大法修煉と「葉公竜を好む」とを混同してはならない
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年7月24日】多くの人は「葉公竜を好む」という物語を知っていると思います。春秋時代の楚の貴族・葉公(しょうこう)は、器に描かせたり、部屋に彫り込んだりするほど竜を好んでいました。しかし、実際に竜を見た葉公は驚いて腰を抜かしてしまったという話です。葉公は作り物で偽物の竜しか好みませんでした。

  この物語を通して、私たちの修煉状態をよく見てください。一部の同修は口ではしっかり修煉すると言ってますが、実生活の中で真・善・忍に基づいて修煉していません。これは真の修煉者ではありません。このような人は「葉公竜を好む」と同じです。例えば、一部の同修はいつも忙しいと言っていますが、食事の後にテレビを見たり、お喋りをしたりします。しかも、中には月に一度も学法をしない人もいます。同修の皆さん、過ぎた時間は二度と返ってきません。限られた時間の中で、この世のすべてが創られています。この世のすべては、時間と引き換えることはできないのです。いつか私たちは、無駄にしてきた時間に対して後悔します。そのときになるともう遅いのです。この世には、後悔に効く薬などありません。どんなことがあっても、大法と同化することができれば、円満成就します。同化することができなければ、淘汰されていきます。

  私たちは得がたい貴重な『轉法輪』を手にしましたが、よく修めるかどうかは自分次第です。だれそれは根基がいいとか、真相を上手に伝えたとか、このような話をしないで下さい。それは同修たちが精進した結果なのです。よく内に向けてさがし、改善できるように精進しなければいけません。私たちは神の道を歩んでいる修煉者なのです。何かあれば直ぐに言い訳をして、同じことを繰り返します。これでは常人と変わりありません。

  私たちの師父は宇宙の創世主です。私たちのために説法されていますが、これはこの宇宙の衆生にとって大変光栄なことなのです。私たちが精進できなければ、本当に悔やんでも悔やみきれません。私たちがこの世に来た目的は、師を手伝い法を正す時期の大法弟子になることです! 私たちはしっかり学法することによって、衆生を救い済度することができます。衆生は救い済度を待ち望んでいるのに、私たちはテレビを見たりしています。これは「葉公竜を好む」となんら変わりがありません。

 私たちは衆生を救い済度する中で、自分を成し遂げています。衆生と大法、そして自分の大願のために、悔いのないように、より一層精進を重ねましょう!!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/6/19/349556.html)
 
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