文╱中国の大法弟子
【明慧日本2017年8月19日】私は1998年5月に法輪功を修煉し始めました。修煉前、体の至る所に病気があり、B型肝炎、胆嚢ポリープ、胆石、神経質性不眠症、胃食道逆流症、リューマチ、足の痛み、腰痛、便秘などがありました。中医学、西洋医学、民間療法など考えられる方法を全部試してみましたが、効果はありませんでした。私は毎日ウトウトして体がだるく家事もできず、家の貯金もほとんど私の治療費に費やされました。そのため、私は毎日気持ちがイライラして家庭内の雰囲気も暗く、夫もとても落ち込んでいました。
法輪功を修煉し、特に法輪功の主要な著作である『轉法輪』を拝読してから、自分の病気の根本的な原因は、自分の負けず嫌いなところや人に対して寛容でないところ、嫉妬心が強いなどの性格によるものだと分かりました。道理が分かった私は師父の「法を学びて法を得る 比べて学び比べて修す」[1]に基づいて、しっかり自分を修め、私(し)のための悪い考え方や悪い習慣を改め、何事も他人の為に考えるように改めました。
するといつの間にか、私の病気はすべて消えてなくなりました。夏、リューマチのためずっと厚着をしていた私は、久しぶりにスカートをはきました。家事も切り盛りして、今までの虚弱で病気がちな私は、まるで別人のように元気いっぱいになりました。家族も親戚も皆私の為に喜びました。師父は私を苦境から救い出してくださり、毎日とても楽しく暮らせるようになりました。
しかし、1999年7.20以降、中国共産党の元党首の江沢民は法輪功に対する弾圧を始めました。それによって、私達は集団で修煉する環境を失い、師父は無実の罪に陥れられ、良い人になるように教えている高尚な大法に泥を塗られました。このような理不尽なことに対して、私は自らの良識から、地元政府に自分が修煉する前と後に起きた身体変化を紹介する手紙を書き、政府に法輪功を正しく理解してほしいと願いました。しかし、いかなる返事もありませんでした。
そこで、1999年10月の中旬頃、私は北京に陳情に行きました。それ以降、わが家はいつも妨害されるようになり、娘がまだとても小さい頃、私は不当にも3年間の労働教養を科されました。
2011年12月31日、地元の警官は名簿に従って大法弟子を大規模に連行し、一時赤い恐怖が街全体を覆い尽くしました。私が丁度、家にいなかったため、警官は常人の夫と息子を派出所に連行し、脅迫し、恐喝をして、夫に私の行方を吐かせ、道案内をさせ、私を地方の親戚の家から地元派出所に連れ戻しました。そして、不当に懲役4年半の刑を下され、私は省の女子刑務所に送られられました。
刑務所の中で法輪功学習者は全員、いろいろな拷問を受けました。長時間立たされ、しゃがまされ、手のひら大の小さな小さな腰掛けにじっと座らされ、独房に入れられ、毎日大法を中傷する放送を聞かされ、大法弟子に真・善・忍の信仰を放棄させようと虐待されました。
2013年6月、私達は毎日少なくとも14、5時間の強制労働をさせられました。ノルマを達成出来なければ、仕事を部屋まで持ち帰って、徹夜で働かせられました。
学法と煉功が出来ないため、私は全身が浮腫み、顔が大きく腫れ、以前の病気が再び現れ、ご飯を食べられず、眠れず、一度、家族と面会した時、失神してしまいました。
家族と同修が協力して、何度も刑務所に「私を返してほしい」と求めましたが、刑務所はあれこれと恐喝し、言い逃れし、責任をなすりつけ、人をわざと困らせ、司法鑑定をしてくれませんでした。私も「刑務所は決して大法弟子の居場所ではない」と悟り、「生死を放下し、師父に助けて下さるように」とお願いしました。外の同修も情と自我を放下して、全体で協力しあい、基点を正し、迫害に関与した警官さえも救うようにと心を転換しました。
私が危篤状態に陥ると刑務所は責任を逃れるために、私を刑務所管理局センター病院に送って治療をさせました。しかし、検査した医者から「仮釈放の基準を満たしていない」と言われ、私は師父を固く信じる一心で、師父に助けて下さるようにと願い続けました。
警官は私に感覚と意識があるかどうかを試すため、わざと点滴を打つ時、受刑者に注射針で私の血管を刺させ、左手にも右手にも刺させました。その時、師父が私の神経を閉じられたように感じました。彼らにいくら刺されても、何も感じませんでした。この時の私の状態は、死に至る寸前でした。私は、全身に感覚がなく痙攣し、心拍数は260回/分、両目から黄色い膿が流れ出て、口の中から腐った匂いがする状態でした。警官らは「こいつはもうだめだ。目しか動かない、他のどこも感覚がない」と言いました。看護を担当している2人の受刑者はとても怖がり、毎日のように医者に「もう今晩がヤマですか」と聞きました。しかし、このような状態の中で、私はなんと四十数日も持ち続けました。刑務所は専門の医師に立ちあわせて診察をさせ、鑑定してもらいました。
私はいつ死んでもおかしくない状態でした。しかし、私の頭はとてもはっきりしており、心の中でずっと法を暗唱し、正念を発して、別の空間の邪悪を解体していました。師父も私に「無私無我の生命になるように」と啓発してくださいました。私は「警察官にこれ以上、大法弟子に対して犯罪行為をさせないように、彼らの家族や周りの人々を大法と対立する立場に立たせないでほしい、そのため、私は必ず生きてここから出なければならない、私は自分のために生きているわけではない」と悟りました。
心から他人の為に考えるようになると、状況は劇的に変化しました。刑務所は「私の家から医療費をもらえないだろう、すべての治療費は刑務所側が肩代わりすることになるだろう」と思い、その上、24時間警官を配備するのも面倒だし、さらに、本当に死亡した場合、その責任から逃れられないため、私を刑務所から追い出したいという気持ちに変わりました。医師でさえ、「危篤状態なのに病因が分からないし、結論を下すことが出来ない」と不思議に思いました。最後に、いろいろ相談した結果、医師達は「緊張性昏迷強硬症」の危篤宣告を出しました。
その結果、私は2年7ヵ月間早く、刑務所から出所し家に帰って来れました。
師父は私を黒い巣窟から救出してくださり、旧勢力の邪悪要素の私に対する迫害を解体して下さいました。すべては師父のおかげです。師父はすべての苦難を引き受けて下さいました。さもなければ、1人の修煉者がどうして飲まず食わずで点滴だけで、四十数日もまったく動かずにじっと寝っていられるでしょうか。あの状態は人間の強い意志だけでは、とても乗り越えられるものではありません。
夫は、死にそうな尿袋を下げている私をおんぶして、家まで運びました。刑務所の医者から「早く病院に送るように」と言われ、友達も「先におもゆを食べさせて、それからおかゆなどの流動食を少しずつ食べさせるように」とアドバイスしてくれました。しかし、私の頭はとてもはっきりしており、師父を固く信じていました。現れた病状は私を助ける為に作られた仮相に過ぎず、きっと大丈夫だと固く信じていました。修煉って本当に不思議なものです。家に帰ってしばらくすると私の手も足も感覚が戻り、動かせるようになりました。それから簡単に体を拭いてから、私はいきなり餃子を5個も食べることができました。私は病院に行かず、3日後に自力でベッドから下りて、歩けるようになりました。
帰ってから1週間後には、田舎の姉の家でお祝い行事があり私も参加しました。46歳なのに、20代しか見えない元気な私が現れると、皆は大変驚きました。私の親戚は100人もいました。我が家は大家族で、実家の兄弟姉妹だけでも12人います。彼らは皆法輪大法の奇跡を目の当たりにして、私が連行されたことによって生じた大法に対する怨みと誤解は、全部解消されました。
ある裁判所で働いている親戚はとても感心して、「法輪功だけは、このように人を刑務所から救出ができ、死にそうな人を生き返らせることができる」と言いました。なぜなら、中国共産党の司法関係者に賄賂などの手口を使わなければ、決して司法鑑定をして人を出所させないことを、彼は誰よりも一番よく知っているからです。
甥の婿はかつて「賄賂を一銭も使わないで、叔母が刑務所から出られるならば、叔母に5千元の洋服代を出すよ」と主人と賭けをしました。今の私を見て、彼は黙って何も言わなくなりました。村の幹部をやっている親戚は、死にかけた私が戻って来ただけではなく、病院にも行かず、法輪功の煉功だけでここまで回復できたのを見て、法輪大法に対する考え方が徹底的に変わりました。彼の周りの法輪功学習者が真相を伝える時に、彼も私のエピソードを付け加えて、大法の素晴らしさを他人に紹介しています。今まで、あれほど法輪功に反対していた彼が、今では大法を心から敬服するようになりました。
注:
[1] 李洪志師父の詩: 『洪吟』「着実に修める」