文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年7月22日】私たち夫婦は共に法輪大法を修煉しています。法を実証するうえで私たちはうまく協力していますが、生活の中のつまらないことでよく口けんかをし、時には、小さなことでも長く対立してしまいます。妻に注意されると、私はいつも「あんたはどうしてこんな態度をとるのかなあ。これぽっちのことでも怒るのか? 俺は相当直して、よくなっただろう? どうして以前よりよくなっているところをみないのか?」と言い返します。しかし、時には、黙って言わない場合もありますが、自分が間違っているとは決して認めず、心の中では納得していませんでした。
落ち着いて考えると、自分でも確かに何か変だと感じました。これは人に指摘されたくないのではありませんか。それを取り除きたいと思いましたが、しばらく経つと、また同じ過ちを繰り返してしまい、この人心をどうして放下できないのだろうかと悩みました。
師父の説法を何度も真剣に学び、「自分は修煉して以来、本当に無条件に内に向けて探したことがなかった」とやっと気がつきました。トラブルが起きると、いつも習慣的に誰かを怨み、そのために人と争い、自分を真の修煉者とみなさず、私の心はまだ常人のままでした。
数年前まで、私はある会社で長く幹部として勤め、人を監督する立場にいました。そのため、人からの指摘や非難を受けることが少なく、その上、党文化の影響で、いつの間にかとても良くない人心が生まれました。例えば、人に指摘されると受け入れられず、メンツを気にし、人に言われたくない心が沸き出てきました。仕事の中で、人と競い合うことが多いため、闘争心や嫉妬心も強く、他の人が良ければ、自分は納得できず、他の人の問題点ばかり探していました。そのため、妻から指摘されても、私は心の中で「お前にも足りないところがあるのではないか? どうして俺の問題しかみないのか?」と思い、この考えを捨てませんでした。
中国共産党の体制下では、どこも仕事の割に人手が多すぎて、人員過剰になっています。その影響を受け、私も自分を厳しく律することができず、気の向くままにソファーに横たわって仮眠したり、インターネットにアクセスしてニュースを見て、多くの貴重な時間を無駄にしました。
修煉者として、師父が説かれた、「トラブルに遭うと、責任の所在に関係なく、まず自分を見るべきです」[1]に基づいて行うべきだと思いました。そこで無条件に内に向けて探した後、今まで妻が私に度重なる注意をしたことに対する不満は、急に跡形もなく消えてしまいました。妻は本当に私のために言っている、私に早く高まってほしいと願っていると感じました。
以上は師父の『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』を学んで、内に向けて探した後のわずかな会得です。長期にわたり家庭のトラブルに陥っている同修の皆さんにも参考にしていただきたいと思います。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』