真に人間の殻から抜け出す
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文/河南省の大法弟子

 【明慧日本2017年8月27日】私はもともと仏教の修行者でした。河南省の白馬寺で菩薩戒を受け、座禅する度に阿弥陀仏、観音菩薩、大勢至菩薩が白い光に乗って目の前に現れてきました。当時、大学で教授をしている二番目の息子の自宅で孫の面倒を見ていて母子の情を放下できず、ある日息子に肉料理を作りました。そのため次元が落ちてしまい、それからの座禅は阿弥陀仏、観音菩薩、大勢至菩薩は二度と現れてきませんでした。それから体に不調が現れ始め、たくさんの病魔が一気に体を襲い、私は悲しくて毎日泣いていました。「もうおしまいだ、修行の道はこれでおしまいだ!」と正果を得るために5歳から精進料理を食べていても、こんな有様になってしまうなんてと、内心で思いながら泣き続けました。

 泣いた夜に夢を見ました。北京にある大きな歩道橋の上に10歳くらいの男の子が立って手を振りながら、私を上に引っ張ろうとしていました。「こんな小さな体で私を引っ張れるわけがない」と内心思ったところで、夢から醒めました。起きた後、私を上へ引っ張ってくれる夢なので間違いなく吉夢だと内心では信じていました。

 翌日の午後、孫を連れて大学キャンパスの裏にある園庭まで遊びに出かけました。そこで2人の年配女性が双盤して座禅しているところをみかけ、不思議な力に引き込まれました。しかし孫がそばにいたのですぐその場を離れなければなりませんでした。翌日又同じ場所に出かけましたが、同様に孫を連れて行ったので、長く留まることができませんでした。更に3日目再び同じ場所を訪れ、テープレコーダーから「佛家功……天目を開く」が聞こえてきました。帰宅後、息子に「あなたが勤めている大学のキャンパスで佛家功を教えているようね。私も仏教を修行しているので、話を聞きたいな」と相談してみました。そうしたら息子は「それなら明日は、子供を置いて早目に出かけたらいいよ」と言ってくれました。

 その翌日、いつもより早く着きました。皆さんの煉功をみて私も後ろでまねをしました。責任者の指導員から「ようこそ、いらっしゃい」と言葉をかけられ、その場ですぐ師父のご教化だと分かりました。忘れもしない1996年6月2日の出来事でした。法を得た日でした。

 法を得た翌日、師父は私の体を浄化してくださいました。一晩中高熱が出ましたが、しかし翌日になって自然に治癒し、軽やかな体は無病の健康体のそのものでした。1996年8月2日に、師父の説法ビデオで足を地面に踏みつけて病気治療法を教えるシーンを観て初めて師父にお目にかかりました。その方は夢の中で私を引っ張ろうとしていた10歳の男の子でした。その瞬間、涙が止まりませんでした。

 人心を取り除く

 2013年3月のある夜、私は再び夢を見ました。夢の中で「人間の殻から抜け出す」と聞こえてすぐ目の前に1メートル以上の高さの鉄棒が現れ、飛び越えるようにと続けて聞こえました。私は本当に飛び越えました。目が醒めて夢だと気づき、それからまもなく私の心性に向けて魔難がやってきました。

 普段は真にうちに向けて探していないせいで、同修との間で摩擦が起きている時の我慢には無理がありました。更に真剣に師父の説法、「忍とは心性を高める鍵です。怒り恨むこと、不平、涙をたたえて忍ぶことは常人が世間体に執着する忍です。まったく怒り恨むことがなく、不平に思わないことこそ修煉者の忍なのです」[1]を学びました。

 法を学ぶにつれて自らの忍耐力、苦を嘗める力、辛抱する力が強くなっていることが分かりました。以前、常人の視点に立って「苦を嘗める」ことは良くないことだと思っていましたが、今は「苦を嘗める」をもって楽と見なすことができるようになり、自らの観念が変わりました。「苦」「疲」「困」「楽」と「辛」などの全ては人間の感受で人間の次元におけるものに過ぎません。人間の殻から破り出すのに、人間を構成する物質、要素による縛りから脱出しなければなりません。そうすると低次元の要素に制約されなくなります。真にそれらの感受を感じられない、重視しないことができればその次元を超越したといえるでしょう。

 私達の正念が絶えずに強くなるにつれ、それらの感受を克服又は超越できるようになれば、人間の殻から抜け出せるようになります。時間があっという間に過ぎてしまう中で、毎日の学法は一講以上と決めています。数年前から『轉法輪』を暗記していますので、九講を学べる日もあります。発正念は四つの定刻はもちろん夜12時の発正念は深夜2時まで続けています。3時30分に起きて歯磨き、洗顔の後に朝の煉功を始め、午前中は学法で午後は大法の真相を伝えて衆生を救い済度しています。

 2015年12月28日午前10時、使っていたMP5の液晶に三千年に一度咲く優曇華が顕れました。音楽が流れて「自在」の二文字が現れてきました。

 2016年2月12日(旧暦正月5日)の朝の煉功、第五式の静功は1時間入定しました。とても心地よくいつのまにか体が宙に浮いていることに気づきました。自らの修煉状態は師父の要求にはまだ程遠いにもかかわらず、師父は私を激励してくださっていることに、心から感謝しています。

 学法を通じて、心性を向上させる修煉環境を、師父が私に按排してくださったことを深く理解できました。師父の説法に、「したがって、今後煉功する際、さまざまな苦難に遭うでしょう。それらの苦難がなければ、修煉がどうやってできるでしょうか? 誰もが和気藹々としており、利益についての衝突や心が乱されることもなく、ただそこに坐っているだけで、心性が高まることになるでしょうか? そんなことはまずありえません。人間は実践の中で本当に自分を錬磨しないかぎり、向上することはありえません」[2]とありました。現在は修煉の終焉を迎える最後の時期になり、残された時間は僅かになりました。これからは真に精進して、神になる道において奮起して追いつきます。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作『精進要旨』「忍とは何か」
 [2] 李洪志師父の著作『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/8/6/352139.html)
 
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