正法修煉はどう修めるべきか
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文/中国の大法弟子 深遠

 【明慧日本2019年4月5日】正法修煉はすでに20年経ちましたが、「正法修煉はどのように修めるべきか」という事をまだ問うべきです。多くの同修は、正法修煉はすでに20年も経つのに、なぜ未だにこの事を聞くのか? と不思議に思われるかも知れません。そして、あなたはきっと「師父から教えられた三つのことを良くすればいいでしょう」と答えるかもしれません。

 確かに、師父のおっしゃった三つのことを良く行うのは当然なことです。しかし、私達は考えたことがあるでしょうか? 師父が元々按排された正法の期間は10年であるのに、なぜ20年経っても未だに終わらず邪悪がずっと存在し、迫害がまだ続いているのでしょうか? 多くの衆生がまだ救われていないのは、なぜでしょうか? 私にまだ多くの「人心」や「執着」が残っているのはなぜでしょうか? それは邪悪がとても強いからだと思う人がいるかもしれませんが、実は最も根本的な原因は、邪悪がどれほど強いかに関わらず、大法の前では何物でもないのです! 本当の原因は、私達が未だに法理が分かっておらず、本当の正法修煉とは何であるかが分からず、正法修煉の心性をどう修めるかが分かっていないからです。

 同修と『道法』を学び、なぜ長期間魔難に陥って、どうしようもない消極的な状態に陥っている人がいるのかを共に深く交流した時、私達が本当の意味で法が分かっていないことが原因であることを見つけました。正に師父が『道法』の経文の中で一番目に説かれたことです。「長きにわたって大法の中にいる衆生、特に弟子には、心性を向上させることにおいてずっと法に対して異なる次元での誤解があります」[1]  この誤解によって、私達は次のような状態になったのです。「魔難がやってくるとき、本性の一面から認識することができず、完全に人間の一面から理解しているため、魔はこれを利用して尽きることのない妨害と破壊を行ない、学習者は長期にわたり魔難に陥っています」[1]  と師父は明確に私達に説かれました。さらに「本当のところ、これは人間の一面の法に対する認識不足から起こったことで、人為的に皆さんの神の一面を抑制し、つまり皆さんが修めてできあがったその部分を抑制し、法を正すのを阻んでいるのです」[1] とも説かれました。

 心性を向上させることについての法に対する誤解とは、どのようなことでしょうか? 私達の長期に渡る魔難、そして本性の一面が、法を正すことをどのように妨げているのでしょうか? 私達の魔難に対する理解と態度を見てみましょう。個人修煉の時期、他人が自分に良くないことをしたら、「人は、以前に悪事を働いたために生じた業力のせいで病気になったり、魔難に遭ったりしています。苦しみを味わうことはほかでもない業を返すこと」[2]  で、それは自分に徳をくれることで、自分の業力を消して業力を転化させ、心性が高まり功を伸ばすことである等々と思っています。それでは私達はどうすべきかというと、やはり忍ぶべきなのです。しかし、旧勢力が操る邪悪の迫害に直面しても、私達がこのように対処してしまえば、それは法を正す時期に、魔難が多く大きいほど良いということになりはしませんか? 修煉の初期に多くの人が「労働教養所、刑務所こそ最も良い修煉場である」と言ったのではありませんか? これが正に、心性を向上させることについての法に対する誤解です。

 正法修煉の時期に魔難がやって来た時、私達は法に基づいて法を守り、法を実証し、邪悪の迫害を制止するべきです。しかし旧勢力は神だと思い、それらの大法弟子に対する按排を認め、それらが迫害するのは私達に漏れがあるからだと思い、それで迫害することに理があるように思いました。それらの妨害と迫害を認める中で自分の不足を探し、私を捕まえるのは良く修めさせてくれるためであるとすら思いました。もう一つは、迫害を人間の角度から見てしまうことです。国全体が迫害をしているし、それらはとても強大で、捕まえようとし、殴打し、私もそれらに勝てないし、仕方ないでしょう、と思っているのです。甚だしきは私達は「真・善・忍」を修めているからと言って、邪悪の問いただしに何でも答え、言うべきものから言ってはいけないものまで、全部言ってしまいます。邪悪がどのように迫害しても、反対も排斥もせず受け入れ、耐え抜き、そうしなければ「真・善・忍」ではないというのです。このような認識で、私達は魔難から抜け出そうと思っているのでしょうか? どのように魔難から抜け出すことができますか? 法を正すことができますか? 邪悪の言いなりのまま迫害され、扱われるのみです。

 一部の同修は、自分が良く修めて漏れがなければ、邪悪は自分を迫害しないと思っています。私達はそれらの基準に達するために、それらに認められるために自分を良く修めているのですか? そうすれば旧勢力は私達を迫害しなくなるのでしょうか? 本当にそうですか? それらは師父ですか? それらが法を正しているのですか? そうではありません。旧勢力は法によって正され、淘汰されるに過ぎません! 師父ははっきり説かれました。「本当のところ、これは人間の一面の法に対する認識不足から起こったことで、人為的に皆さんの神の一面を抑制し、つまり皆さんが修めてできあがったその部分を抑制し、法を正すのを阻んでいるのです。修めてまだできあがっていない一面が、どうして主思想を抑制し、すでに法を得た一面を抑制することができるものでしょうか? 人為的に魔を助長し、それが法の隙につけ入っているのです」[1]

 私達はなぜ次のように思わないのでしょうか? 私は李洪志師父の弟子で、私が良く修めていても、漏れがあっても、師父の教えに従い、大法の中で向上します。それらの邪悪な旧勢力と何の関係がありますか? 私は師父から認められることを必要とし、それらの邪悪に認められる必要はありません! 大法を迫害する全ての邪悪は全て法によって正される対象であり、法によって残されるか淘汰されるかだけで、大法と大法弟子に出来るかどうかの試練を与える資格なんてあるでしょうか?! 「天体、宇宙、生命、万事万物が宇宙大法によって切り開かれたため」[3]  小さな小さな星の上の一つの国の邪党(中国共産党)と邪悪は何者でしょうか? 法がそれらを淘汰しようとしたら、それはあっという間に灰になるのではありませんか?! 人は皆法のために来ており、衆生は皆救いを待っています。大法に同化し、衆生を救い済度することこそ、生命として最も行うべきことです!!

 師父が私達に教えられた、旧勢力が大法弟子を迫害する口実と旧宇宙の理は、私達が如何に旧勢力の参与を徹底的に取り除き、自分を正すのかを教えてくださったのだと理解しています。しかしある同修は、旧勢力が私達の修煉を按排できた以上、それらを「二番目の師父」のように思い、心でそれらの按排に対して仕方がない、受け取るしかないと思う状態になってしまいました。

 師父は次のように説かれました。「宇宙はどのように生じたのでしょうか? 大法の覚者の一念で生じたのです。(拍手) 異なる次元の大覚者の一念は異なる次元の宇宙を形成しました。その一念で宇宙が生じた後、中の生命はこのように私を形成するのではなく、あのようにして欲しいと言ったとしましょう。その通りになりますか? なりません。これらの生命は彼を一念で形成した神にとって、取るに足らない存在です」[4] と、師父は明確に説かれました。「つまり、旧勢力が以前私たちに加えた按排や、それらが何をやったにしても、私たちはそれを認めてはいけません。なぜならば、それらも救い済度される対象だからです。ただ、それ自身は淘汰を選んだだけです。救い済度される者はなぜ、自分の救い済度される方法を選択することができるのでしょうか? 例えば、水に落ちた人のことですが、周りの人が彼を助けようとしていますが、彼は直接手で私を救ってはならず、私の好みの船で私を救うべきであると言っています。これは許されないことです」[4]

 旧勢力は絶対に法を正す中の一員ではありません。大法を破壊し、衆生を滅ぼす旧勢力は法を正す中で取り除くべき存在です。ですから、それらの邪悪が悪人を操って大法と私達を迫害する時、人を操る邪悪を断固として徹底的に取り除き、操られている人に対して真相を伝え、救い済度すると同時に、その犯罪を制止すべきなのです。聞く耳をもたなくても、怖がったり諦めたりせず、大法が全ての生命の位置を定めており、師父の法身と護法神もずっと私達を見守って下さり、邪悪の思うままにはならないことを分かっているべきです。師父も私達に神通を与えてくださったので、もし私達が人間の一面から分かり、法理がはっきりして正念が強ければ、即ち覚者です。

 師父は私達に次のように説かれました。「弟子として、魔難がやってくるときに、本当に平然として動ぜず、または異なる次元のあなたに対する異なった要求に符合するよう心を放下することができれば、充分に関を乗り越えます」[1]  しかし、私達の心性と行いに問題がないときでも、なぜ魔難は続いてきりがないでしょうか? 師父は次のように説かれました。「きっと邪悪な魔が皆さんの放任している隙につけ入っているに違いありません」[1] すなわち、私達が邪悪の破壊を放任したからです! 言いかえれば私達が邪悪の迫害を許したからです! これが本当の原因です!

 なぜ20年経ったのに法を正すことが未だ終わらず、邪悪もずっと存在しているのでしょうか? 迫害がいまだに発生し、ずっと停止されないのはなぜでしょうか? なぜ多くの衆生が救われておらず、私達の多くの人心、執着が取り除かれていないのでしょうか? 根本的な原因は私達がそれらの発生、存在を許しているからです! これが神になった部分が抑制され、本性の一面で法を正すことを阻んでいる原因です。

 私達の人間としての一面は三蔵法師のようで、私達の本性の一面は孫悟空のようです。私達の人間としての一面が法に対して誤解が生じたとき、悪いことを良いことと勘違いし、まるで三蔵法師が妖怪を良い人と見なしたように、悟空が妖怪を退治することを阻みます! 私達は魔難の中で法理を持って自分を指導し、自分の問題を探し、心性を高めるべきですが、魔難を受け入れてはいけません。本当に心性を向上させるのは、如何に苦を舐めたか、如何に難を受けたのかではなく、法に符合しないそれらの良くない思想物質を取り除き、法理を悟り、法の中で昇華していくことです。法を正す時期に人を救うことはこの上なく大きなことで、決して魔難が私達を向上させることはなく、苦を舐め難を受ける修煉のやり方は過去の小道の方法です。魔難が大きすぎると修煉者は墜ちて修煉を放棄し、ひいては逆の方向に行ってしまう可能性があります! ですから絶対に迫害の存在を放任し、許してはいけません。法を正す時期は特にそうです。このことで多くの同修はプラスの体得があります。

 そこで法を正す修煉においてまず第一歩として、私達の心に次のような念があるべきです。良くない考えの存在を許さず、法を破壊する邪悪の存在、迫害の存在を許さない。自分を正し、人を正し、衆生を正し、全てを正す! 正しくない考えと物事が現れたりしたら、それを正すか取り除く! 大法と衆生を迫害する邪悪はなおさら徹底的に消滅し、取り除くべきである! この一念のもとで三つのことをしてこそ本当の法を正す修煉になるのです。そうでなければ、もし私達が邪悪と迫害の存在を放任し許していれば、どのように邪悪を解体し、多くの衆生を救うことが出来るのでしょうか?

 私達が発正念をする時、初めの5分間は、自分の体の中にある良くない物を取り除いて自分を正し、その後は、外在する全ての邪悪を取り除き正します。徹底的に邪悪を取り除き、迫害を断固として制止し、広く真相を伝え、正しくない全てを正し、多くの衆生を救い済度する、これこそが本当に法を正す修煉です!!

 以上は個人の認識です。表現が適切でない部分があれば、同修からのご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「道法」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「論語」
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/3/4/383445.html)
 
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