私はこのように観念を変えました
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文/中国大陸の大法弟子

 【明慧日本2017年7月25日】修煉当初から、私は修煉するには、人間の思想を神の思想に変えなければならないことを認識しました。しかし、この認識はとても大雑把で、はっきりしていませんでした。なぜなら、当時の私には、神の思想とは何かがまったく分からなかったからです。20年間に及ぶ修煉の過程で、人間の観念を取り除きながら、私はまた多くの観念を形成しました。心に刻まれるほどの深い観念もあります。これらの観念が間違っているとはっきり分かっていながら、抑制または一掃すべきと思いながらも、どうしても取り払えませんでした。最近、観念を取り除くことについて少しの心得がありますので、書き出して同修の皆さんと交流したいと思います。法に符合しない部分があれば、同修のご指摘をお願いします。

 兄(修煉者)は兄嫁(常人)に対して多くのよくない観念を持っています。私は彼にこう言いました。「兄さん、私たちは兄嫁に対するよくない観念を変えるべきです」。兄は苦笑いをしました。

 私は「あなたはもしかすると、『彼女はそんなもんですから、どうやって変えますか?』と言うかもしれません。確かに、私も『私は彼女に対する観念を変えたのに、なぜ彼女はまったく変化を見せないの?』と考えたことがあります。最近、私は『轉法輪(巻二)』の「佛性」や「主意識を強くもつべし」[1]、そして『大法伝出二十五周年ニューヨーク法会での説法』などの師父の経文を繰り返し学びました。不思議なことに、ある日、大法の資料が置かれているべッド(各種の大法資料やその半製品などがあります)の上が散らかっているのを見て、片付ける最中に半折になっている1枚のA4サイズの白紙が目につきました。開けて見ると、それが『波紋を呼んだ副元神に関する文章について』という師父の経文でした。私は単ページの師父の経文を無造作に置いた覚えはありませんが、なぜこの経文がべッドの上にあるのでしょうか? この経文が発表されてまもなく、私は暗記しました。もう1年近く学んでいなかったので、不思議に思った私はすぐに座って読み始めました。『実は、自分自身にある正しくないすべての要素も含めて、すべて大法と大法弟子の正念と一致していないものはいずれも、旧勢力の関与によってもたらされたことです。そのため、私は正念を発することを大法弟子の三つの重要なこととして行なうよう指示したのです。正念が外に向けて、そして内にも向けて発せられているため、正しくない生命は誰一人、逃れることができません。私たちの正念を発することに対する態度と行動はそれぞれ異なっているだけです』[2] この部分を読んだとき、私は目の前がぱっと開いた気がして、多くの観念が瞬時に消えて、生命に対する慈悲と、良く修めて来なかった自分に対する後ろめたさしか感じませんでした! そして、偉大で慈悲なる師父がこの経文を私の目の前において下さったことが分かりました! 今の中国人は皆、神から転生してきたのです。天上にいる時、神はこのような良くない思想や行為を持つことってありえるでしょうか? それは旧勢力の按排ではありませんか? それなら、私たちはなぜそれを「逆手を取って」[3]、自分も良く修め、衆生も同時に救うことをしないのですか? 周囲のすべてのよくない行為、言論、物事を見聞きしたとき、すぐに内に向けて自分の問題を探して正し、発正念で一掃してから、さらに発正念をして相手のよくない一切の言動や思想を排除してあげます。そうすることで、その生命は同じ業を繰り返し造らないことによって救われます。師父は『内を修めて外を安定させる』[4]とおっしゃっているのではありませんか? それはまさに『自らを修め、威徳を築き上げる』という師父からの教えではありませんか?」

 兄は少し心打たれたように、「そうだね。以前、私は彼女のためだと思っていた。しかし、どうしても慈悲心を持てなかった。しかも、彼女の気性は悪くなる一方だった。やはり原因は、私は目に見えたものや、耳に聞こえたものの仮相に騙されて、彼女に対して頑固な観念を形成したからだ」と言いました。

 この認識をベースに、私はさらに認識を広めました。同修の病業の仮相や精進しない状態、家庭の魔難、互いの対立などなどに対して、私は何の意見も持たず、そのすべてを否定した上で正念で同修を加持し、すべての妨害や迫害を一掃することにしました。また、自身の正しくない状態、老化現象、子供や孫からの妨害、特に同修や夫に対する観念の出所に対して、はっきりとした認識を得ました。それはまさに旧勢力のきめ細かい按排で、それらが欲しい結果に達したいだけです。旧勢力はあなたの生々世々のすべてを按排してあなたにいわゆる気性、性格を形成させ、あなたの環境を按排してあなたに観念や経験を形成させることによってしっかりとあなたを手中に握りました。しかし、あなたは自分がそのように考え、自身がそのような行動を取っていると思ってしまいます。もし、私たちは法を真に認識できず、どれが自分の考え、どれが業力、どれが観念、どれが執着による唆(そそのか)しなのかをはっきり見分けることができなければ、とても危険です!  私が悟ったのは、法に符合して初めて真の自分自身に戻れます。他のいかなる理由、いかなる道理も先天の純真な自分のものではありません。ゆえに、真剣な学法と着実な修煉こそが、三つのことをしっかり行い、旧勢力の按排した道を歩まない保障になります。

 私のやり方は、四つの定時の発正念以外に、毎日、定期的に自分のすべての空間場における旧勢力が按排した一切の要素を排除し、全面的に旧勢力の按排を否定しました。最低30分、できれば1時間以上座って発正念を行った方が良いのです。初めはそれが一生懸命に妨害します。あなたはじっと座っていられず、全身に堪らない違和感を感じたり、発正念の時間が見つからなかったり、発正念を忘れたり、あるいは妄想にふけったり、頭がもうろうとしてすぐに横たわって寝たくなってしまいます。そのとき、主意識の知恵と根気が必要です。多く学法し、一日も欠かさずに堅持してようやく突破することができます。

 発正念だけでは不十分です。随時に自分の思想活動を注意深く観察し、法に符合しない考えを見つけたら、直ちにその根源を探し出して、それに対して発正念で一掃し、真に自分で自分を主宰するようにならなければなりません。

 また、衆生との関係も正しく捉えなければなりません。私たちともっとも親しく、もっとも近く、もっとも関係が良い(あるいは悪い)衆生であればあるほど、それは私たちの救い済度すべき対象です。そこには間違いなく情や観念があります。それらは先天的に純真な私たちには属しません。なぜなら、真の私たちには生命に対する良し悪し、親しいかどうかなどの観念がなく、一切の衆生を救いたい慈悲しかありません!

 観念が変わってから私の思想は簡単になり、体も楽になって、再び出来事の中に嵌(はま)ってあれこれと無用な考えをめぐらすことがなくなりました。いまだに頑迷に悟ろうとしない生命に対して、私は悲しみと哀れみを感じながら、彼らに向けて「これらの生命のすべての正しくない要素を排除し、救われますように!」と一念を発しました。

 しかし、一つの劇には異なる役者がいるように、私たちと対応する天体の衆生も違う次元、違う境地にいます。私たちは何に執着してもいけません。そこで、私は師父のおっしゃる「万事執着無ければ 脚下に路自ずから通ず」[5]という法理についてさらに深い認識を得ました。

 師父の慈悲なる済度や教化に感謝致します!

 注:
 [1]  李洪志師父の著作: 『轉法輪』
 [2]  李洪志師父の経文: 『波紋を呼んだ副元神に関する文章について』
 [3]  李洪志師父の著作: 『二〇〇三年元宵節での説法』
 [4]  李洪志師父の著作: 『精進要旨』「内を修めて外を安定させる」
 [5]  李洪志師父の詩: 『洪吟二』「阻む無し」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/7/19/351311.html)
 
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