集団学法に参加し、正々堂々と修煉の道を歩む
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文/吉林市の大法弟子

 【明慧日本2017年6月27日】私は東北地方の高齢の大法弟子で、法を得て21年目になります。1999年「7.20」以降、当地の修煉環境は江沢民を頭目とする610弁公室や公安局から全面的な打撃を受けました。私たち一家3人は皆修煉しており、北京へ行き修煉を諦めないため、酷い迫害に遭いました。私と妻(同修)は不当に労働教養を科され、子供は拘禁されました。迫害の中で、当時、修煉を続ける同修は非常に少なかったのです。

 迫害当初、当地の610弁公室や公安局、役所などは昼夜を問わず、車を走らせながら法輪功修煉者を逮捕して洗脳班を作り、「煉功しない、上京しない」といういわゆる「保証書」を書かせました。邪悪が作り出す恐怖の雰囲気により、人々は「文化大革命」が再びやってきたのかと恐れ、皆息ができないほどの圧力と恐怖に押しつぶされそうでした。当地の人々は法輪功が迫害を受けている真相を知らないため、学習者たちに怯え遠ざけていたのです。私と妻が拘禁されていた数年間は、かつての同修たちは私たちの子供にすら近づきたがらなかったのです。子供が刑務所に来て私たちと面会する度に「お父さん、僕は疲れても、苦しくても大丈夫。大したことじゃないし、耐えられる。でも、人に軽蔑され、冷たくされて、独りにされるのだけは耐えられない。とても悲しい」と言っていました。そして、私たちと共産党の手に落ちた同修たちが早く戻ってくることを祈っていました。息子の願いと行き場のない寂しさを聞く度に、息子を励ましました。私たちには師父がおられるから、天は落ちてこない。修煉する決心を固めれば、これらの正しくない状況は皆正されると息子に伝えました。労働教養所の中で裁判所と役所などに手紙を書くと、すぐにこれらの責任者が実際の状況を確認しに労働教養所に来るため、所長は責任を負えないと、予定より2カ月も早く私を釈放したのです。家に帰ってすでに数カ月が経ちましたが、当地の610弁公室や公安局、警察などの誰もが私がどのようにして帰ってきたのかを知りませんでした。その後、公安局は法輪功を迫害する「専門家」を当地によこし、きっと私を「転向」させると脅してきましたが、私は明白に「それは不可能だ」と告げたのです(当時、正念を持って迫害を否定したことについて、すでに明慧に掲載されたので、ここでは省略します)。

 帰宅後、真っ先にやるべきことは、昔の同修たちを探し出して学法チームを作ることでした。必ず当地の修煉環境を正したいと師父に加持を求めました。

 帰宅後、間もなくして、師父の『ニューヨーク法会への祝辞』で「歴史が大法弟子に与えたのは最も偉大な全てなのです。現在、皆さんが行っている全てはみなもっとも神聖なことであり、皆さんが行っている全ては衆生のためであり、皆さんが行っていることの全ては他でもなく未来を創造しているのです。歴史の過去において、皆さんは人類のあるべき輝きを創造したのであり、歴史の今日において、大法が皆さんに与えるのは衆生を救い済度する使命なのであり、歴史の将来において、皆さんの純正な全ては他でもなく大穹の成、住、不破の保証となるのです」[ 1]と説かれました。

 師父の大法弟子への信頼と期待、そして、希望は全て明白に教えてくださいました。あとは私たちが行動に移すだけなのです。師父が法を正されるのを何もせずにただじっと待ってはいけません。今直面している全てのトラブルや試練は厳しく、迫害が酷くなる一方の状況下で、まだ外に出てきていない同修を探し出して、学法チームを作ることは、正念が足りていない人には、不可能なことでしょう。しかし、私にとってこれは避けては通れない道なのです。師を助け、衆生を救うことは口先だけではなく、実際に行動に移して修煉しなければならないことなのです。

 まずは、念を定めます。大法は正法であり、邪悪が大法弟子を迫害することは法律に違反しています。集団で学法することは師父が残された修煉の形式なので、決してこの環境を壊すことは出来ません。昔の同修たちはこの迫害の違法性により迷い、恐怖のため家から出てこれません。これらの同修たちは皆7.20以前に法を得た人たちなので、個人の修煉においては一定の基礎があるのです。

 私は自らの仕事をやめ(何年間も家にいなかったため、やらなければならないことがありました)同修たちの所へ行き、交流したり、師父の最近の説法を勉強したりしました。間もなくして、当地の同修たちは学法チームを形成しました。これまでの迫害を経て、再び共に法を勉強し、煉功することができたことで、皆の気持ちが「7.20」以前に戻ったようでした。

 学法チームを設立することについて、表面上、我々は大法を守ることができたように見えます。しかし、集団学法を通じて全体で精進する事こそ、学法チームを設立した本当の意味なのです。しっかりと法を勉強し、法理をはっきりと理解することで、協調が生まれ、大法のプロジェクトに取り込むことができ、さらに多くの衆生を救うことができるのです。当時、私たちのチームはトラックを運転して、老若男女を問わず、子供まで連れて資料を配ったり、横断幕をかけたり、シールを張ったりしました。たとえ凍える真冬でも、炎天下の真夏でも、邪悪が狂ったように迫害を続けても、同修たちの衆生を救うという心を止めることはできませんでした。

 2005年、師父は『私からの棒喝』と『人心を放下し、世の人々を救い済度する』の二つの経文を発表されました。私たちの学法チームはまずは自分たちから、身の回りからと思い、町内の人々に真相を伝え、「三退」を勧めてきました。当時、「三退」を勧めることに対して深い認識を持っておらず、伝え方もあまり理性的とは言えなかったため、真相を理解していない人が私たちが「三退」を勧めているということを役所に言ったらしく、役所の人が調査に来て、その結果、法輪功が共産党に反対していると言われたのです。このことについて私たちは内に向けて探し、世間の人々が「三退」するのを邪魔する邪悪を取り除き、大法弟子たちが真相を伝えることを邪魔する要素を解体させようと発正念を増やしました。その結果、何事もなく解決したのです。

 私たちの町は大きいため、住民が多く、同修たちは協力し合いながら一つ一つの街に漏れなく真相を伝えていきました。この同修が伝えて駄目なら、別の同修が再び真相を伝えに行き、1人が伝えている時、皆が発正念をして場をきれいにしました。間もなく、2、3人を除いて、町中の人たちがほとんど「三退」をし、皆法輪功と大法弟子に対して新たな認識を持ちました。また、私たちの修煉環境にも変化が現れたのです。迫害に加担している610弁公室や警察、役所などの関係者たちも大法弟子と接し、真相を理解していく中で少しずつ変わっていったのです。迫害は相変わらず続いていますが、直接迫害に加担している人々は以前ほど調子に乗らなくなり、大法弟子を連行することも少しずつ減っていきました。公安局の手段を選ばない「指導員」でさえ、私たちに感服し、「局に戻してもらうようすでに上司に報告してあるから、もう法輪功を迫害するようなことには手を出さないよ。江沢民ですらお前たちにお手上げなんだ。俺が加担した所で、どうにかできるわけがない」と私に言いました。

 この「指導員」には何度も法輪功が迫害されている真相を伝えましたし、彼もまた何度も私を逮捕しました。しかし、いくら労働教養所や留置場、洗脳班に送っても相手が受け入れてくれず、「お前は人じゃない。神だ! 人なら、俺の経験や能力によれば、必ず拘禁できるはずだ」と言われました。このように言った彼に、「神はあなたたちが善良な人たちを迫害するのを許さないわ。これ以上罪を犯させないため、神はあなたに改めるチャンスを与えているのよ」と伝えました。

 集団学法チームの拠点は今までも、そしてこれからも私の家です。私は正しくない考えを持っていませんし、十数年間ずっと平穏に歩んできました。ここは師父のご加護があり、同修たちの心が一つになってからは修煉の環境もゆるくなってきました。これまでの間、私と家族は多くのことを引き受けてきましたが、法を実証する中、同修たちに変化が現れ、様々な形式で少しずつ外に出てきて、真相を伝え、衆生を救い済度し、そして、皆が一つになって集めた千万人にも上る「三退」リストをみて、私たちの苦労は無駄ではなかったと感じました。これもまた、師父が望んでおられることなのです。

 環境は心の変化により変わるものです。私たちが法に同化して自分を正したからこそ正念が生まれ、環境を変えることもできたのです。そして、この正念もまた周囲の人々をも変えることができます。この迫害の中で地元の人々は、真相を知らず、自分にまで被害を及ぼすことを恐れて大法弟子と法輪功への抵抗から、今では法輪功と大法弟子がしていることを理解するようになりました。この過程は修煉の過程でもあります。絶えず彼らに真相を伝えるだけではなく、自分たちも例え何が起きても微動だにせず、心を動じさせない信念を持たなければならないのです。また、常人より高い次元にいるという心と品格を持たなければならず、損得において常人と争わないことで、世間の人々は大法を認め、私たちが法輪功を修煉していることは正しいと思ってくれるのです。そうすれば、当地において法は正されるのではないでしょうか。衆生が救われるかどうかについて、師父はこのように説かれました。「法を正す中、私はすべての衆生の以前の過ちにこだわっておらず、法を正す中での衆生の大法に対する態度しか見ていません」[2]。衆生は法に反対さえしなければ、救われるのではないでしょうか。

 もちろん、常人社会で、人と人の間には因縁関係があり、また、自身の業力に加え、道徳も滑落しているため、皆それぞれの業力を返すために生活し、仕事をしています。ただ一つはっきりしているのは、大法弟子が多い場所は、犯罪率も少ないということです。これは「佛光は普く照らし、礼儀は圓明となる」[3]の表れなのです。多くの衆生が大法弟子を通じて真相を知り、福報を得ることを心から祈り、そして、中国でまだ集団学法に参加していない同修たちが人心と常人の観念を放下し、当地の集団学法を成立させるよう期待しています。集団学法に参加することは、大法を守れるかどうかについて大法弟子に与えた試練なのです。法を実証する良い環境は私たち自らが作り出すものなのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「ニューヨーク法会への祝辞」
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「世間に向かって輪を回す」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟』「法に溶け込む」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/5/23/348285.html)
 
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