ、マージャンに夢中になり、色欲、名利心が出て来ました。自分を煉功者と見なさなかったために、血管炎が再発しました。両足の10本の指に相次いで潰瘍ができ、治ってもふたたび腐り、指も同じ状態でした。治療のために吉林省、河南省、ハルビンなどを転々とし、各地から薬を調達しました。病状が反復している間に、両手の指を合わせて3本もの指を切断しました。

 2011年5月初め、病状が急に悪化し、痛みで立ち座りや横たわることができなくなり、椅子につかまりながら動くしかありませんでした。両足の小指は潰瘍で骨まで見えていました。両手にもそれぞれに骨が見えるまでひどい潰瘍ができていました。このときの体重は60キロから45キロくらいに落ち、毎日の睡眠時間は30分くらいでした。22日間くらいこのような状態が続き、私は動く気力さえ失い死ぬほうがましだという感覚でした。そして、下肢を切断する手術を決心しました。

 このとき、私の妻(大法修煉者)は「明日の切断手術は一緒に行ってあげます。ただし、本当に決心したのですか。切断したら歩くことが難しくなりますよ。もしあなたが再び最初から法輪功を学び、すべてを師父に託したら、師父は必ず面倒を見てくださいます」と私に言ってくれました。

 もうなす術がなくなった私は自分のすべてを師父に委ね、改めて法輪大法を学び本当の大法弟子になることを決心しました。

 翌日、私はすべての薬を捨て、数十年の喫煙歴のあるタバコもやめ、手足の潰瘍を塩水で洗い流した後ガーゼで覆い、毎日『轉法輪』を読み続けました。患部の痛みは徐々に軽くなり、私は立てない、座れない、眠れない状態から少しだけ立つことができ、座れるようになり、10分、30分、1時間と時間が長くなりました。10日ほど経つと横になって眠ることもできるようになりました。

 立てるようになると私は煉功を始めました。潰瘍は日増しに良くなり、学法や煉功を20日くらい続けたとき、右足の骨が見えていたところに新たに肉が盛ってきました。1カ月後、私は普通に歩けるようになりました。手と足の指に露出していた骨は自然になくなり、2カ月で傷口が全部治り、血管炎が治りました。

 この16年間、様々な病院で治らなかった病が、2カ月続けた煉功と学法で、薬や鍼を一切使わずに完治しました。喜びの気持ちは言い表しがたく、私は深く李洪志師父に感謝しています。死ぬほどの痛みから救い出し、健康な体を与えてくださり、今では体重が70キロになりました。

 私の親戚、同僚、同期の者は私の回復した元気な姿を目にして、法輪大法の良さを知りました。法輪功についてよく知らなかった多くの人たちが、私を通して中国共産党のデマを信じなくなりました。私は心より世の人々が「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」ことを覚えて欲しいのです。そして自分の生命に良い未来を残してもらいたいと思っています。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/6/21/349929.html)