文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年3月5日】師父はこのように仰いました。「なぜならば、認められていない無理やりに加えた迫害は法を犯しているからです。宇宙の旧い理もこれを許しません。理不尽な迫害は絶対だめです。このようにしたら、旧勢力も手を下すことが出来ません。つまり、皆さんは出来るだけ正しく歩むという事です。」[1]
中国共産党による20年間にも及ぶ大法弟子に対する邪悪な迫害に対して、大勢の大法弟子たちは、一つ共感することがあるかもしれません。それは、私達の日常の考えの中で、特に法を実証し、世人を救う際に「万が一不法に連行されたらどうしよう?」、「もし留置場に入れらたらどうしたらいいのか?」などの念がたびたび現れてくることです。時には頭に顕れた考えは多種多様で、さまざまです。たとえば、真相を伝えに出かける際「ジャージを穿いた方がいいかもしれない、留置場にふさわしい恰好がいいかもしれない」、「重ね着すれば、留置場にいても、着替えは困らない」と思うことがあります。甚だしきに至っては、法を暗記する時にさえ「留置場にいたら、今の姿勢で法を暗記しよう」と、いう念が湧いてきます。実はその時、旧勢力が私達に無理やりに「迫害思惟」を押し付けているのです。この考えは自分のものではないことをはっきりと分別できなければ、旧勢力に強いられた考え方に従い「万が一不当に連行された時はこうしよう、ああしよう」と考えてしまえば、旧勢力の罠に掛かり、私たち自身が旧勢力の強いた迫害を受け入れて認めることになり、本当に旧勢力の思うつぼにはまってしまいます。そして、旧勢力が公然と私達を不当に投獄して迫害を行うのです。
実例を2つを挙げてみます。国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)に同修と真相を伝えに出かける時「万が一不当に連行されたらどうしよう?」との考えが顕れました。即時にその念を否定できず、更にその考えに従い、家にある大法の真相が書かれている人民元の札と、毎日、煉功音楽を流すmp3を隠しました。(自分が連行された後、警官に没収されることを恐れて)結局、その日、私達は国内安全保衛部門の警官に連行され、数カ月に亘って不当に拘禁されました。
もう一つの例は、留置場に同修を迎えに行った時の出来事です。出かける時に、自分の頭に「610弁公室の警察官に不当に拘禁されたらどうしよう?」との念がありました。前回の教訓があったため「これは私の考えではない、誰も私を迫害する資格がない!」とすぐにこの念を否定しました。その日、610の警察官に拘留されましたが、一時間で解放されました。
この2つの例で分かるように、旧勢力を否定できるか否かは、大法弟子の日頃の一思一念によるものです。正念を持ち、頭に顕れた「迫害思惟」を分別して否定できれば、旧勢力の迫害がこの現実空間に届くことが出来ず、解体して消え去るのです
注:
[1] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節の説法』