法を実証することが私たちの根本目的である
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年3月9日】師父の説法から皆さんも分かるように、大法弟子が生きる根本的な目的は法を実証することです。具体的に言えば、他でもなく三つのことをしっかり行ない、法を正す師に手伝い、衆生を救うことです。しかし、いざ具体的なことに出遭うと、時にはこれらのことを思い出せなくなります。具体的な表れとしては、旧勢力の迫害に抵抗することを根本的な目的としてしまうことです。

 大法弟子は決して旧勢力の按排に抵抗するために修煉しているのではありません。私たちが旧勢力の按排を否定し排除する目的は、法を実証し、より多くの人を救うためです。言い換えれば、人を救うことが私たちの生きる根本的な目的です。

 具体的なことを行なう中で、旧勢力による迫害に抵抗することを根本的な目的としてしまうような表れは、以下のようなことです。

 一つ目は病業の仮相が現れた際に、それを機に内に向けて探し心性を向上させ、旧勢力の参与を打破するのではなく、その仮相を終え、病業から解放されることを目的としてしまうことです。病業の仮相を終えることを目的とした場合、私たちは実質的に旧勢力の按排に嵌(はま)って修煉し、その按排を認めてしまったことになります。認めてから否定する方法をいくら考えても、容易いことなのでしょうか!

 二つ目は連行された際に、それを機に邪悪を一掃し、衆生を救い法を実証することを目的とせず、釈放を根本的な目的としてしまうことです。釈放を最終目的とすれば、私たちは旧勢力を迫害者と位置付け、自分自身を被迫害者とし、同じく旧勢力の按排を認めてしまうことになります。

 旧勢力の按排を否定することを根本的な目的とする表れは、他にも多くあります。例えば、ある同修に病業の仮相が現れたとき、周囲の同修はどのように思っているのか、ある同修が連行されたとき、周囲の同修、特に救援活動に参加している同修たちはどう思っているのでしょうか。もしかして、そのうちの一部の同修は、旧勢力の按排を否定することを根本的な目的としているかもしれません。そうであれば、旧勢力の按排に嵌ったまま迫害に抵抗する結果になってしまいます。

 法を正す時期の大法弟子として、必ずこの世に来た自分の本願や、自分の使命と責任をはっきり認識しなければならず、迷ってはならず、旧勢力に左右されてはいけません。師父はこのようにおっしゃっています。「どんなに大きな出来事が起きても、何もなかったかのようにし、いつもと変わらず大法弟子が行うべきことを行ってください。これは皆さん今日歩む道であり、皆さんが残した威徳なのです」[1] 私は師父の説法をこのように理解しています。旧勢力の按排がどうであろうと、私はそのすべてを「病業の仮相」と見なして気にせず、やるべきことを着々とやっていき、いつもと変わらず三つのことを行ない、師父が按排して下さった道を歩んでいくべきです。

 実は、真に徹底的に旧勢力の按排を否定するとは、それを無視して何とも思わず、ひたすら師父の要求に従って行ない、師父が按排して下さった道を歩むことです。まっすぐ師父が按排して下さった道を歩んでいるとき、自然に旧勢力の按排を否定し排除することになり、大法弟子の歴史的使命を果たしていることになります。一部の年配の女性同修は真相を伝えることをしっかりと行なっています。彼女たちの共通点は真相を伝えるときの心が清浄で、迫害をまったく考えずにただただ衆生を救うことを思い、相手が誰であろうと、たとえ警官や私服警官であっても相変わらず黙々と真相を伝えているので、衆生を救う効果が良く、安全面の問題もなく、衆生を救う中でとても大きな作用を果たしました。

 以上は個人的に悟ったことに過ぎず、適切でない部分があれば、慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の説法:『各地での説法六』「二◯◯四年ワシントンDC法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/3/4/383444.html)
 
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