旧勢力の理論的根拠は、師父が望まれるものとは異なる
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2018年10月14日】以前、私にはよくわからないことがありました。旧勢力が法を妨害する目的とは一体何でしょうか? 今日は個人的な次元から悟りを得て、みなさんと交流したいと思います。

 つい最近、親戚の子が離婚騒ぎを起こしました。みんなで彼女を説得していますが、彼女は相変わらず頑固です。彼女は自分の夫が各方面で完璧に行なうことを要求しています。もし自分の夫が完璧に行なうことができない場合は、離婚しても構わないと考えています。

 彼女はよく自分の夫の「いけない」ことを話しますが、彼女の愚痴を聞くたびに、私は考えました。何度注意しても改めないので、こんな人とは離婚してもいいと思います。昨日、突然、彼女は私に「離婚成立か否かにもかかわらず、自分は絶対に勝ちたいです」と言いました。この話を聞いたあと、私は旧勢力のことを思い出しました。旧勢力はどんな代価を払ってでも、自分のやりたいことをしています。

 以前から、私心を抱いて人を変えようという考えを、私は法に基づいて修めていると思い込んでいましたが、今内に向かって探してみると、実は、自分の観念を変えるべきだと思います。もし私達が長い間、相手に要求する心を放下しなければ、法を正すことの大きな障碍になり、悟らない場合は、魔の道を歩むことになります。

 師父は「生命を失った人の中に、他の人のため、他の人に修煉させるための人がいます。これは旧勢力の按排です」[1]と語られました。

 旧勢力は他の人を修煉させるために、大法弟子の命を奪っても惜しまないのです。ここまで考えれば、自分も多くの時、旧勢力と同じように同修と常人のことについて、「誰それの修煉は良くできていない。直さなければ、迫害を招くことになる」と考えていることに気づきました。師父が教えてくださった慈悲と寛容の心は少しもありません。完全に旧勢力のような考え方で問題を考えており、しかも、これが宇宙の特性に符合しており、師父が求めておられることだと思い込んでいました。これで師を手伝い法を正すことができるでしょうか?  もし私達のこの一念を低次元の卑しい鬼が見たら、それは大法弟子を迫害する理由を提供することになります。多くの人がこのように考えれば、法を正すことの障碍になります。この問題についてまだ自覚していない人がいます。もし同修の修めていないところを私達がみたら、実はそれは私達が心性を向上すべき機会なのであり、さらに高い法理を悟らせるチャンスかもしれません。

 慌ただしく文章を書きましたが、適当でないところがあれば同修の指摘をお願いします。合掌。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一八年ワシントンDC説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/8/20/372677.html)
 
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