文/カナダの大法弟子
【明慧日本2017年7月24日】私は1997年から法輪大法の修煉を始めた80歳の古い修煉者です。20年近い紆余曲折の中、たくさんのことを体験し、また認識してきました。修煉の過程を振り返ってみると、至るところに弟子に対する師父の保護と悟らせ、導きと是正がありました。師父のご恩にはいかなる言葉でも言い表せないものです。この文章で記述したのは、広大な大海原に浮かぶ一粒の粟のようなものにすぎません。
師父は「ですから、良いことにあっても、悪いことに遭っても、大法さえ修めていれば、全ては良いことです。これは揺るぎのないことです」[1]と教えて下さいました。これらの自分が達している次元での浅い理解ですが皆さんと交流したいと思います。
一、転んでから
子供はよちよち歩く時、転んでもすぐ自分で立ち上がり続けて走ります。しかし年を取ったお年寄りたちにとって転ぶことは簡単なことではありません。軽くても筋や骨を痛め、命を落とす場合もあるかも知れません。常人の理で量ると転ぶことはもちろん悪いことです。しかし私は修煉者なので、そのような結果になるはずがありません。しかし私は転んだことがあり、しかも1回だけでなく2回もありました。
1回目は中国大使館に請願に行った時のことです。大使館の前の1メートル幅のセメントで舗装された道路で転んで意識を失いました。同修は私を助け起こして師父を呼ぶように言い聞かせましたが、私は何も聞こえませんでした。目が覚めてもどこを怪我したか分かりませんでした。ただ手や足、全身の至るところが痛く感じました。鏡で見ると傷だらけで別人のように見えました。額は骨が見えて白くなっていました。手も挙げられなくなり坐禅もできませんでした。しかし、私は病院には行かず、学法と煉功をやり続け、1週間くらいで完治しました。足を引きずることもなく、手も痛くなく、顔は一皮剥けましたが傷跡は残りませんでした。人は私がかえって美しくなったと言いました。80歳のこの私が美しいと言うのは冗談ですが、自分でも前より肌がつるつるして皺も少なく、顔も白くなったと感じました。
ある日、外出して真相を伝える時、駐車場付近で中年の女性に会いました。彼女は急いで車に乗りたかったらしく、私を相手にしたくないようでした。でも私は「せっかくなので資料を御覧ください」と言いました。彼女は「法輪功ですか?」と聞くので、「はい、そうです」と答えると、「法輪功ですか。よいものですか。どこがいいかのか言ってみなさい」と挑発的な口調で急に言われたので、私はその時言葉に詰まりました。でも私はすぐ冷静になって笑顔で「私は法輪功学習者です。まず私が何歳か当ててみてください」といいながら冗談半分で軍隊の気をつけの姿勢をとりました。彼女はジロジロと眺めて真面目に考えてから「70歳くらいでしょう?」と言いました。「いいえ、もうそろそろ80歳になります」と答えると、彼女はびっくりしました。手を出して資料を受け取りながら「法輪大法は素晴らしい!」と言って、すぐに三退しました。
私はもうすぐ80歳ですが、耳もよく聞こえ、目もよく見えるし、顔や手に老人斑もありません。これは師父が私を演化してくださったおかげですが、彼女は心の奥底から法輪大法の不思議さと素晴らしさを体験しました。
昨年末、私たちの市で神韻芸術団の公演がありました。私は同修たちと一緒にポスティングしました。途中でまたうつぶせに転びました。しかしその瞬間、「師父、私は大丈夫です」と声を出しました。本当に大丈夫で同修にも黙って自分で起き上がり、ポスティングを続けました。しかし家に帰ると身体の至るところが痛くて、寝る時も横になれず平臥しかできませんでした。でも普段通りに学法と煉功を続けていると、2、3日で奇跡が現れました。身体が痛くないどころか呼吸も前より随分楽になり、意外な収穫でした。修煉する前は心臓が悪く胸が詰まって少し早く歩いたり、階段や坂を登ったりすると、息が苦しくなりました。長年修煉して薬を飲む必要はなくなりましたが、顕著な改善はなく、良くなったり、悪くなったりしていました。現在、私は呼吸しても何の違和感もなく楽になり、常人の言葉で言えば、師父が転びの形で私にハードなバイパスをしてくださったか、あるいは塞がっていた血管を通してくださったのではないでしょうか。師父の慈悲によって2回転んだことで、生々世々のつけが解決されました。
二、耳に逆らう言葉
中国では昔から「忠言は耳に逆らう」という諺がありました。これは耳に逆らう話は大切にすべきで、充分大切にするに値する良いものだということです。私は修煉者なのに、なぜ耳に逆らう話に対して、あれこれ云々しているのでしょうか。これは自分が達している次元が、自分に対する法の要求と差があることを意味しています。
ある日、私と同修は外で人に法輪功の真相を伝えて三退を勧めていました。その時、何があったか忘れましたが、その同修(男性)に不意に「あなたは修煉者らしくありません。修煉しているようですが実はしていません」と言われました。私は当時これが何を意味しているか深く考えずに「そうではないでしょう。私は自分がずいぶん頑張っていると思いますよ」と笑いながら答えました。自分が精進しているとまでは言えなかったにしても、その場では、一笑に付して家に帰りました。家に戻って先の話を思い出し、考えれば考えるほど嫌な感じがしました。さらに「同修はなぜこのように私を思っているのか」と不思議に思い、心が動じました。そればかりでなく、あれやこれやの思いが絶え間なく浮かんできて、頭の中がひっくり返りました。
私は師父に従って大法を修煉してから20年も超える古い学習者なのに、なぜ未だに修煉者らしくないのでしょうか? 1999年7.20からの天地を覆い隠すかのような弾圧の中で、私は少しも動揺しませんでした。中国に住んでいる時、我が家は一番早く立ち上げた資料拠点で、4、5年の間ずっと続けて頑張ってきました。警官はパトカーで2回も我が家に来て、私を強制連行しようとしましたが、目的を果たせませんでした。海外に出てから真相を伝え、三退を勧めることを一日も欠かさずに行いました。私は地元の各名所や中国大使館に皆足跡を残しています。私は自分が辛い思いをさせられたと考え、胸いっぱいの苦しみを洗いざらい、ぶちまけようと思いました。
私は修煉者なので、このような話を聞いたのは偶然ではなく、何かわけのあることで、きっと自分自身に原因があるはずです。私は師父の『マンハッタン説法』の一段落を思い出しました。「神から見れば、修煉者がこの世において、正しいかそれとも間違っているのかはまったく重要ではなく、人心の執着を取り除くことこそ重要であり、修煉の中でどのように人心の執着を取り除くかが重要なのです。(拍手) いくら不当な仕打ちを受けても、平然として対処し、心が動じることなく、自分のために言い訳をせず、多くの場合、弁解する必要もありません。なぜなら、修煉の道のりにはいかなる偶然なこともなく、話をしている中であなたを刺激したもの、トラブルの原因である利害関係は師父が作ったものかもしれません。相手の話は非常に刺激的かもしれませんが、あなたの痛いところに触れたから、刺激的だと感じたのです。本当に不当な扱いを受けたかもしれませんが、その話は必ずしもその人が言ったのではなく、私が言ったのかもしれません。(皆笑って) そのとき、あなたがどのようにこれらのことに対処するのかを私は見ており、相手に口答えをしたら、実は私に口答えをしたことになります」[2]
私は目が醒めました。本当に目が醒めました。私は同修の言った話に何の異議もなく、着実に内に向かって探すべきです。いろいろな心を見つけました。苦労をするのが嫌な心、安逸心、顕示心、人を見下す心、さらに求める心さえありました。これらは日常生活にも現れました。例えば、外で同修と一緒にチラシを配って真相を伝える時、大体配り終わったら私は家に帰りましょうと呼びかけます。毎回ほとんど私が真っ先に呼びかけるか、彼らより先に帰ります。家庭生活の中でも現れます。以前は常に争ったりしましたが修煉してからこの悪い習慣はもうなくなりました。しかし自分が偉そうに不遜な態度で、風雨を呼ぶ勢いで、それは修煉者としての姿ではなく、女性の優しさと淑やかさがありませんでした。修煉の時間に対しては、自分も走って同修に追いつかなければいけないと思いますが、朝起きることができず、時計を見てまだまだと思って少しだけ寝ようと思うと2時間経過してしまいます。夫と将棋をさすと興味津々で気合いを入れると、すぐ1、2時間経ちます。後で時間を無駄にしたと後悔しますが、数日後には、また同じように遊びます。自分でも自分が修煉者らしくないと感じました。自分もはっきりと分かっていましたが、このように刺激しないと私には深刻な印象が残るはずもありません。
三、師父の慈悲
内に向かって探すことは言うのは簡単ですが、実行するのは難しいことです。足りない部分がいっぱい見つかりましたが、本質的な原因はわかったのでしょうか? 必ずそうとは言えません。原因がわかったとしてもどうやって実践して「做すところ至るは是れ修なり」[3]に達することができるでしょうか? とても難しいのです。師父は私の考えを知り尽くしていらっしゃるように、試練は引き続き影が形に添って現れました。
今年2月中旬、私は3人の同修と一緒に外で真相を伝えていました。途中で1人が「いつ帰りますか?」と聞いてきたので「私は気にしていません。あなた達が帰るとき私も帰ります」と答えました。すなわち、自分は先に帰らないという意味でした。しばらくすると同修が呼びました。「皆帰りましょう」と。不思議なことにちょうどその時お年寄りがやって来ました。服装が素朴な中国から来た人のようでした。彼女に資料を渡すと自分は一般庶民だと言い、受け取らず、三退もしないと言いました。次に臓器狩りのCDを渡すと、頭を横に振って脇目も振らずに私の前を通り過ぎていきましたが、すぐ戻って来て、私の側に立って「私は自分では見たくないのですが、どんなことか説明してくれませんか?」と言いました。
私はなぜ三退が必要か詳しく説明しました。「例を挙げて話しましょう。あなたは自分が乗っている船が漏れて沈んでいても分からないとしましょう。そこで私が危ないですよ、早く上陸しなさいと言います。今ここで三退を勧めるのも、同じように広く伝えているのです。船に乗っている人達よ! 早く沈む船から降りてくださいと。これは心の中からあなたを心配しているからです。もしあなたが中国共産党、またはその関連組織に加入していたら、ある日、中共が倒れたら、かれらは悪いことをやり尽くしたので、全国民がきっとその罪悪を清算することになるでしょう。その時、自分と関係ないと言えるでしょうか? 巻き込まれないという保証はどこにもないでしょう」
家に帰る途中で同修達は笑いながら話しました。「あなたも分かったでしょう。今日あなたが少し早く帰ったら、先のお年寄りは三退できなかったでしょう」。私は心の中で「これは師父が按排された試験です。師父が私に『棒喝』して下さったからこそ、私はここまで歩んで来られました。私は道を聞けば勤めて之を行う上士になりたいのです。私にはほんの一握りの時間しか残っていないので、正法修煉の最後に偉大で慈悲深い師父に良い答えを出したいと思います」と決心を強くしました。
ある日の朝、私は煉功が終わって階段を降りて、朝ごはんを食べるつもりでした。師父の写真の前を通る時、写真の前に立ち止まりました。合掌して、心の中で師父に話しました。「師父、この間私は色々と考えてみました。色々な方面でよくできていません。必ず改めて真修弟子になります。私は師父が満足されるまで自分がよく修煉するばかりでなく、我が家の2人の子供弟子もよく導きます」。不意に頭をあげると師父が私に笑っていらっしゃいました。そのような笑顔はかつて見たこともありませんでした。慈悲でした。慈悲でいっぱいでした。一陣の暖かい流れが全身を駆け抜けていきました。
師父は笑っておられました。一方、私は泣きました。自分もなぜ泣いているか分かりませんでした。感動だったか? 恥ずかしかったのか? あるいは広大なご恩を感じていたのか? もしかして、三つの原因が全部あったのかも知れません。自分自身でもはっきり言えません。ただ涙が止めどなく流れました。
注:
[1] 李洪志師父の著作: 『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』
[2] 李洪志師父の著作: 『マンハッタン説法』
[3] 李洪志師父の著作: 『洪吟』「着実に修める」