人間としての「気質、性格、特性」を放下する
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2019年12月4日】数年前から、師父は何度も私に次のような場面を見せてくださいました。私は両手で鉄棒を掴んでいました。その鉄棒はとても高い場所にあって、庭の塀の上の梯子の上に、あるいは高いビルの屋上に立っており、下りようとしてもなかなか下りられず、とても焦っていました。その後、師父はまた「私自身が高い山頂から飛び下りて、いくらどんどん飛び下りても、体がとても軽くて少しも怖くない」と言う場面を見せてくださいました。1年後、私はやっとその意味が分かりました。師父は私に「自我を放下しなさい、とことんまで放下しなさい」と教えてくださっていたのです。

 あれ以来、「自我とは何か? 自我はどこから来るものなのか? 自我はどのように現れ、どうしたらそれを放下できるのか?」と何度も考え、この問題でずっと私は困惑してきました。

 今年の上半期に『法輪功』を学んでいる時、「師父が法の中で説かれた人間としての気質、性格、特性こそ、自我の現れである。それは二つの部分からなっており、一つは親から遺伝した先天的なもので、もう一つは後天的なもので、常人の中で形成したものである」と私は悟りました。

 旧宇宙の特性は「私の為」のもので、そのため、人間としての気質、性格、特性も皆「私の為」のものとなります。常人の中である人、あるいはある事が自分の気質、性格、特性と合致する場合、私達は気持ちよく感じ、嬉しくなり、満足して、それによって私達は名、利、情に執着してしまいます。反対に、それらのものが一致しておらず、それに反している場合、それらは互いに排除し、衝突し、それによって魔性を誘発され、焦りや怨み、闘争心、嫉妬心等の人心が生じます。

 修煉者と常人の間、同修と同修の間、あるいはある衆生を救い済度するプロジェクトの中で、トラブルを起こした場合、それは私達が人間としての気質、性格、特性を放下していないからです。それらはトラブルを引き起こす直接の原因となります。

 自我を放下することはつまり、人間としての気質、性格、特性を放下することです。しかし、どうすればそれを放下できるのでしょうか?

 師父は「この高エネルギー物質は霊的なもので、力を持っています。量が多くなるにつれて、密度も高くなり、身体のすべての細胞に満ちると、人間の肉体の細胞、この最も無能な細胞を抑えることができます。いったん抑えれば、新陳代謝ができなくなり、最後は完全に肉体の細胞に取って代わります」[1] と説かれました。

 私達が心を落ち着かせて法を学ぶことが出来た時、大法の法理は絶えず自分の考えを充実させることが出来ます。そのため、人間としての気質、性格、特性は次第に弱まり、働かなくなり、そして、それが制御され、抑えられ、次第に佛性は魔性に取って代わり、最後に完全に取って代わるようになる、と私は理解しました。

 その過程は佛性が魔性に取って代わる過程であり、大法弟子が法を正す師に手伝い、衆生を救い済度する過程であり、大法弟子の全体が力を合わせて、ますます強くなる過程でもあるのです。

 適切ではない所があれば、同修達に慈悲なるご叱正をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/10/27/395092.html)
 
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