観念を転換して 正念で迫害を制止する
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 【明慧日本2017年8月20日】2014年、学法と実修において疎かになったため、私は公安局に強制連行され、不当に懲役3年の実刑判決を言い渡されました。

 刑務所の警官は犯人を唆(そそのか)して、私を罵る、殴るなどの暴力を振い、転向書を書かくように強いられました。また、隊長は毎日私に会いに来て転向させようとしました。当時の私は恐怖に陥り、その恐れる心は巨大な氷山のように私に圧しかかり、どんなんに取り除いても、恐れる心は消え去らず、どんなに努力をしても、恐怖から逃れることができませんでした。

 ある日、1人の囚人が私に熱湯をかけました。一筋の熱湯が私の首筋から注ぎ込まれました。その時私は囚人に殴られて、床に横たわった状態でしたが、あまりの熱さと激痛で身体は本能的に起き上がりました。しかし、私はすぐに「熱湯をかけられた痛みを感じる観念を取り除こう」と思い、この一念を生じるやいなや、痛みを感じなくなりました。しかし、私の皮膚は首筋から胸のあたりまで真黒く変色し、水膨れができ酷い火傷を負いました。その後、もう1人の囚人が私を殴るときに、背中にできていた水膨れの皮が剥がれ、そこから垂れ続けていた膿が服にべっとりと沁み込みました。それでも、私はちっとも痛くありませんでした。

 このことを通じて、私は真剣に考えることにしました。お湯をかけられて正念で観念を改め、魔難を取り除くことができたのなら、私を「転向」させようとするこの迫害に対しても、自分の観念を変えて、これ以上私に迫害を加えないように、この迫害を制止すべきだと認識しました。私は「刑務所は大法弟子を転向させる場所であり、転向しない大法弟子は迫害される」という常人の一面にあるこの歪んだ観念を見つけ出すことができました。この観念は本来の私のものではなく、旧勢力に無理やり押し付けられたものです。そして、私はこの歪んだ観念を発正念して取り除くことにしました。すると周りにいる囚人達は直ちに、私に暴力を振るうことをやめ、隊長も私に転向書を書くことを要求しなくなり、今までの環境は嵐のように過ぎ去り、一瞬にして変わりました。

 他にも観念を変えることで、たくさんの素晴らしいことが起きました。例えば、刑務所の囚人が参加しなければならない活動や、各種の会合があります。私はそれらの活動に参加することを拒否した時に、正念で「囚人に参加する義務があるので、私も参加しなければ罰や迫害が加えられる」の観念を取り除き、これらの常人的思惟を一掃しました。このようにして私は刑務所の活動には、一切出席しないままで済みました。

 ここまで書き、私は不当に連行された同修たちのことを思い浮かべました。それらの同修たちも、旧勢力に押し付けられたこのいわゆる「刑務所行きの魔難」の事を、自分の観念の転換で打ち破ることができないでしょうか? そして、真相を伝え、衆生を救い済度することにおいても、常に様々な不確かな観念を変えることにより、真相を伝え、衆生を救い済度することをもっとより効率よく、もっとより広範囲に行えるように務めることはできないでしょうか? 

 不当に拘禁されている間に、私は常にこのような正念を発しました。「すべての迫害やこれから起きようとする出来事は、世人が救われ、邪悪を取り除き、旧勢力の迫害をうち破る方向へ展開する」。この正念は、とてもよい効果を得ることができました。ここで二つの例を挙げたいと思います。

 不当に拘禁された初めの頃、隊長は私が水を使って体を清潔にすることを禁止しました。丁度真夏日でしたので、身体の匂いは日に日に酷くなっていくことが分かっていました。周囲にいた囚人たちも嫌悪感をむき出しにして、私の事を罵り続けました。このままでは大法弟子のイメージがマイナスになり、法を実証し、衆生を救い済度することの妨げになるのではないかと考え、私は「体を清潔にすることによって、法を実証し、世人を救い済度し、邪悪を取り除き、旧勢力の按排を打ち破ることに有利な方向へ向かう」という内容の正念を発しました。この一念を発すると、隊長は私に出した禁止令を破棄しました。

 二つ目の例は、執着心を直ちに取り除くことができなかったため、邪悪は私に転向書を書かせようと再び迫害を始めました。当時、季節はすでに冬季に入り、すべての人は防寒着を身に着けていました。隊長は私に防寒着を支給せず、私は寒さを凌(しの)ぐことに精一杯でした。ある新人の囚人が私に声をかけてくれました。「どうして防寒着が支給されてないのですか? それならなぜ隊長に請求しないのですか?」。この話が私を監視していた囚人の耳に入り、隊長に告げ口をしました。刑務所の規定に従えば、隊長はあの新人に罰を与えることになるのですが、私もその話を聴き付け、直ちに正念を発しました。「この出来事は、邪悪を取り除き、旧勢力の按排を打ち破り、法を実証し、世人を救い済度することに有利な方向へ転換する」。その結果、隊長は私に防寒着を支給してくれました。

 まだまだたくさんの例がありましたが、ここでは省略します。大きな出来事においても、小さな出来事においても、私はこのように正念を発し続けて、悪いことから良いことへと展開し、良いことはさらに良い方向へ向かい、実に効果が良かったのです。ここで、特に注意を払っていただきたいのは、上記に述べた「観念を変えれば奇跡が現れる」事例は、執着や、漏れのある時には効果が現れません。強い執着や、恐れる心がない状況下で、観念を変えることで、迫害を制止することができるということです。

 以上は、個人の僅かな認識ですが、適切でないところがあれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/8/10/352327.html)
 
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