文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年9月5日】最近、私は毎日動態ネットの「自由門」を開いて、香港の情勢に関心を寄せていました。何か変化は起きていないだろうか、最近の情勢は香港市民や民主的な有利な方向に傾く傾向があるのではないだろうか、と注目していました。動態ネットから、中国共産党政府は香港の市民に対して、無数の欺瞞な手段を取り、暴力、恫喝を行なった後、市民を弾圧する政策を実施する方針だと知り、私は酷く失望に陥ると同時に、香港市民の安否を非常に心配しました。
昨日、自分の内心に万やむを得ない気持ちや、消沈した辛い気持ちを感じました。正念を発しても、モヤモヤしてすっきりしませんでした。私は内に向けて探さなければと考えました。内に向けて探してみると、今回の香港の出来事において、自分がすでに変化していく常人の社会情勢に振り回されていたことに気付きました。
私は自分の内心で、香港市民の抵抗が中国が民主化へ転換する契機になってほしい、と期待していました。その上、中国共産党当局への期待が隠されていました。しかし、これらの人心の背面にある本当の執着は、法を正す時間に対する執着なのです。今年、法を正すことが終了されることに対する執着なのです。自分は一連の重大な出来事を通して、法を正すことの終焉を迎えられる何かの糸口を見つけ出すことを望んでいました。
しかし、人心の期待と望みがもたらしたのは、失望だけでした。自分が中国共産党の当局者へ失望した原因は、ずっと内心でそれらに対する幻想を放下できなかったからだと思います。今まで常人に対する依頼心を放下できていませんでした。中国共産党政府の当局者に対しても、国際的正義な勢力に対しても、放下できていませんでした。社会情勢は自分の期待通りにならなければ、自分の人心は行き詰まってしまって、意気消沈しました。
実は自分がこの件に対して大いに関心を持つこと自体が執着なのです。全ての大きな出来事はみな神の按排であり、神の意向で按排されています。これらの出来事はきっと中国共産党の醜聞、悪事として知らされます。中国共産党政府はどんなに狂気じみた悪事を働いても、それは一時的なものであって、ただ世界中がその邪悪さ、残虐さ、市民を欺く罪悪な実体を暴くために「実演」させて、もっと大勢の人々を目覚めさせ、救い済度されるためなのです。大法弟子である私達は全く心配する必要はありません。
大法弟子として、私達の背後の要素とエネルギーが非常に大きいのです。もしも、私達が多くの人心を用いてこのことを扱えば、自分達は迷い込み、方向を見失うだけではなく、神の按排を妨げ、旧勢力に妨害する口実を作り、衆生を救い済度することに不利益をもたらしてしまいます。
私はこれらの理をはっきりと理解できたので、正念で依頼心などの人心を取り除くことにしました。また、マイナス思考などの考えも取り除くと、辛く感じていた物質が消えたことに気づき、すぐに法を暗唱しました。すると内心に和やかな気持ちが満ちてきて、身体が強大なエネルギーに包まれました。修煉の概念が強烈かつ明確になり、世間のあらゆる情勢は私とかけ離れていき、私と一切関わりが無くなりました。中国共産党はとてもちっぽけで醜く見え、邪党から離れない人々をとても不憫に思いました。しかし、全ての生命は善と悪のどちらかの選択を迫られ、誰が何を選択するかはその人自身の選択であり、誰が自分をどの位置に位置づけするのかも、大法がその人の行ないに基づき、法を正す基準をもって判断を下したものです。私達はこれ以上、執着してはいけません。早くこれらの執着を放下しなければならない時なのです。
師父が按排された三つのことをしっかり実行して、ネットで書かれた社会の情勢を少し把握できていればそれでいいのです、心に留めずに、その中にも陥りません。大法弟子として、明慧ネットを多く閲覧することが望ましいことではありませんか!
目下、私達にとって最も大事なことは、如何なる常人社会の情勢にも動かされることなく、清浄心を保って、「明慧ネット第16回中国大陸大法弟子修煉体験交流会」の原稿を書き終えることです。それはすなわち、師父の法を正す進展の按排に協力して歩調を合わせることでもあり、邪悪を解体させ、衆生を救い済度し、円満成就に向かって進むことなのです!!