法を正すことの時間に対する執着は旧勢力の要素である
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年9月28日】師父は2005年の『最後になればなるほど、精進すべき』の中で、一部の学習者の法を正すことの時間に対する執着を指摘されました。この執着によって生じた結果について、たくさんの同修が交流しましたので、ここでは省略します。

 師父は次のように説かれました。「こういう情況にいる多くの弟子は実は最初、自分にある軽い執着または観念の妨害に気づくことができず、邪悪に隙に付け入られ、妨害の要素を強められたから、このようになったのです」 [1]

 実は、法を正すことの時間に対する執着は人心であると思います。大法弟子は常人社会の中で修煉し、その環境の中で大法の真相を伝えているために、表面的な一部の人心が残されることもあります。人心には圧力を受けたくない本能があり、それも人間の正常な心理的反応だと言えます。

 しかし、旧勢力は黒い手と卑しい鬼、それにさらに高い次元のものを按排して、大法弟子がまだ意識していない時に、このような執着を拡大して強めます。旧勢力による妨害がなければ、大法弟子は学法する中で心性を高め、自身の人心を比較的に簡単に取り除くことができます。

 旧勢力に強いられた執着により、いつも広範囲で大法弟子の人心に動揺が生じ、法を正すの情勢が何度も良い流れから悪い方向へ逆転してしまう原因かもしれません。実は、旧勢力が大法弟子の人心を拡大して強めさせ、それを個人から広範囲にまで広げ、逆に「大法弟子に執着がある」という口実を作って、人類社会の情勢を悪い方向へ変えさせ、師父を手助けして衆生を済度する大法弟子を妨害し、あるいは法を正すことを破壊しようとしているのです。

 このような状況に直面した大法弟子は、発正念を強めるべきです。色欲や嫉妬心などの執着心を取り除くと同様に、法を正すことの時間に対する執着心を無くします。まずは、正念と大法弟子の責任感で自分を主導させて、人心と安逸を求める観念を変えます。同時に旧勢力が邪悪なものを利用して、大法弟子に無理に押し付けた悪い物質を排除しなければなりません。

 「法を正すことの時間に対する執着心」、「終了を求める心」、その大半は私達人間が存在している空間、つまり分子でできた空間の物質ではなく、多くは旧勢力がミクロ的な物質を通して、無理に押し付けたものでもあります。ですから、単純にこの理を悟っただけで済むことではなく、正念をもって取り除くべきです。もし、旧勢力が空間を分けて、回数を増やして強引に押し付けたとすれば、われわれも回数を増やして、正念をもってそれを取り除く必要があると思います。正念ではなくただの理解で、それらの執着心をなくそうとすると、「法を正すことを終了させたいという執着心があってはならない」とはっきり分かっていても、知らず知らずのうちに常人社会の情勢が気になり、希望と目線を常人に託(かこつ)ける状態になりかねません。分子の空間にある執着が取り除かれて、自分にはそのような執着心はないと思っていても、さらに深い空間では、邪悪が働いています。

 大法弟子は正念をもって、このような旧勢力による妨害や強いられた執着心をなくすことこそ、衆生に対する大法弟子の責任と自分の約束が明白になり、同時に師父が語られた「法を実証し衆生を救い済度することを妨害する観念」 [1] を取り除くことができます。

 注:
 [1]李洪志師父の著作:『精進要旨三』「最後になればなるほど、精進すべき」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/9/23/393673.html)
 
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